次の日には既に、あの一件は学園中に知れわたっていた。あれほどの騒ぎになっていたのだから、三奈子が記事にするまでもなかったのである。
しかし、なぜ令さんと由乃さんが言い争いをしていたのか。破局の原因は何か。その根本的なところはわからずじまいなので、生徒たちは悶々としている様子だった。
当事者の一人である令さんはひどく憔悴しているから、尋ねられる雰囲気ではない。
だから、皆リリアンかわら版の記事を心待ちにしているのは言われなくとも感じていたけれど、それでも、三奈子は動かなかった。
「どうして、令さんと由乃さんの一件を記事にしないんです」
そして現在、放課後の新聞部部室にて。
三奈子は、数名の一年生部員と対峙している。案の定というかなんというか、なぜ令さまと由乃さんの一件を記事にしないのかと詰めかけてきたのだ。
皆それを求めているんだと彼女らは主張した。今高等部で一番ホットな話題なのは確かだけれど。
あのとき令さんたちが話していたのは、由乃さんがあそこまで錯乱し、そして発作を起こして怪我までするほどのものであるはずで。それを掘り起こして記事にするのは、いくら三奈子と言えどもためらわれた。
これについては妹の真美も同意見だった。
「何を言われようと、私は記事にしないわよ」
「三奈子さまっ」
「……真美も、それでいいわね?」
「はい、お姉さま」
結局、部長権限で押し切り、記事にはせずに終わった。部長とその妹が記事にしないと主張しているのだ。一年生がそれ以上抵抗できるわけもない。
そもそも、他に話題がまったくないわけではないのだ。そう諭したら、なんとか後輩たちはあきらめてくれた。
今はとにかく、由乃さんの無事を祈るばかりである。
「あれから、令さんと由乃さんの話題ばかりよね」
ため息混じりに愚痴をこぼす。
「私のクラスでも、皆そわそわしています。令さまと由乃さん、あんなに仲がよかったのに、って」
そう答える真美も、気疲れしている様子だ。
真美も新聞部員として何か知っていることはないのかと、朝から質問攻めに逢っていただろうから。
一体二人に何があったのか。三奈子だって知りたかった。
――
そうして十日ほど過ぎ、未だ熱も冷めやらぬ時分。
由乃さんはようやく復帰した。朝には既に、令さんと二人で手を繋いで歩いていたと二年生のところまで噂が広がっていたし、現に三奈子も二人肩を並べてお祈りしているのを見かけたのだ。
流していた血の量がかなりのものだったから、あれからずっと心配していたけれど。
由乃さんが無事にリリアンへ戻ってくることができて良かったと思う。それに、令さんとすっかり仲直りして復縁していたというからほっとした。
リリアンきってのベストスールがあのまま離ればなれになっていたら、新聞部にとっては痛手だし、それに築山三奈子個人としても、悲しみに暮れていただろう。
ともかく、良かった。早急に由乃さんの復帰を報じなければと、三奈子は午前のうちからそわそわしていた。
ようやく放課後になると、三奈子は掃除当番でないのをいいことに、即座に教室を飛び出して早歩きで部室へと向かう。
早々に到着したので、中には誰もいなかった。一番乗りである。早速ワープロを起動し、執筆を開始した。
「――あ、お姉さま」
集中していたところに、ふと部室の扉が開き、声をかけられた。自分をお姉さまと呼ぶのは、一人しかいない。
「あ、とはご挨拶ね、真美」
そちらを見ることなく答える。
別に本気で怒っているわけじゃない。由乃さんの記事の執筆は順調に進み、三奈子はご機嫌だった。
真美もそれが分かっているようで、小さく笑って「申し訳ありません」とだけ言った。
「由乃さん、調子はどうだった?」
キーを叩きながら、問いかける。
「怪我については、もう大丈夫そうでした」
「そう。良かったわ」
「はい、本当に。由乃さん、何か吹っ切れたみたいでした」
真美の話によれば。
由乃さんは登校してすぐ、クラスメイトの前で頭を下げたらしい。ずいぶん騒がせてしまって、迷惑をかけて、申し訳ないと。
「へえ。入院中に何かあったのかしら。気になるわね」
やはり、ただの退院の報告だけでなく、由乃さん本人へのインタビューも記事にすべきだろうか。
山百合会にいるかは分からないけれど、とりあえず行ってみようかしら。
そうして腰をあげかけた時、再び部室の扉は開かれた。
「ごきげんよう」
部員がやってきたのかと思ったが、そうではなかった。そこにいたのは、部員ではない。今まさに三奈子が求めていた人――由乃さんだった。隣には、寄り添うようにして令さんがいる。
「令さん、由乃さん、ごきげんよう。ちょうどよかったわ。あなたたちに会いに行こうと思っていたの」
「え?」
「無事に退院したようで、安心したわ。由乃さん」
取材対象が自ら来てくれたという事実は、驚きよりも喜びを三奈子にもたらした。
挨拶もそこそこに、二人をエスコートし椅子に座らせる。
「お気遣いありがとうございます、三奈子さま。今日は、その報告のために来たんです」
「うん。新聞部が由乃の無事を願う記事を掲載してくれたから、ちゃんとお礼と報告をしなければいけないと思って」
令さんが呆れた様子で言った。
「はい。あの、心配していてくださったようで……ありがとうございます。そして、ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした」
そう言って由乃さんは深々と頭を下げた。
「私からも、お礼を言うよ。ありがとう」
令さんもそれに続く。
「さっきも言ったけど、本当に無事でよかったわ。お礼はいいから、その代わりにインタビューさせてもらえない?」
