すべてを失って身売りした少女にすべてを与えてみた結果   作:ヤンデレすこすこ侍

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第二十五話

 翌朝。

 

 俺は、意外にも寝た。

 寝た、というより寝かされた。

 

 父上の命令と、エルヴィナの権限と、ガレスの無言の圧によって、半ば強制的に寝室へ押し込まれたのである。

 

 皇族なのに。

 第三皇子なのに。

 折れ羽根に関する皇族側責任者なのに。

 

 寝ろと言われて寝た。

 

「屈辱だ」

 

 朝の支度をしながら、俺はそう呟いた。

 

「健康的でございます」

 

 ガレスが淡々と返す。

 

「屈辱と健康は両立するのか」

「殿下の場合、特に」

「どういう意味だ」

「平素より不健康な判断をなさる傾向がございますので」

「減俸するぞ」

「睡眠不足の殿下より、今朝の殿下の方が反応が遅うございます」

「寝起きなんだよ」

 

 そんなやり取りをしていると、扉が叩かれた。

 

「入れ」

 

 入ってきたのはフィーネだった。

 いつも通り身支度は整っている。

 灰銀の髪も乱れていない。

 背筋も伸びている。

 ただ、目元で分かる。

 

「お前、寝たか」

「はい」

「何刻」

「……」

「おい」

「必要量は」

「数字で言え」

「二刻半ほど」

「足りない」

「殿下は?」

「俺の話はしていない」

「対等ですので」

「便利だな、それ」

 

 フィーネは一礼し、静かに俺の前へ進んだ。

 手には紙束がある。

 また紙だ。

 こいつは寝ても起きても紙を持っている。

 

「殿下」

「なんだ」

「本宮より呼び出しです」

「早いな」

「はい」

「昨日、寝ろって言った連中が翌朝呼び出すの、矛盾してないか」

「必要ですので」

「またそれか」

「今回は本当に」

 

 フィーネの声は落ち着いていた。

 だが、わずかに硬い。

 俺は紙束を見る。

 

「内容は」

「私の立場について、とのことです」

 

 ああ。

 来たか。

 

 昨日、父上が言った。

 フィーネ・エレノアスの公式な扱いについて、早急に案を出せ、と。

 

 被後見人では足りない。

 記録へ触れるにも、人員を動かすにも、命令系統へ入るにも、今の立場では弱すぎる。

 つまり今日は、その面倒な話だ。

 

「……面倒だな」

「私のことですので」

「だから面倒じゃないとはならん」

「では、半分ほど私が引き受けます」

「そういう話でもない」

 

 フィーネは少しだけ目を伏せた。

 

「殿下」

「何だ」

「この件で、殿下が嫌な顔をされる理由は分かります」

「そうか」

「また私に何かを与える形になるからですね」

 

 図星だった。

 俺は言葉を返しかけて、止まる。

 ガレスが部屋の隅で、わずかに目を細めた。

 余計なことは言わないが、聞いている顔だ。

 

「……まあな」

 

 俺は素直に認めた。

 

「身分も、財産も、教育も、名前も。俺はお前に色々与えた」

「はい」

「今度は爵位かもしれない」

「はい」

「対等どころか、ずっと俺が渡す側じゃないか」

 

 言ってから、少しだけ居心地が悪くなった。

 これは俺の勝手な感傷だ。

 フィーネに聞かせるべきことではなかったかもしれない。

 

 だが、フィーネは静かに言った。

 

「殿下」

「何だ」

「殿下が置くのは、階段です」

「階段?」

「はい」

 

 彼女はまっすぐ俺を見る。

 

「登る足は、私のものです」

「……」

 

 重い。

 けれど、逃げ道のない正論だった。

 

「それに」

「それに?」

「いただいたものを、いただいたままにするつもりはございません」

「お前らしいな」

「殿下がくださったもの全部、軽かったことにしないために」

「朝から重い」

「本日は重要案件ですので」

「案件で重さを調整するな」

 

 フィーネはほんの少しだけ口元を和らげた。

 それを見て、俺は息を吐く。

 

「分かった。行くか」

「はい」

「ただし」

「はい」

「嫌なら嫌と言え」

「言います」

「本当か」

「言う必要がある場合は」

「その条件が怪しい」

「殿下ほどでは」

「最近その返し、流行ってるのか?」

 

