すべてを失って身売りした少女にすべてを与えてみた結果   作:ヤンデレすこすこ侍

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第二十四話

 本宮への道は、短いのに長かった。

 

 黒鴉商会から本宮までは、馬車を使えば大した距離ではない。

 皇都中央へ入り、高台へ上がり、衛兵の詰める門を抜けるだけだ。

 だが、今日のその道は妙に重かった。

 

 向かいには兄上。

 隣にはフィーネ。

 その膝の上には、封緘された帳簿の写し。

 さらに別馬車には、黒鴉商会から押収された裏帳簿と触媒箱の一部が積まれている。

 

 護衛の数も多い。

 影もいる。

 本宮兵もいる。

 近衛も途中から合流した。

 

 つまり、だいぶ大事である。

 

「殿下」

 

 隣から静かな声がする。

 

「顔が」

「出てるか」

「はい」

「今さらだな」

「そうですね」

「諦めるな」

 

 フィーネはほんの少しだけ目を伏せた。

 

「では、もう少しだけ、面倒そうな顔を控えてください」

「父上の呼び出しだぞ」

「承知しております」

「なら無理だろ」

「努力目標です」

「便利だな、それ」

 

 兄上が向かいで小さく息を吐いた。

 

「レオン」

「何だ」

「父上の前では、少しは言葉を選べ」

「選んでるだろ」

「選んで、それなのか」

「失礼だな」

 

 フィーネがすぐに口を挟んだ。

 

「殿下は、かなり選んでおられます」

「お、分かってるな」

「選んだ上で、あれです」

「味方じゃなかった」

 

 兄上が少しだけ笑った。

 だが、目は笑っていない。

 

「今回の召喚は、以前のような家族会議ではない」

「分かってる」

「本宮の正式手続きに乗った召喚だ。君も、フィーネ殿も、記録に残る」

「面倒だな」

「その顔を控えろと言ったばかりだ」

 

 正直、控えるのは難しい。

 

 黒鴉商会の裏帳簿。

 十二年分の観測記録。

 観測対象一号、二号。

 奴隷市の翌日から始まっていた観測。

 

 俺が選んだ。

 フィーネが選び返した。

 その事実に、誰かが最初から記録の線を引いていた。

 

 腹が立つ。

 かなり。

 だが、腹を立てるだけなら簡単だ。

 問題は、ここから先だ。

 父上が呼んだ。

 つまり、これはもう学院の騒動でも、第三皇子宮の面倒でも、兄上派との駆け引きでもない。

 帝国の案件だ。

 

「……面倒だな」

 

 もう一度呟くと、フィーネが言った。

 

「怒っておられますね」

「ああ」

「抑えますか」

「抑える」

「本当に?」

「父上の前で机は叩かない」

「扉は」

「蹴らない」

「花瓶は」

「ないことを祈る」

「信用できません」

「お前にだけは言われたくない」

 

 そのやり取りで、少しだけ息が戻った。

 

 

   ***

 

 

 通されたのは、小謁見室ではなかった。

 

 本宮の奥。

 謁見の間ほど広くはないが、私的な応接室より遥かに堅い場所。

 軍議と裁定のために使われる、石造りの広間だった。

 

 壁には帝国旗。

 中央には長卓。

 その奥に、父上がいた。

 

 アズヴォルデ帝国皇帝。

 俺の父。

 十年前、折れ羽根を直々に解体させた男。

 

 豪奢な玉座ではなく、硬い椅子に座っている。

 それだけで、この場の性質が分かる。

 飾る気がない。

 決めるための場だ。

 

 父上の脇には宰相。

 騎士団長。

 宮廷魔術師長エルヴィナ。

 それから本宮記録官が二名。

 

 うわ。

 面倒な顔ぶれだ。

 

「レオンハルト」

 

 父上が口を開いた。

 

「はい」

「顔」

「……出ていますか」

「出ている」

「努力します」

「遅い」

 

 開幕から刺された。

 フィーネが隣でごくわずかに肩を震わせた気がした。

 笑ってないだろうな。

 

