続きはBLDになるのでpixivに投稿してます。
後半にちょろっとしかキャラが出てきません。
『』外国語
「」日本語
両親が自損事故で早逝したことで始まった祖母と少年だけの生活はひどく慎ましいものだった。
持ち家と言えば聞こえはいいが、風が強く日には隙間風がぴゅうっと家の中に入り込みトタン屋根をがたがたと揺らす。雨が降ればあちらこちらから雨漏りをするので落ちてくる水滴が桶に溜まった。
祖父が亡くなった際、自転車操業でしていた工場を閉じて貯金で赤字を補填した。残った貯金と年金は老人1人ならぎりぎり食うには困らないが、さらに子供を養うとなると明らかに足りなかった。祖母は働きに出たが、老人でしかも幼い子供がいると選択肢は少ない。
それでも昼と夜のパートを掛け持ちする祖母を少年は手伝った。
祖母が昼間に働きに出ている間、少年は小学校に行き、放課後は宿題と洗濯や掃除などをこなす。
学校の同級生とは仲良くはならなかった。いじめられているというわけではない。小遣いはもらっているが貯金箱に入れており駄菓子屋にも行かず、自転車も持っていないため行動できる範囲が狭い。同級生からすると付き合いが悪いやつと思われているらしかった。
少年もそれでいいと思った。すいすいと真新しい自転車を漕いでいる同級生たちの後をひとり走って追いかけるのを想像してなんだかひどい気分になったからだ。
少年は内職でもして家計を助けるつもりであったが、それは祖母が許さなかった。
そうなると少年にできることは少ない。テレビは電気代がかかるので、時間つぶしに亡き父が使っていたらしいサッカーボールを抱え公園に行っていた。
少年に蹴り続けられたボールの表面は擦り切れ、全体的に黒ずんでいる。触るとひんやりとした。ボールで遊ぶのが特段好きというわけではないが、一人でふらふらするより、ボールを抱えていた方が周囲への面目がつくし、蹴っていれば時間が経つのが早く感じるという理由からだった。
手持無沙汰になればボールを蹴った。サッカーの良いところは野球とは違い、ボール以外の道具がいらないことだ。近所の中学校のサッカー部員の動きで基本を学び、テレビで流れていたニュースでの一瞬の映像を見て動きを真似したりと暇つぶしにはちょうど良かった。
ひとりボールを蹴っている少年に、時々物好きな人間が話しかけてくる。
真昼間からひとりでふらふらと杖を突きながら散歩している爺もそのひとりだった。はじめは公園のベンチに腰掛け休んでいるだけかと思ったが、ボールを蹴っていると見てくることに気が付いた。遠目からだと睨んできているように見えたのは、痩せこけているせいで元々深い彫りがより深く見えているためらしく、日本人よりも大きい緑色の目はキラキラと光っている。
はじめは見ているだけだった爺だが、少年が暇そうにしているとあれはできるか、これはできるかと注文を付けてくる。技名を言われてもピンとこない少年に爺はちょっと見ていろと杖を押し付け、ボールを奪った。
膝が痛いと言う割に足さばきは迷いなく、重いばかりに思っていたボールが爺の足で掬い上げられるとふわりと宙を舞う。重力に逆らっているようにも見えた。
それに驚いた少年を爺が自慢げに見てくる。少年が今しがた爺がやったことをそのまま真似すると爺は眼を引ん剝いた。
その後、爺はタブレットを持ってきて少年に見せてはやってみろと言い、少年は爺に自販機のジュースやコンビニの御菓子や肉まんを買わせるためにやってみせた。爺と少年でボールを奪い合ってゴールを決めたりもしたが勝敗は五分五分といったところだろうか。
ある日、爺は少年に新しいボールやスパイクはいらないかと聞いてきた。しかし家が貧乏で祖母と2人暮らしなこと、勝手にものが増えると祖母が気にすることを告げて断った。爺はじっと黙った後、少年の祖母と話がしたいと言い出した。