 ガレスが静かに扉を開ける。

 

「殿下」

「何だ」

「本宮へ向かわれるのでしたら、顔を整えてから」

「そんなにひどいか」

「面倒だな、が顔全体に出ております」

「もう手遅れじゃないか」

「左様でございます」

 

 ひどい。

 

 

   ***

 

 

 本宮の会議室は、昨日ほど重くはなかった。

 いや、重いには重い。

 だが、昨日の石造りの広間のような、帝国全体がのしかかってくる感覚ではない。

 今日の部屋は、もう少し実務寄りだった。

 

 長卓。

 書類。

 封蝋。

 控える記録官。

 そして、顔ぶれ。

 

 兄上。

 宰相。

 騎士団長。

 エルヴィナ。

 それから、第二皇女アリサ姉上。

 

 うわ。

 やっぱり重い。

 

「レオン」

 

 兄上が穏やかに言った。

 

「よく眠れたかい」

「兄上」

「何だ」

「寝かせた翌朝に呼び出すのは、どうなんだ」

「必要だからね」

「みんなそれを言う」

「便利だろう?」

「兄上まで使うな」

 

 アリサ姉上がくすりと笑った。

 

「顔色は昨日よりいいわね」

「姉上まで」

「本当のことよ。フィーネさんも」

「ありがとうございます」

 

 フィーネは静かに一礼した。

 その礼を見て、宰相の目が少しだけ動いた。

 さすがだ。

 こういう人間は、礼の角度ひとつで相手を測る。

 

「では始めよう」

 

 兄上が言う。

 声が第一皇子のものへ変わった。

 

「議題は、フィーネ・エレノアスの公式な扱いについてだ」

 

 記録官の筆が動き始める。

 かり、と乾いた音が響いた。

 

「現状、フィーネ殿は第三皇子付被後見人。昨日の父上の裁可により、折れ羽根関連記録の分析担当を暫定的に命じられている」

「はい」

 

 フィーネが答える。

 

「だが、このままでは問題がある。第一に、閲覧権。第二に、命令権。第三に、責任の所在」

 

 兄上は指を一本ずつ折る。

 

「閲覧権は、現状ではレオンの名義とエルヴィナ殿の後見で通している」

「借り物ですね」

 

 フィーネが静かに言った。

 

「その通りだ」

 

 兄上が頷く。

 

「命令権についても同様。記録官や学院事務、騎士団補助員へ指示を出す場合、形式上はレオンまたは本宮の誰かの命令となる」

「つまり、私の判断で動かしても、責任は殿下へ流れます」

「そうなる」

 

 俺は腕を組んだ。

 

「それが駄目なのか」

「駄目だ」

 

 即答したのは宰相だった。

 白髪交じりの細い男で、声はやたら乾いている。

 

「殿下が全責任を負う形は、短期ならば通ります。しかし長期調査では危険です」

「危険?」

「殿下が庇護している少女が、殿下の名で記録を開き、人を動かし、判断を下す。これでは、反対派にとって格好の攻撃材料になります」

「反対派」

「第三皇子が元奴隷の少女に公的権限を流している、と」

 

 部屋の空気が少しだけ硬くなった。

 元奴隷。

 その言葉は事実だ。

 だが、こういう場で出ると、それだけで刃物になる。

 

 俺が口を開きかけるより早く、フィーネが言った。

 

「事実です」

 

 宰相が彼女を見る。

 

「ほう」

「私は元奴隷です。殿下に救われ、解放され、身分を整えられ、第三皇子付被後見人となりました」

「……」

「ですので、その事実を攻撃材料にされることは避けられません」

 

 静かな声だった。

 揺れがない。

 

「ですが、事実を隠すための身分なら不要です」

「では、何のために必要だと?」

「責任を、私自身の名で負うためです」

 

 宰相が黙った。

 兄上は少しだけ目を細める。

 エルヴィナは、興味深そうにフィーネを見ていた。

 アリサ姉上は穏やかな顔のまま、何も言わない。

 

 フィーネは続けた。

 

「私の格を上げるためではありません」

「……」

「殿下の隣に立つに足る独立性を作るための、制度的整備です」

 