「エドゥアルト」

「はい、父上」

 

 兄上が一礼する。

 

「報告を」

 

 兄上の声が変わった。

 いつもの穏やかな兄ではなく、第一皇子の声だ。

 

「黒鴉商会関連三箇所は封鎖完了。中継倉庫より誘引香基材に近い触媒、封緘済み木箱七、裏帳簿を押収。商会長は逃走中ですが、影が追跡中です。番頭ロルフは拘束済み。学院側の協力者クラウス・エーベルハルト、事務補佐ヨナスも確保しています」

「折れ羽根との接続は」

「黒鴉商会の帳簿内に、細い輪と折れた羽根の印。さらに十二年分の観測記録が存在しました」

「対象は」

「複数名。死亡、行方不明、対象外、移送済み等の分類があります」

 

 父上の目がわずかに細くなる。

 

「一号と二号は」

「第三皇子レオンハルト・アズヴォルデ。ならびに、フィーネ・エレノアス」

 

 広間の空気が静まった。

 記録官の筆音だけが響く。

 かり、かり、と紙を引っ掻く音。

 それが妙に不快だった。

 

「観測開始時期は」

「奴隷市翌日と記されています」

「……そうか」

 

 父上の声は低かった。

 怒っている。

 表には出ていないが、分かる。

 兄上の怒りが冷たい水なら、父上の怒りは重い鉄だ。

 落ちてくる前の沈黙が一番怖い。

 

「フィーネ・エレノアス」

 

 父上が名を呼んだ。

 

「はい」

 

 フィーネは一歩前に出る。

 背筋は真っ直ぐ。

 顔色はいつも通り。

 だが、俺には分かった。

 怖がっている。

 それでも退いていない。

 

「帳簿を見たな」

「はい」

「自分の名が記録されていた」

「はい」

「お前は、どう見る」

 

 問いは短い。

 けれど重い。

 

 フィーネは少しだけ沈黙した。

 考えるためではない。

 言葉を正確に置くための間だ。

 

「折れ羽根は、私たちを人として見ていません」

「続けろ」

「反応、同期、観測。記録形式から見ても、対象の意思より、状態変化を重視しています」

「魔術研究者の記録形式だな」

 

 エルヴィナが淡々と言う。

 

「商会帳簿の中に混ぜていますが、分類は研究記録に近いです」

「では、目的は研究か」

「研究だけではないかと」

 

 フィーネが答えた。

 

「なぜ」

「研究だけなら、ここまで商人網を使って長期に温存する理由が薄いです。資金、物資、人員、身分偽装、学院内の動線、遠征日程への干渉。これは、観測だけでなく、条件を作る側へ踏み込んでいます」

「条件を作る」

「はい。殿下と私を、ただ見ていたのではなく、動かそうとしている可能性があります」

 

 広間の空気がさらに沈んだ。

 騎士団長が低く唸る。

 宰相は目を閉じ、何かを計算している。

 兄上は黙っている。

 父上は、フィーネから目を逸らさない。

 

「お前は」

「はい」

「自分が、その条件の一部だった可能性を理解しているか」

「理解しております」

 

 即答だった。

 

「怖くないか」

「怖いです」

「なら、下がるか」

「いいえ」

 

 フィーネは迷わなかった。

 

「私の過去が、殿下と帝国への危険として使われるなら、知らないまま下がる方が怖いです」

「帝国、と言ったな」

「はい」

「レオンハルトだけではなく」

「はい」

 

 父上の目が、少しだけ鋭くなる。

 

「理由は」

「折れ羽根が皇族の血筋に異常な執着を持つ組織であるなら、狙いは殿下個人に留まりません。第一皇子殿下、他の皇族、将来的には帝国の継承秩序にも影響します」

「……」

 

 父上は黙った。

 短い沈黙だったが、広間全体がその沈黙を待った。

 

「レオンハルト」

 

 今度は俺に向く。

 

