ミレニアムサイエンススクールの天才集団「エンジニア部」。

 その中において、一際異彩を放つ無口な少女・猫塚ヒビキは、実は極度のコミュ障と人見知りを抱えていた。

 彼女が唯一心を開き、その背中に隠れていられる場所――それが、保育園からの幼馴染である豊見コトリだった。
 コトリは知識欲の塊でありながら、ヒビキを「世界で一番可愛い妹分」として全肯定し、甘やかし、守り続けている。

 部長の白石ウタハは、そんな二人の絆を微笑ましく見守りつつも、後輩であるヒビキが未だに自分に対してすら「人見知りガード」を崩さないことに、少しだけ寂しさを感じていた。

 これは、不器用な天才たちが織りなす、温かくて騒がしい日常の記録である。

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短編です。
こんなエンジニア部もいたらいいですね。


背中越しの世界と、魔法の肯定

 ミレニアムサイエンススクールの象徴ともいえる巨大な学び舎、その一角に位置するエンジニア部の部室は、今日も今日とて火花と異音に包まれていた。

 

 山積みにされたスクラップ、複雑に絡み合う配線、そして時折発生する謎の爆発音。常人であれば眉をひそめるようなその空間こそが、彼女たちにとっての聖域だった。

 

 その混沌とした部室の中央で、一人の少女が彫像のように固まっていた。彼女の名は猫塚ヒビキ。工学に関する頭脳は学園でも随一とされる彼女だが、今の彼女は「天才エンジニア」としての顔を完全に失い、一匹の怯えた子犬のようになっていた。

 原因は、部室の入り口に立っている他学科の生徒だった。

 

「あ、あの……先日修理をお願いしたドローンの調子が、また少し悪くて……」

 

 依頼人の生徒が控えめに声をかける。本来であれば、担当したヒビキが対応すべき場面だ。しかし、ヒビキの反応は速かった。

 

 シュバッ、という効果音が聞こえてきそうな速度で、彼女は隣で分厚い専門書を広げていた少女の背後に滑り込んだ。

 豊見コトリの背中。それはヒビキにとって、ミレニアムのどんな防壁よりも強固で、信頼できるシェルターだった。

 

「…………っ」

 

 ヒビキはコトリの白いジャケットの裾をぎゅっと握りしめ、顔の半分だけを覗かせて、依頼人の生徒をじっと見つめる。犬のような耳が、不安げにぺこりと伏せられていた。

 

「あらあら、大丈夫ですよヒビキ! ここは私にお任せくださいね。ええ、もちろん、ヒビキの整備に落ち度があったわけではありません。ドローンの基板における熱膨張係数の差による接触不良は、この季節の気温変化では統計学的に見て0.03パーセントの確率で発生しうる事象でありまして、そもそもこのモデルの冷却ユニットの配置自体が――」

 

 コトリは待ってましたと言わんばかりに、満面の笑みで前に出た。彼女のスイッチが入った瞬間である。

 

「あ、はい……その……」

 

「いいですか? そもそも熱力学の観点から申し上げますと、この小型モーターの排熱効率はですね、周囲の空気密度にも依存するわけでして……あ、そういえば先日の天文学の講義でも似たような話がありまして、真空状態における熱放射の計算式を応用すればですね――」

 

 コトリの「解説暴走」が始まった。一度話し出せば止まらない。1を聞かれれば100を返し、周辺知識から歴史的背景まで網羅する。

 依頼人の生徒は、あまりの情報量の濁流に、次第に目が回り始めていた。

 

 その背後で、ヒビキは安堵の息をもらした。コトリの背中は小さくて温かい。保育園の頃、砂場で他の子に話しかけられて泣きべそをかいていた時から、ずっとこの場所がヒビキの指定席だった。

 

「…………コトリ、すごい」

 

 消え入りそうな声で、ヒビキが呟く。自分にはできない、言葉による防御。それを軽々とやってのける親友は、ヒビキにとってのヒーローだった。

 

「ふふん、聞こえましたよヒビキ! 褒めてくれましたね? ええ、ええ、ヒビキは本当に見る目があります! さすがは私の自慢の幼馴染です。ヒビキの技術力は世界一ですが、対人インターフェースに関しては私が最新のOSとして機能しますから、安心してくださいね!」

 