 重い。

 また重い。

 だが、今回は実務的な重さだった。

 恋だの執着だのではなく、制度の話として、彼女は自分の立ち位置を言葉にした。

 

「……お前」

 

 俺は思わず言った。

 

「難しい言い方、上手くなったな」

「必要でしたので」

「褒めてる」

「ありがとうございます」

「今回は本当に褒めてる」

「では、後で記録しておきます」

「記録するな」

 

 宰相が小さく咳払いをした。

 たぶん笑いそうになったのを誤魔化したのだろう。

 いや、そう思いたい。

 

「案は三つあります」

 

 宰相が書類を開いた。

 

「第一案。現状の被後見人のまま、特例閲覧権を拡張する」

「却下だな」

 

 俺が言うと、兄上が頷いた。

 

「早いな」

「借り物のままってことだろ」

「そうだ」

「なら駄目だ」

 

 フィーネが俺を見る。

 

「殿下」

「何だ」

「判断が早すぎます」

「お前の真似だ」

「光栄です」

「そこで光栄に思うな」

 

 宰相は続ける。

 

「第二案。既存貴族家への養子縁組」

「それも駄目」

 

 今度はフィーネが即答した。

 宰相の眉が少し動く。

 

「理由は」

「私の判断が、その家の利害に結びつきます」

「……」

「また、殿下の隣に立つための独立性を得るはずが、別の家の所属になるだけです」

「正しい」

 

 兄上が静かに言った。

 

「加えて、その家を誰にするかで政治問題になる」

「宰相家でも騎士団長家でも公爵家でも、角が立つわね」

 

 アリサ姉上が柔らかく補足する。

 

「どこへ置いても、誰がフィーネさんを取ったかという話になるわ」

「物みたいに言うな」

「物みたいに扱う人が出る、という話よ」

「……それはそうだな」

 

 嫌な話だ。

 だが、正しい。

 

 フィーネは俺を見ずに言った。

 

「私は、殿下の所有物ではありません」

「ああ」

「同時に、どこかの家の駒にもなりません」

「……」

「そう扱われないための身分なら、受けます」

 

 そうか。

 この話は、褒美でも出世でもない。

 フィーネが誰かに所有されないための札なのだ。

 

 俺が最初に奴隷市で拾った時、縛った時点で対等じゃないと思った。

 だから解放した。

 だが、社会の中では解放しただけでは足りない。

 制度が、人をまた別の形で縛る。

 なら、その制度の中に、フィーネ自身の足場を作る必要がある。

 

「第三案」

 

 宰相が紙を一枚、卓上に置いた。

 

「一代限りの独立爵位。準男爵相当。領地なし。世襲なし。財務は第三皇子宮および本宮特務費より別枠。職務は、折れ羽根関連調査における記録分析、証拠保管、第三皇子現場指揮の補佐。必要に応じて学院・記録院・魔術院への限定閲覧権を持つ」

「準男爵相当」

 

 俺は繰り返した。

 

「帝国法に明確な準男爵階はないだろ」

「ありません」

 

 宰相が即答する。

 

「ですので、相当です。慣例上、男爵未満、平民以上。宮廷任務に伴う一代資格として処理します」

「便利だな、相当」

「便利です」

「宰相まで」

 

 騎士団長が低く言う。

 

「軍務上は、命令系統を明文化していただきたい」

「そこは重要か」

「重要です。フィーネ殿が騎士団員へ直接命令できる範囲、報告義務、現場での優先順位。曖昧なら混乱します」

「面倒だな」

「戦場で曖昧な命令は人を殺します」

「……分かった」

 

 それは茶化せない。

 フィーネも静かに頷く。

 

「騎士団への命令権は不要です」

「不要?」

「私は戦闘指揮官ではありません。必要なのは、記録・証拠・魔術解析に関わる人員への指示権です」

「だが現場で」

「現場で騎士団が必要な場合は、殿下または正式な騎士団指揮官を通します」

「……」

 

 騎士団長の目が、少しだけ変わった。

 

「自分で権限を削るのか」

「責任を負えない権限は、邪魔ですので」

「なるほど」

 

 騎士団長は短く頷いた。

 

「騎士団としては、その整理なら受け入れやすい」

 