「はい」

「お前はどう見る」

「面倒です」

「それは感想だ」

「感想も大事だろ」

「見解を言え」

 

 父上は容赦がない。

 仕方なく、俺は息を吐いた。

 

「黒鴉商会を潰して終わりじゃない。クラウスもヨナスも番頭も、たぶん末端か中継です。商会長を捕まえても、上が残る。十二年分の記録があるなら、十年前の解体後からずっと、どこかで残っていた」

「続けろ」

「目的はまだ分からない。だが、俺とフィーネを見ているなら、俺たちを放っておけば次も仕掛けてくる。なら、待つよりこっちから探す方が早い」

「お前らしいな」

「褒めてるか?」

「呆れている」

「ですよね」

 

 父上は肘掛けに指を置いた。

 軽く一度叩く。

 それだけで、記録官の筆が止まりかけた。

 

「折れ羽根は、十年前に潰した」

 

 父上の声が、広間に落ちる。

 

「だが残っていた。商人網を使い、学院に触れ、皇族を観測し、魔物誘引に関与した可能性がある。これは宮廷内の派閥争いではない。学院の管理不備でもない」

 

 父上は、俺を見る。

 

「帝国への攻撃だ」

 

 その言葉は、重かった。

 

 帝国への攻撃。

 言い換えれば、俺は被害者で終わらない。

 皇族として、対応する側に立つ。

 

 退屈だから奴隷市へ行った。

 対等な相手が欲しくてフィーネを拾った。

 面白がって、与えて、引き上げて、隣へ置いた。

 その全部が、今ここで帝国の事件に繋がっている。

 

 正直、かなり面倒だ。

 だが、逃げる気はなかった。

 

「エドゥアルト」

 

 父上が言う。

 

「はい」

「本件の公式総指揮をお前に置く。法務、軍務、本宮兵、騎士団、記録院との調整はお前が統べろ」

「承知しました」

「宰相」

「はっ」

「関連する商務院、戸籍院、債務裁定所の記録を開け。黒鴉商会と関係を持つ貴族家の名も洗え」

「御意」

「騎士団長」

「はっ」

「北方旧街道、皇都北門、黒鴉商会関連倉庫の警備線を引き直せ。学院周辺は表立って騒がせるな」

「承知」

 

 そして父上は、俺を見た。

 

「レオンハルト」

「はい」

「お前を、折れ羽根に関する皇族側責任者に任じる」

「……」

 

 ん?

 

「父上」

「何だ」

「今、何と?」

「折れ羽根に関する皇族側責任者に任じる、と言った」

「聞き間違いじゃなかった」

「残念だったな」

 

 いや、残念とかそういう話か?

 

「兄上が総指揮なら、俺いらなくないか」

「いる」

「なぜ」

「お前が当事者だからだ」

「被害者なら保護される側では?」

「お前は保護下に置けば勝手に出る」

「……」

「否定するか」

「しない」

「なら最初から役を与えた方が早い」

 

 父上、雑じゃないか?

 いや、雑に見えて合理的なのが腹立つ。

 

「公式総指揮はエドゥアルト。だが現場での判断、少数行動、突発対応についてはお前に任せる」

「現場指揮?」

「そうだ」

「俺が?」

「そうだ」

「父上」

「何だ」

「人選ミスでは」

「お前が自覚している分、まだましだ」

 

 広間の端でエルヴィナが小さく笑った気配がした。

 この魔術師、あとで覚えてろ。

 

「レオンハルト」

 

 父上の声が少し低くなる。

 

「これは退屈しのぎではない」

「分かってる」

「私怨でもない」

「……分かってる」

「お前が選んだ者を守るだけでもない」

「分かってる」

 

 今度は、はっきり言った。

 

「ならよい」

 

 父上は頷き、次にフィーネへ目を向けた。

 

「フィーネ・エレノアス」

「はい」

「お前には、第三皇子付被後見人として、本件の記録・分析担当を暫定的に命じる」

「……私が、正式に、ですか」

「暫定だ」

「承知しております。ですが、私の立場では」

「足りぬな」

「……はい」

 

