機動戦士ガンダム ムラサメ研究所、廃棄区画(アビス)より愛をこめて   作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった

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深淵の門(フラナガン機関)

結局のところ、世界は巨大なシステムに過ぎない。

歯車が噛み合い、燃料が注がれ、出力が計算される。そこに意志だの希望だのという、数値化不可能な不純物が混じり込むから、歴史という名の設計図はいつも泥にまみれるのだ。

 

私は、その泥を濾過し、純粋な機能(ロジック)だけを取り出したいと考えている。

 

宇宙世紀0079年、冬。サイド3の辺境に位置するフラナガン機関の内部は、不快なほどに「祈り」の濃度が高かった。

照明を落とした観測室。防護ガラスの向こう側では、一人の少女――ララァ・スンが、巨大なサイコミュ・システムの試作型に接続されている。コンソールのモニター群が吐き出す波形は、もはや既存の脳生理学の範疇を軽々と逸脱していた。

 

「……信じられん。これほどとは。彼女は、宇宙そのものと対話している」

 

隣に立つフラナガン博士が、震える声で呟く。彼の瞳に宿っているのは、科学者としての知的好奇心ではない。それは、神の顕現を目撃した巡礼者の畏怖に近かった。

 

私はその光景を、冷徹な軽蔑とともに眺めていた。

フラナガン博士。ジオン公国が「ニュータイプ」というバグを公式に定義するために用意した、最高責任者。だが、彼のやり方はあまりに情緒的で、あまりに非効率だ。彼はララァという個体が持つ「天然の奇跡」を崇拝しているに過ぎない。

 

「博士。感傷はシステムの出力を鈍らせるだけだ。その『対話』とやらを、なぜ数式と薬理の言語に翻訳しようとしない?」

 

私の言葉に、フラナガンは不快そうに顔を歪めた。

 

「ムラサメ君。君にはわからんのか。彼女の脳内で起きているのは、人の意識の拡大……いわば『魂の昇華』だ。これを無理やり数値化し、薬物で制御しようなど、神聖な聖域を泥足で踏み荒らすも同然だぞ」

 

「聖域、か」

 

私は内心で失笑した。

これだからジオンの連中は扱いづらい。ダイクンの思想という名の宗教に脳を焼かれ、自分たちが管理すべき「資源」を、あろうことか拝む対象に変えてしまっている。

私がこのフラナガン機関に招聘されたのは、連邦側への情報提供者としての潜入任務も兼ねていたが、それ以上に、この「ニュータイプ」という不確かなリソースを、いかにして軍事システムへと『国有化』できるかを検証するためだった。

 

私はフラナガンが誇らしげに提示した、被検体への投与レシピを盗み見る。

安直だ。

彼らが使っているのは、あくまで「補助」に過ぎない。

メタンフェタミン……かつて私の母国、日本で合成され、大戦中の兵士たちを不眠不休の狂戦士に変えた「ヒロポン」の系譜。ジオン軍もまた、パイロットの疲労を遮断するためにこれを用いているが、フラナガンはそこに高用量のLSD誘導体を混ぜている。

 

共感覚の発現。

音を色彩として視、光を思念として聴く。

それがサイコミュを動かすための「鍵」だと、彼らは信じている。

だが、その程度のカクテルでは、ララァのような「天然の怪物」ならいざ知らず、凡夫を戦力に変えることはできない。

 

「博士。あなたの言う『聖域』は、あまりに不安定だ。その少女が明日、恋に落ちて戦う意志を失えば、この数千億ガンのシステムはただの鉄屑になる。……そうは思わないか?」

 

「……彼女はそんなことはしない。我々には、ギレン総帥とキシリア少将の期待がかかっているのだ」

 

答えになっていない。

私は視線を、部屋の隅で無言のまま計器を見つめている一人の男、クルスト・モーゼスに移した。

彼はフラナガンの下でEXAMシステムの原型を開発しているが、その横顔には、フラナガンとは対照的な「純粋な恐怖」が刻まれていた。

 

私はクルストに歩み寄り、声を潜めて囁いた。

 

「クルスト君。君には見えているんだろう? あのガラスの向こう側で、少女の皮を被った怪物が、既存の人類を『過去』へと追いやろうとしている光景が」

 

クルストは弾かれたように私を見た。その瞳は、極度の睡眠不足と不安からくる神経過敏によって、異様な光を放っている。

 

「……ムラサメ博士。あなたは、わかってくれるのですか。この力が、人類にとってどれほどの脅威になるかを。あれは……あれは進化などではない。我々を駆逐するための、死神の鎌だ」

 

「ああ、同感だ。だからこそ、その鎌を奪い取り、我々旧人類が握るための『柄』を作らねばならない」

 

私は懐から、自身で精製した一錠の薬を取り出し、彼に握らせた。

クロルプロマジン。

1950年代、精神医学界に革命を起こした最初の抗精神病薬。

ドーパミン受容体を遮断し、過剰な自我と不安を強制的に「沈殿」させる静寂の劇薬だ。

 

「これを飲みたまえ、クルスト君。君の恐怖は、脳内の電気信号のバグに過ぎない。感情という不純物を沈殿させれば、物事はもっとシンプルに見えてくる。……ニュータイプは、殺すべき敵ではない。連邦という巨大なシステムの一部として、完全に管理(国有化)されるべき『部品』なのだよ」

 

クルストは震える手でその錠剤を飲み下した。

数分後。

彼の瞳から、先程までの怯えが消え、平板で無機質な光が宿るのを私は確認した。

これが、私と彼との、そしてムラサメ研究所という名の原罪の、真の握手だった。

 

ララァ・スンという少女が放つ、目も眩むような「光」。

それを、私は羨望でも畏怖でもなく、冷徹な「観測対象」として処理する。

ジオンが英雄として祀り上げるその光を、私は薬剤と数式という名の闇で塗りつぶし、誰もが扱える規格品へと加工するのだ。

 

フラナガンが「神の産声」と呼ぶサイコミュのノイズが、スピーカーから響いている。

私には、それが断末魔にしか聞こえなかった。

人間が、人間という形を保ったまま、システムの部品へと変貌していくプロセスの、最初のノイズだ。

 

「さあ、始めようか。精製工程を」

 

私は心の中で呟き、フラナガンの背後で、自身の秘密日誌の第一頁を閉じた。

ジオンの聖域に足を踏み入れた私は、そこにある全ての「奇跡」を否定し、連邦という名の国家資産へ書き換えるための、最初の一歩を踏み出したのである。

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