 エルヴィナが口を開く。

 

「魔術院については、私の後見を併記すれば通ります」

「お前が保証するのか」

「ええ」

 

 エルヴィナはフィーネを見た。

 

「この娘に術式記録を読ませない方が損です」

「損得で保証するな」

「魔術師なので」

「便利だな、それも」

 

 兄上が俺へ視線を向けた。

 

「レオン」

「何だ」

「君はどう見る」

「俺?」

「君の名も関わる」

 

 俺は卓上の案を見る。

 

 一代限り。

 準男爵相当。

 独立爵位。

 フィーネ・エレノアス。

 奴隷市で買った少女。

 離宮の客人。

 第三皇子付被後見人。

 そして、今度は自分の名で責任を負う立場。

 

 階段。

 さっきフィーネが言った言葉が、頭に残る。

 

 俺が置くのは階段。

 登る足は、彼女のもの。

 

「……いいんじゃないか」

 

 俺は言った。

 

「軽いな」

 

 兄上が呟く。

 

「重く言えばいいのか?」

「いや」

「俺は反対しない。むしろ、必要だと思う」

「理由は」

「フィーネが俺の名で動くより、フィーネの名で動いた方がいい」

「それだけか」

「それだけじゃない」

 

 俺はフィーネを見る。

 

「こいつを、俺の影にしたくない」

 

 部屋が少しだけ静まった。

 言ってから、自分で少し驚いた。

 こんなことを口にするつもりはなかった。

 だが、言ったなら仕方ない。

 

「俺が拾った。俺が与えた。俺が守る。そういう話だけなら、楽だ」

「……」

「でも、それじゃ対等じゃない」

「レオン」

 

 兄上の声が少し柔らかくなった。

 俺は続ける。

 

「こいつが自分の名で責任を負うなら、その方がいい。面倒でも、その方がずっといい」

「……そうか」

 

 フィーネは黙っていた。

 見ると、目元が少しだけ揺れている。

 

「何だ」

「いえ」

「何か言え」

「今言うと、たぶん重くなります」

「なら後にしろ」

「はい」

「本当に後にしろよ」

「善処します」

「信用できない」

 

 アリサ姉上が楽しそうに笑った。

 

「では、社交面の話をしましょうか」

「まだあるのか」

「当然あるわ」

 

 当然。

 また当然か。

 

 

   ***

 

 

 社交面の話は、さらに面倒だった。

 場所は同じ会議室だが、空気が少し変わった。

 堅い実務から、柔らかい棘の世界へ移る。

 

 追加で入ってきたのは二人。

 リリアーヌ。

 宰相家の娘。

 扇で口元を隠し、くすりと笑う令嬢。

 そしてセレスティア。

 騎士団長家の次女。

 柔らかい声音に針を仕込むタイプの女だ。

 

「なぜこの二人が」

「社交と騎士団家筋の反応を見るためよ」

 

 アリサ姉上が当然のように言う。

 

「姉上、手回しが良すぎないか」

「昨日の時点でこうなると思っていたもの」

「怖い」

「あなたが言うの?」

 

 言えない。

 リリアーヌはフィーネを見て、優雅に一礼した。

 

「ごきげんよう、フィーネ様」

「様?」

「もう先取りしておいた方がよろしいでしょう?」

「まだ決まっておりません」

「決まる前から呼ばれる練習も必要ですわ」

 

 フィーネは少しだけ考えた。

 

「では、練習として受け取ります」

「まあ」

 

 リリアーヌが扇の奥で笑う。

 

「相変わらず正面から受けますのね」

「避ける理由がありませんので」

「そういうところ、嫌いではありませんわ」

 

 セレスティアは、もう少し現実的だった。

 

「準男爵相当となれば、学院内の扱いも変わります」

「そうだな」

「元奴隷、被後見人、第三皇子の隣、折れ羽根調査担当、独立爵位。話題が多すぎます」

「聞くだけで面倒だ」

「ええ。ですから、どれを先に見せるかが重要です」

 

 フィーネが頷く。

 

「最初に見せるべきは、職務です」

「理由は?」

「身分だけを先に見せれば、殿下からの寵愛や褒美と受け取られます」

「実際、そう言う者は多いでしょうね」

 