サッカーを教えてくる謎の爺については以前から祖母に話していた。
祖母がパートとパートの合間に一息つく、晩御飯の時間の話題はこれまで学校で何を習った、給食は何だったという内容だった。少年が爺に会ってからはその日できたこと、爺との勝敗結果に変わっている。そのためパートから帰ってきた祖母は「あらあらまあまあ」という言葉とともに家の中に爺を招き入れた。
爺の話を簡単にまとめると少年にはサッカーの才能がある。だからこそサポートをしたいため祖母の許可が欲しいということだった。
祖母はじっと話を聞くと、涙ながらに手をつく。
どうやら祖母は爺を知っているらしかった。
「あなたのお父さんが壁じゅうにポスターを貼っていたのよ。覚えているに決まっているでしょう」
祖母のその言葉に爺がなぜか涙ぐんでいた。
少年はそこで爺が海外で活躍していた元サッカー選手だったこと、思っていたよりも若かったことを初めて知る。少年の父親が生きていれば同じか爺の方が少し年上らしかった。
全盛期に故障して引退を余儀なくされた爺は
「サッカーしないか?」
爺は初めて少年にそう問うた。
「……金になる?」
「なる。トップの選手は100億稼ぐぞ」
「じゃあやる」
100億あれば家の雨漏りも直せるし、自転車も買える。
熱を出してもパートに行く祖母を心配することもなく、祖母の指先にずっとあるあかぎれだって治せる。
月謝が出せてもわずかなことを恐る恐る祖母が切り出すと、「出世払いでいい」と爺は言い張った。それでも食い下がる祖母に「食費は出すから食事を作ってほしい」と爺が頼む。それならばと祖母は納得したようだった。その日の夕飯は筑前煮で爺は「
それからは爺は本格的に教えてくるようになった。持久力のあげ方、効率的な身体の動かし方、体幹トレーニング、ボール運び、サッカーのルールと戦術。腐っても元プロサッカー選手、実践を交えての指導で何度も少年は吹っ飛ばされ、地面に転がされた。時折、爺が買い込んだプロテインを「これは甘さ控えめだな」「クソ甘いだろ」とか「これはいける」「なんでクソ甘いのしか買わんの?」などと言い合いながら飲む。
少年の教科書しか入っていなかった本棚に爺からもらったサッカー関連の本が並び、戦術について考えたノートがだんだんと増えていった。どのノートも少年が鉛筆で書いた文字と爺が書いた文字で埋まっている。
少年は学校の休み時間に宿題をすまし、放課後は爺と公園でサッカーの指導を受ける。一旦家で晩御飯を食べ、その後また公園で練習をする。朝は体力をつけるためにランニングのために早くに起きるという生活のルーティーンができていた。
ジワジワと鳴く蝉の声と少年の規則的なリフティングの音が道に響く。夕暮れが近く、近くの家から夕飯であろうカレーの匂いが漂ってきた。爺はその匂いで思い出したように言う。
「そういえば夏休みに入ったらヨーロッパに行くから用意しといて」
「は?」
『―――!!!――!――――――!!!!!!――――!!』
ひどいスラングと放送禁止用語の連発らしく少年の耳は爺の手で覆われ、周囲の現地人が本気でドン引きしているのを眺めていた。
もうこれで4度目だ。どの国のクラブに行っても爺は知り合いらしき人たちに怒られていた。イタリアでは頬と腹に重めの拳を1発ずつ違う人からもらっていたし、イングランドでは罵倒の前に助走式ラリアットとアルゼンチンバックブリーカーを食らっていた。紳士の国なのに一番暴力的でウケる。
怒られているはずの爺はなんだか嬉しそうでへらへらにょろにょろしており、罵倒の言葉が落ち着くと強く抱擁を交わしていた。
どうやら爺は旧知の仲の人間を訪ねて回っているらしい。