 父上はあっさり言った。

 

「被後見人という立場では、触れられる記録、命じられる人員、出入りできる場所に制限が出る」

「はい」

「だが今は間に合わせる。お前の役割は、記録の照合、証拠の複数保管、分析、現場におけるレオンハルトの補佐。必要な閲覧権は、第三皇子名義と宮廷魔術師長の後見で通す」

 

 フィーネは一瞬だけ目を伏せ、それから深く一礼した。

 

「拝命いたします」

「エルヴィナ」

 

 父上が呼ぶ。

 

「はい」

 

 宮廷魔術師長はいつもの無愛想な顔で前へ出た。

 

「お前が魔術面の後見に立て。誘引香、観測記録、折れ羽根式術式の解析を担え」

「御意。ただし」

「ただし?」

「この二人の無茶を管理する職務まで含むなら、人員と睡眠時間の確保権限もいただきます」

「おい」

「何だ、レオンハルト殿下」

「父上の前で何を請求している」

「必要なものを」

「みんなそれを言う」

 

 父上が珍しく、ほんの少し口元を動かした。

 

「許可する」

「父上!?」

「フィーネ・エレノアス」

「はい」

「睡眠を削るな」

「……善処します」

「善処ではない。命令だ」

「承知しました」

 

 さすが父上。

 フィーネに命令で寝ろと言える数少ない人間だ。

 いや、俺も言っている。

 聞かれないだけで。

 

「レオンハルト」

「はい」

「お前もだ」

「俺は」

「お前もだ」

「はい」

 

 強い。

 皇帝、強い。

 

 父上は卓上に置かれた封緘書類へ視線を落とした。

 そして、ゆっくりと言う。

 

「本件は、折れ羽根残党による皇族および帝国学院への干渉事件として扱う。ただし、公表は段階的に行う。黒鴉商会は商法違反と禁制触媒流通で押さえる。折れ羽根の名はまだ出すな」

「理由は」

 

 俺が問うと、父上は即答した。

 

「名を出せば、残党が散る」

「もう散ってるかもしれない」

「だからこそ、まだ出さぬ。こちらが全てを把握していないと見せる」

「餌か」

「そうだ」

「父上も性格が悪いな」

「レオン」

 

 兄上が即座に俺を刺した。

 だが父上は気にしていない。

 

「性格が良いだけで帝国は守れぬ」

「名言っぽい」

「茶化すな」

「はい」

 

 フィーネが隣で静かに頷いていた。

 何か感銘を受けた顔をしている。

 

「お前、今のを覚えようとしてるだろ」

「有用かと」

「やめろ。使いどころが怖い」

 

 父上は俺たちのやり取りを見て、しばらく黙った。

 その沈黙は、さっきまでの重い沈黙とは違った。

 見極めるような。

 あるいは、確認するような沈黙。

 

「レオンハルト」

「はい」

「お前は皇位に興味がないな」

「ない」

「即答だな」

「今さら隠しても仕方ないだろ」

「そうだな」

 

 父上は静かに言う。

 

「だが、皇位に興味がないことと、皇族としての責任がないことは別だ」

「……」

「お前はこれまで、自分の周囲を守るために動いてきた。フィーネを拾い、弟妹を守り、学院で騒ぎを起こし、遠征で地竜を討った」

「騒ぎを起こした扱いなのか」

「起こしただろう」

「否定は難しい」

 

 父上の目が、わずかに柔らかくなった気がした。

 

「だが、ここからは帝国を守るためにも動け」

「……父上」

「何だ」

「俺向きじゃない気がする」

「向き不向きではない」

「では?」

「命令だ」

 

 ああ。

 そう来るか。

 

 俺は息を吐いた。

 逃げ道はない。

 いや、逃げる気もない。

 

 隣を見る。

 フィーネがこちらを見ていた。

 灰銀の目。

 揺れていない。

 怖いと言いながら、退かない目。

 

 俺が選んだ。

 それは事実だ。

 なら、その事実を観測記録の文字なんかに潰されてたまるか。

 