 リリアーヌが言う。

 

「元奴隷の少女を、第三皇子殿下が準男爵に押し上げた。お茶会三回分では足りませんわ」

「お前ら、お茶会で何を話してるんだ」

「殿下のご想像より品よく、殿下のご想像より残酷なことです」

「聞きたくないな」

 

 フィーネは静かに答えた。

 

「でしたら、先に職務で動きます」

「職務?」

「折れ羽根関連の記録整理、学院協力者の切り分け、証拠保全。私が何のためにその立場を得たかを、先に事実として置く」

「なるほど」

 

 セレスティアが目を細めた。

 

「称号より仕事を先に走らせる」

「はい」

「噂が追いつく前に実績を置く」

「はい」

「……厄介ですね」

「褒め言葉として受け取ります」

「ええ、褒めています」

 

 俺は少しだけ口元が緩む。

 フィーネはもう、叙位そのものに浮かれていない。

 喜んでいないわけではないのだろう。

 だが、彼女にとって爵位は飾りではなく、使う道具だ。

 

 俺が与えるものではない。

 彼女が使うものだ。

 

「フィーネさん」

 

 アリサ姉上が声をかける。

 

「はい」

「怖い?」

「はい」

 

 即答だった。

 部屋の空気が少しだけ止まる。

 フィーネは続けた。

 

「怖いです。私自身ではなく、私の名が殿下に不利益を運ぶことが」

「……」

「ですが、怖いからといって、殿下の名の影に隠れ続ける方が、もっと危険です」

「そう」

「ですので、受けます」

 

 リリアーヌが扇を少し下げた。

 セレスティアも、まっすぐフィーネを見る。

 

「では」

 

 アリサ姉上は穏やかに言った。

 

「礼はどうするの?」

「礼、ですか」

「叙位を受ける時、膝をつく? 深く頭を下げる? それとも、立ったまま受ける?」

 

 細かい。

 だが、たぶん大事なのだろう。

 

 フィーネは一瞬だけ考えた。

 それから俺を見ないまま答える。

 

「膝は、つきません」

 

 俺は息を止めかけた。

 

「理由は?」

 

 アリサ姉上が問う。

 

「これは、私が殿下へ従属するための身分ではありません」

「……」

「父帝陛下と帝国に礼は尽くします。ですが、ここで膝をつけば、私はまた誰かに拾われたものとして見られます」

「そうね」

「ですので、頭を下げます。深く。ですが、立ったまま受けます」

 

 重くない。

 いや、重いのだが。

 その重さは、まっすぐ前へ進むためのものだった。

 

 アリサ姉上は、満足そうに微笑んだ。

 

「いいと思うわ」

「ありがとうございます」

「レオンも、そう思うでしょう?」

「……ああ」

 

 俺は短く答えた。

 

「それがいい」

 

 フィーネの目が少しだけ動いた。

 けれど、彼女は何も言わなかった。

 言えば重くなると分かっているのだろう。

 

 成長している。

 たぶん。

 

 

   ***

 

 

 結論は、その日のうちに出た。

 早い。

 いや、昨日から全部が早い。

 

 本宮の裁可室で、兄上が仮叙任状を読み上げた。

 父上本人は姿を見せなかった。

 だが、書面には皇帝印が押されている。

 それだけで十分すぎる。

 

「フィーネ・エレノアス」

 

 兄上の声が響く。

 

「はい」

 

 フィーネは一歩前へ出た。

 俺はその斜め後ろに立っている。

 隣ではない。

 少しだけ後ろだ。

 この瞬間、前に出るのは彼女だからだ。

 

「汝に、一代限りの独立爵位、準男爵相当の資格を暫定付与する。領地、世襲権は伴わず。ただし、折れ羽根関連調査における記録分析、証拠保全、魔術解析補助、第三皇子現場指揮補佐に関する限定権限を認める」

 

 記録官の筆が走る。

 

「正式叙位は後日、父帝陛下の御前にて行う。本状はその仮裁可である」

「承知しました」

 

 フィーネは頭を下げた。

 深く。

 丁寧に。

 

 だが、膝はつかなかった。

 その背筋は真っ直ぐで。

 灰銀の髪は静かに揺れ。

 彼女は誰の所有物でもなく、誰かの影でもなく、フィーネ・エレノアスとしてそこに立っていた。

 