少年は事前に簡単な挨拶を爺に習ったが、それを実践する前に爺とその知り合いで勝手に話がまとまり、あれよあれよという間にフィールドに連れてこられた。はいとボールを渡されると少年は宇宙を背負うしかない。
「とりあえず一緒にやってみて」
爺にそういわれるも現地語も英語も話せず、周囲の子たちよりも体格が劣る少年は明らかに遠巻きにされていた。
しょうがなしにウォーミングアップは周囲を真似たが、試合形式の練習となるとあからさまだった。のけ者にされ、少年を除いた者たちだけでボールを奪い合っている。爺の方を見ればへたくそなウインクを返され少年はその場で軽く屈伸をした。
少年が地面すれすれを滑空するツバメのように、4本の足の間からボールを掻っ攫う。
少年のスピードはさらにぐんぐんと加速し、ボールを取り返そうとする人間をひとりふたりとひゅるひゅる躱していく。
そのままパスもせずゴールの右隅にシュートを叩きこむ。
驚愕を隠せない者たちの中で、爺の指笛がよく響いた。
べェッと舌を出して挑発するポーズは世界共通で、少年に相手も味方も苛立ちを覚えたようだった。
トレーニングが終わった後、周囲に囃し立てられたクラスのボスらしき子に1on1を申し込まれた。そのクラスで一番体格の良い子供だ。少年と並ぶと頭1つ分程の差がある。
大人はその明らかな差に心配をしているようだが、爺もコーチも止めようとはしない。
少年には異様な体幹と動体視力の良さに加え瞬発力があった。
軸がしっかりしていれば体勢は崩れない。むしろ相手を転がすこともできる、爺はそう言っていた。
相手の力任せのプレスは少年にとって都合がよく、いきり立った相手は重心がぐらつきやすい。
軽く肩をあてて力を流すと驚くほど綺麗に転んでいった。転んだ子供をルーレットでよける。ヒールで跳ね上げシュートを打つと歓声が上がった。
小学校が長い休みに入るたび、爺は少年を海外のサッカークラブに連れて行った。
はじめは道場破りのように見られていたが少年の比較的温和な性格からか警戒はされなくなった。
1、2週間ごとに爺の知り合いのクラブを点々としていると、どのクラブでも「もうそんな時期か」とスーパーに並ぶ旬の野菜のような言い方をされ、帰る際には「もっと滞在を延長できないか」と言われることもあった。そんなことを続けているといつしか休み前にいくつかのクラブから航空チケットが届くようになった。
参加するクラスがU-12からU-15に上がると、いじめというほどではないがささやかないたずらを受けることもあった。
日本で爺はふらふら散歩をしていたが、こちらでは街に出れば声を掛けられるほど有名人だった。そんな爺が直接指導しており、クラブのコーチ陣からも目をかけられている。それに加えU-12のくせにU-15のクラスに参加していることでも少年は妬まれているらしい。
「あー…脚立ってドイツ語で何て言ったっけかな?」
ロッカーの上に隠されたスパイクを眺めて少年はそう言った。さすがに手が届かず職員に脚立を借りようと振り返った少年の前に壁がそびえたっていた。壁は少年を挟むようにしてロッカーの上に手を伸ばす。
「これ、はい」
「ありがと、ございます」
ぽいと放るように渡された靴となじみのある日本語に少年もおもわず日本語で返した。
「貸しひとつな」
そういうとエゴは去っていった。
ドイツのクラブでは珍しいことに少年と同じ日本人がいた。
エゴと呼ばれていたため名前は知っているが、参加するクラスが違うため目が合うと目礼するぐらいの仲だった。
この件以降、少年はエゴに会うと会釈をするようになった。
まだ子どもであることもここまで子ども扱いをされるのはアジア人特有の幼い顔立ちといくら食べてもひょろりとした体格にあるらしい。