「……分かった」

 

 俺は父上へ向き直る。

 

「やる」

「軽いな」

「重く言った方がいいか?」

「いや」

 

 父上は頷いた。

 

「お前は、それでよい」

 

 それでいいのか。

 いや、父上がいいならいいのだろう。

 たぶん。

 

「フィーネ・エレノアス」

 

 父上がもう一度、フィーネを呼ぶ。

 

「はい」

「お前にも言っておく」

「はい」

「レオンハルトの隣に立つなら、今後はお前自身も狙われる」

「承知しております」

「お前の家、弟妹、過去、名。すべて使われる可能性がある」

「承知しております」

「それでも立つか」

 

 フィーネは一拍も置かなかった。

 

「立ちます」

「理由は」

「私が決めたからです」

 

 静かな答えだった。

 

「殿下が私を選んだことを、折れ羽根の記録にしたくありません」

「……」

「私が殿下を選んだことを、誰かの計算にしたくありません」

「……」

「ですので、私が訂正します」

 

 父上が黙る。

 兄上も黙る。

 エルヴィナすら口を挟まない。

 フィーネはまっすぐに言った。

 

「私たちは、観測対象ではありません」

 

 その言葉が、広間に通った。

 

「殿下が選び、私が選び返した関係です」

 

 重い。

 とても重い。

 だが、今回は誰も茶化せなかった。

 父上はしばらくフィーネを見ていた。

 やがて、静かに頷く。

 

「よかろう」

「ありがとうございます」

「だが」

「はい」

「その言葉を、今の立場のまま支え続けるのは難しい」

「……」

 

 フィーネの目がわずかに動いた。

 俺も理解した。

 

 立場。

 肩書き。

 権限。

 被後見人では足りない。

 父上はさっきそう言った。

 

「エドゥアルト」

「はい」

「宰相と協議しろ。フィーネ・エレノアスの公式な扱いについて、早急に案を出せ」

「承知しました」

「父上」

 

 俺は思わず口を挟んだ。

 

「何だ」

「また面倒が増える予感がする」

「予感ではない」

「断言するな」

「増える」

「最悪だ」

 

 フィーネが隣で言う。

 

「殿下」

「何だ」

「私のことですので」

「だから?」

「殿下だけが面倒がるのは不公平かと」

「分配するな」

「対等ですので」

「本当に便利だな、それ」

 

 父上は息を吐いた。

 兄上は額に手を当てた。

 エルヴィナは露骨に面白がっていた。

 

 こうして、俺は折れ羽根に関する皇族側責任者になった。

 兄上が総指揮。

 俺が現場指揮。

 フィーネが記録・分析担当。

 エルヴィナが魔術後見。

 言葉にすると、かなり整っている。

 だが実態は、面倒事の山に正式な札を立てただけである。

 

 それでも。

 札が立った以上、動ける。

 父上は最後に、低く告げた。

 

「折れ羽根を、二度目は残すな」

「はい」

 

 兄上が答えた。

 フィーネも頭を下げる。

 俺も、少し遅れて頷いた。

 

「了解」

 

 父上の眉が動いた。

 

「言葉」

「……承知しました」

 

 フィーネが隣で小さく息を吐いた。

 

「殿下」

「何だ」

「努力目標、失敗です」

「まだ始まったばかりだろ」

「前途多難ですね」

「お前もな」

 

 その時だけ、ほんの少し。

 父上の目が笑った気がした。

 

 

   ***

 

 

 広間を出ると、廊下の空気がやけに軽く感じた。

 いや、軽いわけがない。

 むしろ肩には正式な責任が落ちている。

 折れ羽根に関する皇族側責任者。

 現場指揮。

 帝国への攻撃。

 どれもこれも、十五歳の第三皇子に投げるには重すぎる。

 

「おめでとう、レオン」

 

 兄上が隣で言った。

 