 コトリは解説の手を休めることなく、後ろ手にヒビキの頭をなでた。ヒビキはさらに顔を赤くし、コトリの背中に額を押し付ける。

 

「…………うん」

 

 この光景を、部室の奥で大型ロボットの調整をしていた部長、白石ウタハは作業の手を止めて眺めていた。

 ウタハは、手に持っていたレンチを置くと、やれやれといった様子で首を振る。彼女の口元には、慈愛に満ちた、しかしどこか少しだけ寂しげな微笑みが浮かんでいた。

 

「相変わらずだね、二人は。コトリ、あまりその生徒さんを困らせてはいけないよ。説明が長すぎて、彼女…意識が飛びかけているじゃないか」

 

 ウタハが歩み寄ると、ヒビキの肩がビクッと跳ねた。ヒビキはコトリの背中から一瞬だけウタハを見上げ、すぐに視線を逸らす。そして、さらに深くコトリの影に隠れてしまった。

 

「………………」

 

「おや……ヒビキ、私に対してもまだ『警戒レベル:最大』のままなのかな? もう同じ部活に入ってから、随分経つと思うのだけれど」

 

 ウタハは苦笑した。彼女はヒビキの天才的な才能を誰よりも高く評価しているし、彼女の独特な「自爆装置を付けたがる癖」も、エンジニアとしてのロマンとして肯定している。

 だが、精神的な距離だけは、どうしてもこの「コトリの壁」に阻まれて縮まらない。

 

「部長、申し訳ありません! ヒビキはただ、部長のあまりのカリスマ性と、マイスターとしての威厳に気圧されているだけなんです! いわば、あまりに高出力なレーザーを見た光学センサーが飽和状態に陥っているようなものでして、これは決して拒絶ではなく、むしろ最大級の敬意の表れと言っても過言ではなく――」

 

「コトリ、フォローが逆にヒビキを追い詰めている気がするよ」

 

 ウタハはヒビキに歩み寄り、視線を合わせようと少し腰を落とした。

 

「ヒビキ、私にはコトリのような『魔法の言葉』は使えないけれど、君が作るものの素晴らしさは理解しているつもりだよ。だから、そんなに怖がらなくても大丈夫だ」

 

 ヒビキは、ウタハの優しさに満ちた瞳を、まつ毛を震わせながら見つめた。何かを言おうとして、唇を小さく動かす。

 

「…………う、…………」

 

「……う?」

 

 ウタハが期待に胸を膨らませて身を乗り出す。

 

「………………うた……部長…………あ、ありがとうございます…………っ」

 

 それが限界だった。ヒビキは限界までオーバーヒートした機械のように顔を真っ赤にすると、コトリの腕を掴んで、そのまま脱兎のごとく部室の隅っこ――自分専用の作業デスクの下へと潜り込んでしまった。

 

「ああっ、ヒビキ! 待ってください、まだおやつの時間ではありませんよ! 部長、すみません、今のヒビキとしては精一杯のコミュニケーションだったんです。何しろ、彼女にとって『ありがとう』を直接伝えるのは、核融合炉の制御並みに高難度なタスクなのですから!」

 

 コトリは鼻息荒くウタハに詰め寄り、いかに今のヒビキの反応が画期的で、愛らしく、そして尊いものであったかを熱弁し始めた。

 

 一方、デスクの下で膝を抱えて丸まっていたヒビキは、自分の心臓の音を聞いていた。

 怖い。外の世界は、他人は、いつだって予測不能な変数に満ちていて、どう対処すればいいか分からない。

 

 でも…。

 

 自分の背中をなでてくれるコトリの手の温かさと、自分を真っ直ぐに見てくれるウタハの眼差しだけは、計算式を超えた場所で、ヒビキの心をそっと繋ぎ止めていた。

 

「………………コトリ…………」

 

 暗がりの中で、ヒビキは小さく呟いた。自分のすべてを肯定し、守ってくれる親友。

 

「…………明日も…………一緒に…………いて」

 

 部室に響き渡るコトリの解説音声は、いつまでも止む気配がなかった。しかし、その騒がしさこそが、ヒビキにとって世界で一番心地よい子守唄だった。

 エンジニア部の日常は、こうして今日も、不器用で、熱心で、そして途方もなく温かい音を立てながら回っていく。


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