食え食え言われ高カロリーなものを詰め込まれる。アスリートを目指しているのに高カロリーなものでいいのかと思うが、運動量よりカロリーが足りない状態のため特例らしい。特にイタリアのおばちゃんはパワフルでやや強引に少年のポケットにお菓子を詰め込んでくる。
昔よりも語学力がつき、意思疎通しやすくなったためかクラスにもより馴染めるようになった。一つ問題があるとすれば、色々な国を行き来している弊害か、習うより慣れろという爺の方針のためか少年は外国語を話せるが、ドイツにいるのにスペイン語が出たり、訛っていたりちゃんぽんになっていることだった。
『明日ってだれか視察にくるんだっけ?』
『そうだよ。食堂の時間が短くなるから気を付けるよう連絡が来てたでしょ?それはそうとフランス訛りのイタリア語になってるよ』
『あぁ、先週までフランスにいたから…それはそうとなんでそんなにフランスとイタリアって仲悪いん?』
思わず出た疑問がクラス中で大炎上したのを横目に少年が帰る準備をしていると、爺とスナッフィーが誰かを担いで飛び込むように入ってくる。爺はスナッフィーの先輩らしく仲がいい。今日は2人で戦術を考えるといっていたはずだ。
担がれている男は手足と口をダクトテープでぐるぐる巻きにされていた。
拉致犯とその被害者という光景だが、担がれた男から漂うアルコールと小便、ゲロの混じった臭いに眉を寄せる。
『ちょうどよかった!こいつ、一緒に日本に持って帰る!』
『マジで勘弁して』
『俺が面倒見るし、ちゃんと飯も食わすから』
『ダメ。ばあちゃんに説明できないもん』
『サヨコには俺から説明する!』
『無理。元いた場所に返してこい』
『―――俺からも頼む』
少年と爺の会話に入ってきたのはスナッフィーだった。
スナッフィーの話をまとめると、爺とスナッフィーで話していたら「そういえばあいつ今どうしてる?」という話題になり、膝が悪いのに異様にフットワークが軽い爺が突撃訪問したらしい。籠城されたので爺がドアを現役時代「黄金の左脚」とまで言われた脚力でぶち破り、その生活環境の悪さに思わず掻っ攫ってきたということだった。まごうことなき立派な拉致犯だ。
被害者の名前はミック・ムーン。
爺と同じくサッカー選手だったが膝を故障後、
ダクトテープを探すついでにミックのパスポートを見つけ持ってくるほどの用意周到さだ。
日本に帰ってからは少年と爺がボールを奪い合っている間、ミックはベンチに天日干しと称して括り付けられている。はじめは抵抗していたミックも断酒と断薬が続くとおとなしくなった。時折少年にアドバイスをしてくることも増えた。
祖母は大人1人が増えても「あらあらまあまあ!」と喜び、作り甲斐があると腕を振るった。家庭内ヒエラルキーを一瞬にして理解したミックは祖母を「Mamma(マンマ)」と呼び、よく晩御飯の買い出しや調理を手伝うようになる。
ベンチに括り付けたミックをそのまま忘れて帰った日は、ミックが晩御飯時に祖母にそのことを告げ口したため、爺と少年が祖母にしこたま怒られる羽目になった。
ミックは爺に頭が上がらないようで少年の朝のランニングにつき添うようになった。膝を故障したというがランニング程度では大丈夫らしい。ぐちぐち文句を言いながらもミックは毎日さぼらずやってきた。
ミックから連絡が入ったのは夏休みが残り1週間という時期だった。
その日のイタリアはじりじりと太陽が照り付けてくるような天気だった。
『Mammaの様子が変だ』
今までできていた料理も手順などがおかしく、今日は家からスーパーまでの慣れた道で迷子になったという。少年と爺は予定を切り上げその日のうちに飛行機に乗った。
病院の検査結果を聞いた少年は病院のベンチに腰を掛けていた。祖母はミックと先に家に戻っている。ベンチが揺れた。視線を上げると爺が座っていた。