「インタビュー?」
「ええ。今度は由乃さん復帰の記事を大々的に掲載しようと思ってるのよね」
ふふふ、と不敵な笑みを見せると、お二人は苦笑したものの。
「はい。もちろん」
由乃さんは小さく首肯し、
「令さんも、いいかしら?」
「うん、構わないよ」
令さんも頷いてくれた。
以前ベストスールにお二人が選ばれた際はインタビューが出来なかったから、三奈子にとってはまたとないチャンスだ。ここぞとばかりにインタビューを開始する。
由乃さんの怪我はどのようなものだったのか。
入院中、どのような生活を送っていたのか。
様々な質問をしていった。
そして令さんも由乃さんも是非にというから、今回の一件の発端となった二人の破局の原因や復縁についても掲載することとなった。学園を騒がせてしまった当事者として、しっかり説明責任を果たさなければならないという考えだそうだ。
「――さて」
そんなこんなでインタビューは長引き、結局一時間ほど掛かってしまった。その間に部員が数人やってきたけれど、令さんと由乃さんの姿を認めるとぎょっとしていた。無理もない。しかし動揺しながらも、皆お二人の言葉にしかと耳を傾けていた。
「ありがとう。いい記事になりそうだわ」
「ううん。こちらこそ」
「あ、ありがとうございました」
令さんも由乃さんも、長らく拘束させてしまったが嫌な顔ひとつしていない。というか、微笑んですらいた。
「これからは、新聞部とは良好な関係でいたいわね」
これには三奈子も苦笑した。
確かに新聞部を運営するにあたり、山百合会の方々との関係は良いに越したことはない。もともと新聞部は――というか三奈子は、報道に熱を入れすぎるあまり薔薇さま方によく睨まれていたから。
しかし、それを気にして良い記事が書けないようでは本末転倒だ。
「どうかしらね。私はスクープを見逃さないの。次にまた何かあったら、その時はしっかり記事にしてみせるわ」
「もう、開き直らないでよ」
「ふふ。三奈子さまでしたら、素敵な記事になると思います」
三奈子も、令さんも、由乃さんも、真美も。
皆笑いの絶えない、楽しい時間だった。このお二人にインタビューすることができて、本当によかった。
「それにしても」
令さんがふと、釈然としない様子でつぶやく。
「なに?」
「ずっと気になっていたのだけど、そもそも、どうして記事にしなかったの?」
先程自分で言ったように、三奈子はスクープを見逃さない。しかし、それなのにリリアンの乙女たちからの注目を集めるであろう、令さんと由乃さんの破局を記事しなかったのはなぜかと。令さんはそう言いたいわけだ。
三奈子はため息をついた。
令さんを前に、由乃さんの手当てを行ったのは他ならぬ三奈子である。だから、当然令さんは分かっていると思っていた。
「目の前で由乃さんがあんなことになったのよ。興味本位で騒ぎ立てるべきじゃないと思ったの」
三奈子だって分別つけられないわけではない。記者として、越えてはいけない線はあるのだ。
そう告げたのだけれど、令さんはなぜかぽかんとしている。訝しげな表情で、なにやら考えている様子だ。
「三奈子さん、あの場にいたの?」
数秒の沈黙の後に呟いたその言葉は、三奈子の想像を越えるものだった。まさかそんなことを言うとは、思わなかったのだ。
「……え? 忘れたの? 令さんがあまりに呆けていたから、私が由乃さんの手当てをしたんじゃない!」
だから思わず三奈子は声を荒げてしまった。
しかしそれでも、何のことか理解しかねているようだから、令さんは本気で忘れてしまったのだろう。
「そうだったの?」
由乃さんが初耳だというように、令さんに尋ねたものの。
「あ、あれ、おかしいな。そうだったっけ?」
令さんはあたふたするばかりで、全く答えになっていない。
「そうよ」
ちょっと不機嫌に頷いてみせる。
すると由乃さんは戸惑う令さんを横目に真剣な表情で、三奈子を見つめた。
「あの……三奈子さまが助けて下さったんですね。ありがとうございました。お陰で無事で済みました」
再び頭を下げた。
「ええ、どういたしまして……そして、令さん」
真摯に向き合ってお礼を言う由乃さんには微笑みかけて。ともかく、三奈子は令さんに目を向ける。
「私も恩着せがましく言うつもりはないけど、覚えてすらいないのはさすがにひどいんじゃない!?」
「ご、ごめんっ」
手を合わせて謝る令さんは、全然凛々しくなかった。
「まあまあ。お姉さま、落ち着いてください」
恐縮しきりの令さんと、三奈子を諌める真美に、くすくすと微笑んで見守る由乃さん。
そんな光景が面白くて、ぶつぶつと文句を言いながらも三奈子は心地よさを覚えていた。
「……ぷっ」
そしてついに吹き出してしまう。
こんな令さんも、凛々しくはないし情けないけれど、とても魅力的だ。
「もう……令さんって面白いわね」
「ふふっ。はい、令ちゃんは面白いです」
「よ、由乃までっ」
つられて由乃さんも心底楽しそうに笑いだした。
その様子を見て、三奈子は由乃さんの雰囲気が、以前と少し変わっていることに気づく。
そういえばさっきの礼にしたって、その所作は由乃さんとは思えないくらい堂々としたもので。由乃さんが纏っていた、儚げで、いつもどこかびくびくおどおどしていて弱々しい空気感がなくなっているのだ。
真美の言っていた通り、吹っ切れたということなのだろう。
三奈子はにやりと笑った。この姉妹は本当に面白い。
「……よし」
これからも二人を追いかけていこう。三奈子の記者の眼が、キラリと光った。
――
その日から暫く、令と由乃はスクープを追い求める三奈子の尾行に悩まされることとなる。
fin.