機動戦士ガンダム ムラサメ研究所、廃棄区画(アビス)より愛をこめて 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
結局のところ、世界は巨大なシステムに過ぎない。
そして、そのシステムの歯車を回すために最も効率的な燃料は、高潔な理想などではなく、卑俗な「恐怖」と「憎悪」だ。
宇宙世紀0085年、イズマ。
漆黒の空を背景にした中立コロニーの平和は、一発のメガ粒子砲によって、あまりにも呆気なく、そして計画通りに崩壊した。
私は母艦の観測ルームで、モニターに映し出される火線と絶叫を、一滴のワインを嗜むかのような静寂の中で眺めていた。
街を焼き、人々を蹂躙しているのは、かつて連邦の象徴であった白き機体を、ティターンズの意志で塗り潰した「黒いガンダム」――サイコ・ガンダムだ。
「……見てみたまえ、バスク大佐。実に見事な『国有化』の成果だ。被検体の脳波は、市街地の爆炎をサイコミュの共振を強めるための増幅器(ブースター)として正しく認識している」
私の隣で腕を組み、ゴーグルの奥の目を細めるバスク・オム。
今回の作戦は、単なる実戦テストではない。ジャミトフ・ハイマンが描く壮大な偽旗作戦。
「中立を標榜するイズマにて、エゥーゴのテロにより一般市民が犠牲になった」という筋書きを完成させるための、血塗られたキャンバスだ。
その筆となるのが、私たちが精製した強化人間と、巨大な機動要塞である。
「ムラサメ博士、データの収集を急げ。この惨劇は、明日には『平和を乱す逆徒への怒り』へと変換されなければならんのだ。……チッ、被検体の反応が鈍いな。もっと速度を上げろ」
バスクの言葉に従い、私は手元のコンソールから、被検体ドゥー・ムラサメへ直接パルスを送った。
第一層:メタンフェタミンによる強制覚醒。
彼女の視界に映る市街地の火災は、LSD-25誘導体の効果によって、七色の鮮やかな光の粒子へと変換されているはずだ。
逃げ惑う群衆の思念波は、共感覚によって心地よいリズムを刻む打楽器の音として彼女の脳に届く。
残酷か? いや、これは救済だ。
彼女は今、自らが何をしているかも理解せず、ただ「光と音の戯れ」の中で、システムの一部として踊っているに過ぎない。
「ドゥー。聞こえるかい。目の前のノイズをすべて消去しなさい。そうすれば、君はあの静かなハッチ、君の魂の故郷へ帰ることができる。……そうだ、引き金を引きなさい。それは単なるスイッチだ」
私の囁きに呼応するように、黒い巨躯が拡散メガ粒子砲を放つ。
コロニーの居住区を支える構造体が溶け、大気が漏れ出す。
その凄惨な光景を、被検体の脳は「正解」として処理した。
感情沈殿剤が、本来なら生じるはずの罪悪感や恐怖を、深い海の底へと沈めてくれている。
ドーパミンを人為的に操作された彼女の脳にとって、破壊こそが唯一の快楽であり、静寂こそが報酬となる。
市街地を蹂躙するガンダムの影は、逃げ惑う市民の目に、悪魔そのものとして映っただろう。
だが、その悪魔を造り上げたのは、他でもない連邦そのものだ。
ジオンのニュータイプという正義を否定するために、私たちはより強固な、より非情な「管理された狂気」を国有化した。
私は日誌を開き、冷徹な筆致で事実を刻み込む。
「イズマ市街地における実戦検証を完了。偽旗作戦としての政治的効果は最大。被検体は薬理による知覚変容により、無差別殺戮をシステム上の『ノイズ消去作業』として完遂した。人間を兵器のOSへと書き換えるプロセスは、ここに実戦的な完成を見たと言える。焼かれた街の灰は、連邦の秩序を固めるための強固なセメントとなるだろう」
モニターの中では、火の海となった街を背景に、黒いガンダムが虚空を見上げて静止していた。
そのコクピットにいる少女は、今、何を思っているのか。
いや、何も思っていないはずだ。
私が精製した沈殿の理屈が、彼女の自我を完全に漂白しているのだから。
「……素晴らしい。これこそが、私の求めていた『純粋な力』だ」
私はワインを一口含み、その芳醇な香りの裏にある、イズマの焼ける臭いを想像した。
倫理という不純物を取り除いた後に残る、完璧な機能美。
ジャミトフの描く偽りの正義も、バスクの冷酷な野心も、すべては私の知的好奇心を加速させるための部品に過ぎない。
だが、この完璧なシステムの前に、オーガスタからの「刺客」が現れる。
私が作り上げた空虚な美学を、本能的に拒絶する男。