「認知症だって」
「……これからどうしたい?」
「あー、俺が中学のうちはばあちゃんに老人ホームに入ってもらって、高校はいかずに働く。金いるし」
中学に入ったら新聞配達のバイト始めないとな、そう言う少年に爺は静かに話を持ち掛けた。
「もっと早く、効率的に金稼ぐ方法がある」
「どうやって」
「海外のクラブに正式に入れ。近々、合同のトライアウトがある。そこでアピールしてスカウトされたら入団できる。下部組織からスタートだが、うまくやればそこいらのサラリーマンより稼げる」
でも日本を離れないといけないし、入団しても成績が悪ければ次の契約で給料が減額されたりクビになることもある。そう爺は付け加えた。
これまでのサッカー留学もどきで何度かオファーはあったが、祖母と一緒にいたいという少年の考えを尊重し断っていた。それに合同トライアウトというのも都合がいい。スカウト同士で競り合わせることで提示される金額を更に吊り上げることができる。
合同トライアウトは参加者でいくつかチームを作って紅白戦形式の試合を行い、様々なクラブのスカウトが参加選手たちのプレーを評価するという形式だ。
条件に合えばどんな人間でも受けることができた。貧しさからの脱却のため、有名になるため、人生一発逆転のために皆真剣だ。まさしく蜘蛛の糸と言えた。
いつもよりも人が多いらしく、緊張で体をこわばらせている者、闘気で漲っている者と様々だ。
人の熱気で暑いと思う者が多い中、少年は自身の頭がだんだんと冷たく冴えてきていることを感じていた。
少年は獣になった。
低い姿勢になると誰かの足が顔面を掠める。
ラフプレー寸前のプッシュを受ける。
何人もの人間が壁になって立ちはだかる。
少年はそれらを跳ね除け、地面スレスレに急降下する鷹の速度でボールを奪い続けた。
「いくつかオファーがあったが、どこのクラブがいい?」
「俺を一番高く買ってくれるところ」
「――わかった」
少年の冷え切った声に爺は穏やかな声で返した。
少年は合同トライアウト史上最高額で落札された。
そのことは大きな話題となり、「”神の子”カルロ・アドラーの後継者現る」と専門誌で取り上げられたほどだった。
「……なんで爺がいんの?」
「お前の年俸交渉の時に、俺も売り込んだから」
少年は成田空港で爺に送り出されたはずだった。
クラブチームの寮に入り、先に送っておいた荷物の整理や挨拶などをすまして、さあ今日が初日だと張り切ってクラブチームの練習場に行くと爺がいた。
別れてから3日程での再会だ。
「交渉相手が丁度知り合いだったこともあって話がしやすくてな、ついでに「おまけで俺もどうですか」って聞いたらOKもらった」
元とはいえ世界一となった選手をアドバイザーに雇えるというのだから、クラブとしては棚から牡丹餅だろう。
「あんたなら別のところでもっと高く雇ってもらえたはずだろ」
「そんなこと言ったって俺は金に困ってないからなぁ。行きたいところに行ってるだけさ」
まだお前に教えることは山ほどあるしな、と爺は続けた。
「………もし泥船だったらどうする」
「一緒に沈んでやる」
そう軽々と言い切った爺は相変わらずへらへらとつかみどころのない笑みを浮かべていた。
祖母は老人ホームに入ったため問題ない。「ミックはどうしたのか」と聞くと祖母が心配でしばらく一緒にいることを望んだらしい。
確かにいつも祖母の後ろをひよこのようについて回っていたなと少年は思い出していた。
クラブチームでも以前と変わらず少年をメインで指導するのは爺だったが、爺は他の子供も指導することとなったらしく慌ただしい毎日を送っていた。
