機動戦士ガンダム ムラサメ研究所、廃棄区画(アビス)より愛をこめて 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
結局のところ、世界は巨大なシステムに過ぎない。
そして、そのシステムが真に「完成」を見たと言えるのは、単一の工場による独占を終え、規格化された技術が市場全体へ「標準仕様」として行き渡ったときだ。
宇宙世紀0083年、冬。ムラサメ研究所の視察室に、私は一人の男を招き入れていた。
オーガスタ研究所のナカムラ博士。連邦軍内部における私の最大のライバルであり、同時に、この残酷な「国有化」の共同戦線を張るビジネスパートナーだ。
「……素晴らしいな、ムラサメ。君の精製したフォウの脳波データは、もはや芸術の域だ。フラナガンの亡霊どもが見たら、腰を抜かして逃げ出すだろうよ」
ナカムラは、強化薬理によって瞳孔が開いたままのフォウを見下ろし、感嘆の声を上げた。彼の目は、少女の苦痛など見ていない。ただ、そこに刻まれた「出力効率」という名の数値に陶酔しているだけだ。
「お世辞はいい、ナカムラ博士。君のところの『オーガスタ・メソッド』……肉体強化に偏重した野蛮な手法も、一定の成果を上げているとは聞いている。だが、制御不能な『獣』を量産しても、連邦の管理OSには組み込めない。だからこそ、君は私のレシピを欲したのだろう?」
私はデスクの上のデータ・シリンダーを軽く叩いた。そこには、ムラサメ・フォーミュラの三層構造――特に第三層「感情沈殿剤」の配合比率と、記憶の濾過プロセスの詳細が記録されている。
これこそが、強化人間を単なる狂戦士ではなく、兵器としての「規格品」へと昇華させるための妖刀の研ぎ方だ。
「交換条件は覚えているな。オーガスタが独占している重力下での高速機動データの提供、そして、ナミカー・コーネルを通じてのティターンズ中央への技術的ロビー活動だ」
「もちろんだ。……これで、連邦軍の強化人間開発は、ムラサメの『精神漂白』とオーガスタの『肉体改変』という二本の柱で完結する。我々のレシピは、これから連邦全軍の標準(スタンダード)となるのだ」
ナカムラがシリンダーを手に取った瞬間、歴史の歯車が不気味な音を立てて噛み合った。
ムラサメ研究所という閉鎖された聖域の中で磨かれてきた「妖刀」が、今、鞘を抜けて外の世界へと放たれたのだ。
この技術流出は、何を意味するか。
それは、今後連邦軍の各拠点で調整されるすべての強化人間たちが、ムラサメの刻印を――すなわち、私が定義した「自己の沈殿」と「国有化」という宿命を背負わされることを意味する。
かつてフラナガン博士が、一握りの「神」を見出すために行っていた儀式は、私の手によって、安価で効率的な「標準仕様の量産工程」へと成り下がった。
「ナカムラ君。君の調整する被検体たちに伝えておきたまえ。彼らの脳に流れるその冷たい薬液の半分は、私の知的好奇心が産み落とした『毒』であることをな」
ナカムラは冷笑を浮かべ、視察室を去った。
残された私は、日誌を広げ、万年筆を走らせる。
「オーガスタ研究所への技術供与(レシピ供与)を完了。妖刀は研磨され、もはや私一人の手には負えない広がりを見せ始めている。連邦軍という巨大な怪物に、強化人間という名の『共通規格の部品』が実装される日も近い」
ふと、調整槽の方を見れば、フォウ・ムラサメが虚空を指でなぞっていた。
彼女の脳内では、私がナカムラに渡したのと全く同じレシピが、彼女のささやかな思い出を絶え間なく濾過し続けている。
彼女が流す一滴の涙も、オーガスタでこれから生み出されるであろう「名もなき部品たち」の絶望も、すべてはこの巨大なシステムの潤滑油へと変換されていく。
技術とは、一度流出すれば二度と戻らない。
私が精製したこの「不純物のない狂気」は、やがて連邦全土を覆う薄暗い霧となり、ニュータイプという名の幻影を完全に窒息させるだろう。
「……妖刀、か。いい呼び名だ」
私は自室の照明を落とし、暗闇の中で独り、満足げに微笑んだ。
聖域の国有化は、もはや一つの研究所の枠を超えた。
世界は、私の書いたレシピ通りに、より空虚で、より機能的な形へと書き換えられつつある。
次は、この技術が「極東の島国」でどのような偽装を纏い、増殖していくのか。
アマラカマラ商会という名の、不気味な隠れ蓑の記録へと移らねばなるまい。