 宰相がわずかに目を細める。

 騎士団長が頷く。

 エルヴィナは面白そうに口元を歪める。

 アリサ姉上は、ただ穏やかに見守っていた。

 

 兄上が言う。

 

「フィーネ・エレノアス。受けるか」

「受けます」

 

 迷いはなかった。

 

「ただし」

 

 フィーネは顔を上げる。

 

「これは褒賞ではなく、責務として受けます」

「分かっている」

「私の格を飾るためではなく、殿下の隣で私自身の名を使うために」

「分かっている」

 

 兄上は少しだけ笑った。

 

「君は本当に、言葉を軽くしないな」

「軽く扱いたくありませんので」

「そうだろうね」

 

 仮叙任状が渡される。

 フィーネは両手で受け取った。

 

 紙一枚だ。

 ただの紙一枚。

 だが、その紙の重さを、今は誰も笑えなかった。

 

「殿下」

 

 フィーネが振り向く。

 

「何だ」

「受けました」

「ああ」

「使います」

「知ってる」

「返します」

「それも知ってる」

「では」

「では?」

 

 彼女はほんの少しだけ微笑んだ。

 

「最後まで責任を持ってくださいね」

「結局それか」

「はい」

「重い」

「本日は少しだけ、正当かと」

「まあな」

 

 俺は笑った。

 

「今回は、許す」

「ありがとうございます」

「ただし、睡眠は削るな」

「……善処します」

「そこは断言しろ」

「殿下も」

「またそれか」

「対等ですので」

 

 兄上が額に手を当てた。

 

「叙位の場でその会話をするのか、君たちは」

「兄上」

「何だ」

「たぶん一生こうだ」

「……そうか」

「諦めるな」

「諦めてはいない。受け入れただけだ」

 

 ひどい。

 

 

   ***

 

 

 その夕方。

 離宮へ戻ったフィーネは、仮叙任状を机の中央に置いた。

 

 普通なら飾る。

 眺める。

 喜ぶ。

 あるいは感慨に浸る。

 

 だが、フィーネは違った。

 彼女は仮叙任状の隣に、新しい紙を広げた。

 

「殿下」

「何だ」

「最初の仕事を始めます」

「今日くらい浸れ」

「後で」

「本当に後でやるんだな?」

「善処します」

「やらないやつだ」

 

 フィーネは筆を取った。

 その手つきはいつも通り正確で、迷いがない。

 

「何を書く」

「学院内の協力者候補です」

「もう次か」

「はい」

 

 白い紙の上に、彼女は最初の名を書いた。

 

 セレナ・ヴィルヘルミナ。

 次に、ルシアン・グラーツ。

 その下で、一度筆が止まる。

 

「殿下」

「何だ」

「学院は、宮廷の縮図です」

「だろうな」

「でしたら、私がこの立場を使う最初の場として最適です」

「お前、爵位を得たその日に学院を教材扱いするのか」

「最良の演習場ですので」

「怖い」

 

 フィーネは少しだけ口元を和らげた。

 だが、目は真剣だった。

 

「殿下」

「ん?」

「私は、いただいたものを飾りません」

「ああ」

「使います」

「知ってる」

「殿下の隣に、私の名で立つために」

「……ああ」

 

 窓の外は夕暮れだった。

 皇都の屋根が赤く染まり、本宮の尖塔が遠く光っている。

 

 昨日まで、フィーネは第三皇子付被後見人だった。

 今日からは、まだ暫定とはいえ、フィーネ・エレノアスという名で帝国の記録に線を引く。

 

 奴隷市の檻にいた少女が。

 俺の退屈しのぎで拾われた相手が。

 与えられたものを全部使って、今度は自分の足で制度の中へ踏み込んでいく。

 

 面倒だ。

 本当に面倒だ。

 

 だが、悪くない。

 

「フィーネ」

「はい」

「次の名前、誰だ」

「第二皇女アリサ殿下」

「姉上も入れるのか」

「当然です」

「当然か」

「はい。その後、リリアーヌ様、ベンノ様」

「ベンノ?」

「討論会で一度負けておりますので、扱いやすいかと」

「お前、さらっと怖いこと言うな」

「必要ですので」

 