成人なら基本的に契約期間は5年、18歳未満であれば3年に限定される。13歳で入団した少年は15歳で1度移籍する必要があった。
爺もそれに合わせてクラブを移った。
18歳になり、少年は青年になった。青年はマンシャイン・Cに一番高く買われ移籍となった。
青年の2度目の移籍では爺はついてこず、そのままクラブに在籍しコーチを続ける予定だ。
爺と別れる日、青年は爺に連れられバーに来ていた。節約を徹底している青年はバーに来ること自体初めてだ。
『独り立ちに乾杯!!!』
爺はそう言い勢いよくビールの入ったグラスをぶつけてくる。こぼれたビールが青年の服にかかった。
『嬉しそうだな』
『あったりまえだろう!こんなに立派になって…もう一人前だ』
爺はおいおいと泣く真似までしてみせた。
『でもまだばあちゃんの老人ホームの金、あんたに全額返せてない』
サッカー留学もどきの渡航費や宿泊費について爺は「子供料金だから安い」「クラブチームが出してくれているから」と受け取らなかった。
それに加え祖母が入居した老人ホームの費用についても払おうとしていたので、青年も祖母も納得せず、青年が爺から借入する形で落ち着いた。
『あー?あれは貸したんじゃなくてあげたんだって。俺はさっさと死ぬからお前は好きなことしろよ。サヨコのことを考えるのもいいが、お前の人生だ』
『さっさと死ぬだなんて縁起でもないこと言うなよ』
『心筋梗塞らしいな』
爺の葬儀は関係者のみで執り行われた。
ミックも日本から駆け付け参列をしている。涙を流すものもいるが故人の話になると皆笑い話が絶えず、故人の人となりを知ることができた。
爺に家族はなかったこともあり葬儀では近親者として青年とミックが挨拶を述べた。
『「絶対に墓に入れるな」ってどんな遺言だよ』
『ことあるごとそれ言ってたな。「俺は世界を見て回りたいから遺灰は海に流せ」「墓参りは海水浴ついでいい」って』
ミックのその言葉に周囲の男たちはげんなりした声を挙げた。
『魚食べるときあいつの顔が浮かんでくるからやめろ』
『海に遺灰を撒く日が決まったら教えてくれ。その日からベジタリアンになる』
そんな話をしている男たちから青年が離れたのをみてミックが追いかけてくる。
『大丈夫か?ちょっとやつれたんじゃないか』
『……ミックたちは悲しまないんだな』
『もちろん悲しいさ。けどな、あいつは最後まで楽しんで生きれた。それがどれだけ素晴らしいことかわかるか?』
ミックは俯く青年の頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜ、言葉を続ける。
『俺もあいつも一度どん底を味わったからわかる。過去を呪い、腐って死んでいくだけだった自分が、誰かのことを楽しみに考えながら死ねる。こんなに嬉しいことってないだろ?』
『日本的に言えば、…そうだな……
―――お前はあいつの「蜘蛛の糸」だった』
ミックが去った後もその言葉が青年の頭にずっと響いていた。
強靭な肉体がぶつかり合うイングランドサッカーで青年は鷲のように鋭く鮮やかにボールを奪っていく。
敵の侵入にはいち早く対応しては、もたつく味方を置き去りに下から上に一気に駆け上がりゴールを狙う。
じっと下界を見下ろすような冷静さから「ユグドラシルの鷲」と呼ばれることが増えた。
マンシャイン・Cを代表するFWクリス・プリンスはその冷徹に徹する姿勢を評価しており、ベストパートナーだとメディアにいうこともあった。
『死因は肺炎だって』
『……そうか』
電話越しに聞こえるミックの声はかすかに震えていた。ミックは爺の後釜としてチームのコーチになっている。
オフシーズンには青年もミックも祖母のいる老人ホームに顔を出している。もともとほっそりとした指は枯れ枝のようになり呼吸も浅く、2人は祖母がもう長くないことを悟っていた。