「呪いみたいに言うな」

「公的責任を得た」

「やっぱり呪いじゃないか」

「君が逃げる前に、形を与えられたとも言う」

「兄上も父上も、俺を何だと思ってる」

「放っておくと勝手に動く弟」

「正しいな」

「認めるのか」

 

 フィーネが静かに一礼した。

 

「殿下」

「何だ」

「ご就任、おめでとうございます」

「お前まで言うな」

「正式な肩書きですので」

「嬉しくない」

「ですが、必要です」

「便利な言葉だな」

「最近、特に」

 

 エルヴィナが後ろから歩いてくる。

 

「お二人とも、まず寝なさい」

「今から?」

「今から」

「帳簿は」

「私が見ます」

「父上の命令は」

「睡眠時間の確保権限を得ました」

「お前、さっそく使う気か」

「ええ」

 

 エルヴィナは淡々と言った。

 

「あなた方は、寝不足で動くと判断が荒くなります」

「俺は分かるが、フィーネも?」

「彼女は寝不足でも動けるでしょう。問題は、動けてしまうことです」

「なるほど」

「納得しないでください、殿下」

 

 フィーネが少しだけ不服そうに言った。

 珍しい。

 

「フィーネ」

「はい」

「父上の命令だ」

「……はい」

「寝ろ」

「殿下もです」

「分かってる」

「本当に?」

「たぶん」

「信用できません」

「お前もな」

 

 兄上が前を向いたまま言う。

 

「二人とも、監視をつけようか」

「やめろ」

「必要なら」

「兄上までそれを言うな」

 

 だが、少し笑えた。

 笑える状況ではないのに、笑えた。

 

 正式な責任。

 折れ羽根。

 帝国への攻撃。

 フィーネの立場の整備。

 逃げた商会長。

 十二年分の観測記録。

 面倒は、山ほどある。

 

 けれど、隣にはフィーネがいる。

 前には兄上がいる。

 後ろにはエルヴィナとガレスがいる。

 父上は、俺たちに札と権限を与えた。

 

 なら、動ける。

 

「殿下」

 

 フィーネが呼ぶ。

 

「何だ」

「父帝陛下のお言葉ですが」

「どれ」

「性格が良いだけで帝国は守れぬ、という」

「やっぱり覚えてたか」

「はい」

「使うなよ」

「状況次第で」

「怖い」

 

 フィーネはほんの少しだけ口元を和らげた。

 

「ですが、殿下」

「ん?」

「私は、殿下の性格が悪くないところも、帝国を守るのに必要だと思います」

「……急に何だ」

「事実ですので」

「便利だな、その言葉」

「はい」

 

 廊下の窓から、厚い雲の切れ間が見えた。

 細い光が、本宮の白い石床に落ちている。

 

 退屈が恋しい。

 それは本当だ。

 だが、もう戻れない。

 たぶん最初から、戻るつもりもなかった。

 

 俺はフィーネを見る。

 灰銀の目が、まっすぐこちらを見返す。

 

「行くか」

「どちらへ?」

「まず寝る」

「賢明です」

「その後、折れ羽根を掘る」

「承知しました」

「その前に」

「はい」

「お前の立場の話も出る」

「……はい」

 

 フィーネの声が少しだけ静かになる。

 重くなるのではなく、深くなる。

 

「怖いか」

「少し」

「そうか」

「ですが」

「ですが?」

「殿下の隣に立つための面倒なら、歓迎します」

「俺は歓迎しない」

「では、私が半分引き受けます」

「対等だからか?」

「はい」

 

 予想通りの返答だった。

 俺は思わず笑った。

 

 折れ羽根に関する皇族側責任者。

 帝国を守るための現場指揮。

 ついに退屈どころか、公的責任まで降ってきた。

 

 面倒だ。

 本当に面倒だ。

 

 でもまあ。

 

 俺が選んだ相手が隣で同じ面倒を半分持つと言うのなら、

 もう少しだけ、皇族らしいことをしてやってもいいかもしれない。

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総合評価:6495/評価:8.78/連載:15話/更新日時:2026年05月14日(木) 21:50 小説情報


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