 筆が進む。

 白紙の上に、名が増えていく。

 

 協力者。

 保留。

 敵対。

 要観察。

 

 フィーネ・エレノアス準男爵相当。

 その最初の仕事は、自分の名で学院という小さな宮廷を切り分けることだった。

 

 俺はその横顔を見る。

 

「退屈じゃないな」

「はい」

 

 フィーネは筆を止めずに答えた。

 

「殿下」

「何だ」

「私が申し上げた通りです」

「何が」

「あなたの人生、飽きさせませんので」

「……本当に、限度は覚えろよ」

「善処します」

「信用できないな」

「では、最後まで見張っていてください」

「急に重くするな」

 

 フィーネはほんの少しだけ笑った。

 その笑みは、奴隷市で見た逃げ道のない笑みとは少し違っていた。

 

 重さはある。

 熱もある。

 けれど、今はそこに、自分の足で立つ者の静かな強さが混じっている。

 

 ああ。

 やっぱり、拾う相手を間違えたかもしれない。

 だが、その間違いは今日、帝国の書類に仮の爵位として刻まれた。

 

 返品不可どころか。

 もう、正式登録の手前まで来ている。

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「ぎゅって、して……?」▼「構ってくれないと闇落ちしちゃうよ……?」▼ 高校入学を機に一人暮らしを始めた『御守望』は、青春を勉強とバイトに費やすような限界貧乏生活を送っていた。▼ 幼くして両親を失っている望が頼れる人は、田舎に住む祖父母くらいだが、なるべく負担は掛けたくない。▼ そのため、睡眠時間を犠牲にして死に物狂いで勉強することによって好成績を維持し、入…


総合評価:3912/評価:8.88/連載:71話/更新日時:2026年05月19日(火) 08:07 小説情報

剣聖「騎士団の教官になったから、気合い入れて厳しめに鍛えたら教え子全員殺意マシマシのガンギマリ集団になった」(作者:アスピラント)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

かつて“歴代最強”と謳われた剣聖レクスディア。▼しかしある任務を境に、彼は第一線を退くことを余儀なくされる。全盛期の力を失い、戦場に立てなくなった彼が選んだ第二の道――それは騎士団の教官として、後進を育てることだった。▼「俺の代わりになる騎士を育てる」▼その一心で、かつて自分が受けてきた以上の厳しい鍛錬を課すレクスディア。▼だがその指導は、想像以上の成果を生…


総合評価:4079/評価:8.19/連載:14話/更新日時:2026年05月01日(金) 07:05 小説情報

貞操逆転世界でクールな先輩にオスガキムーブかましてたら普通に押し倒された(作者:しゃふ)(オリジナル現代/恋愛)

残念でもないし当然。


総合評価:4896/評価:8.68/連載:8話/更新日時:2026年03月24日(火) 12:04 小説情報

夢現世界の災凶姫~Disastress in the Parasomnias~(作者:サッドライプ)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

或いは異世界転移して閉じ込められた遺跡ダンジョンで意味深に封印されていた眠り姫を勝手に脳内彼女にしていちゃこらする妄想電波を毎日垂れ流していたら実は意識があったので全部聞かれていた話。▼「はい♪あなた様が言っていた恋人同士の睦み合い、全部ぜーんぶやりましょうね!!」「え゛」▼脱出不可能なダンジョンに放り出されてモンスターとバトるか可愛い美少女を眺めるかしかや…


総合評価:5364/評価:8.8/連載:38話/更新日時:2026年05月13日(水) 23:18 小説情報

分身スキルの最強戦術って自爆特攻じゃね?(作者:sasarax)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

なお、それを何も知らないヒロインの前でやったとする。▼「俺が死んだと思ったって? いやそれ分身だから」▼そんな感じの主人公が周囲の人の脳みそをこんがり焼いたり、美味しいご飯を食べようとしたり、がんばってお金を稼いだり、分身が巻き込まれた事件の後始末をしながら、異世界でゆっくり成り上がっていく物語。▼※カクヨムでも連載中です。


総合評価:4344/評価:8.55/連載:16話/更新日時:2026年05月18日(月) 17:27 小説情報


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