今がシーズンであることも鑑み、ミックには葬儀はせず火葬のみ行うため納骨したら墓参りに来てほしいと言い電話を切った。
祖母の遺品は多くなかったが、その中に見覚えのない青年名義の通帳があった。
祖母と青年が一緒に暮らし始めてからのもので毎月1万円ずつ貯められている。ここ数年は小銭といってもよいほどの金額が月の同じ日に入金されており、その入金は祖母が亡くなる1か月前にもあった。最後の入金額は13円だった。
祖母の認知症がひどくなってからは、もしもの時のためにコンビニや自販機で使えるよう500円程を財布に入れていた。いつの間にかなくなっていたが疑問にも思っていなかった。
青年は通帳を握りしめながら火葬場からあがる煙を見上げた。
空港に到着したその足で青年は喪服から着替えもせず、マンシャイン・Cの監督たちと会っていた。身内の不幸とはいえ急な休みをもらったことへの謝罪の後、青年は言葉をつづけた。
『もうやめる』
『えっ?』
『クラブを退団する。違約金は払うからあとでメールくれ』
密かに守銭奴と呼ばれている青年の言葉に皆驚愕を隠せない。
沈黙を肯定ととらえた青年はその場を後にした。
アパートで貴重品だけピックアップした後、空港で日本行きで一番早いチケットを取る。
機内の席に腰を下ろすと携帯を機内モードに変えるついでにSNSを投稿した。
≪マンシャイン・Cを退団します。ありがとうございました。≫
その簡潔な投稿は瞬く間に拡散された。
数年前に新世代世界11傑に選出され、最優秀選手にもなったことがあるまだ22歳の選手の突然の発表だ。
マンシャイン・Cの広報は「退団ではなく契約条件の交渉中である。またアラタ・ナガセは休養に入る予定だ」と公表し、他のクラブは「現状より良い条件でオファーをする方針だ」「移籍金の交渉の準備はできている」「獲得予定者リストのトップにアラタ・ナガセの名前が入った」などと発表し混乱を極めていた。SNSではトップ選手が「アラタ・ナガセがチームに入ってくれるならこれ以上喜ばしいことはない」「叶うなら一緒にプレイをしてみたい」などと更に発言したことで炎上は広がるばかりだった。
恐ろしいことに、青年のSNSの投稿が広まってからマンシャイン・Cを代表するFW、クリス・プリンスの騒がしいほどの投稿がぴたりと止まり沈黙を続けている。
飛行機は深夜の空港に到着した。どこか空港はひっそりとしており、皆それぞれの目的地を目指し静かに足を動かす。
青年は黒いスーツのまま、視線を床に落としゆっくりと歩いている。
視線の端に誰かの靴が見え、反射的によけようとするが相対する靴も同じ動きで進路を阻む。
靴の持ち主に苛立ち混じりの視線をやると見覚えのある男が現れた。
「絵心さん」
「あの時の借りを返してもらう」
青年は放り投げるように渡されたスパイクを思い出した。
「……あれっぽっちの貸しで?」
「とりあえず連絡先を教えろ」
連絡先を言うまでついてきそうだったため青年はあきらめて電話番号を教えると、「必要になったころに迎えをやる」と言って絵心は足早に去っていった。
数年前に建て替えた家はまだ新築の匂いがする。
バリアフリー設計で隙間風も雨漏りもしていない。ぴかぴかの部屋の隅でおんぼろの本棚は居心地が悪そうにしている。
何冊も並んだノートは色あせていて、ページをめくるとぱりぱりと音を立てた。今より幼い字で書かれた文字の横にそれよりもいびつな爺のひらがなが躍っている。最後のページに爺の流れるような筆記体で大きく”
絵心から連絡があったのはその2週間後だった。
「お前の才能を腐らせるぐらいなら俺が使ってやる。お前には才能の原石どもの壁になれ」
そう言って椅子にふんぞり返える絵心に青年は口角を上げた。