機動戦士ガンダム ムラサメ研究所、廃棄区画(アビス)より愛をこめて 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
結局のところ、計算式には常に「例外」がつきまとう。
だが、その例外があまりにも美しく、そしてあまりにも非論理的であるとき、科学者はそれを「神」と呼ぶか、あるいは「排除すべきバグ」と定義するか、二つに一つだ。
宇宙世紀0085年。グリプス戦役の火種が燻る中、私は連邦軍内部の技術派閥争いという、極めて低俗なノイズに巻き込まれていた。
ムラサメ研究所が提供する「薬理による国有化」の有用性を証明するため、中立コロニー・イズマ近海へと送り出した被検体たちが、想定外の「白」と衝突したのだ。
「博士、モニターに異常。バイオセンサーの波形が、沈殿工程(クロルプロマジン)を無視して逆流しています!」
オペレーターの悲鳴に近い報告。
メインモニターには、連邦の規格外機体――ジークアクスが映し出されていた。
それは、私たちがアナハイムやオーガスタと共有している、どの設計思想とも異なる「異端」の輝きを放っていた。
「……ありえない。沈殿(遮断)が効いていないのか?」
私は、記録端末を叩く指を止めた。
モニター越しに伝わってくるプレッシャー。それは、フォウやドゥーが発する「研ぎ澄まされた刃」のような鋭さではなく、剥き出しの熱量を持った、暴力的なまでの「生」の波動だった。
ジークアクスのパイロット、マチュ・ハウェイ。
解析データが弾き出した彼の脳波には、メタンフェタミンによる強制覚醒の形跡も、LSDによる知覚拡張の歪みも一切見当たらない。
それなのに、彼の反射神経は、私の「精製」を経た最高傑作たちを圧倒していた。
「薬理に頼らず、これほどまでの同調(シンクロ)を見せるというのか。マニュアルもない、レシピもない、ただの『才能』という名の不純物だけで……!」
私は、こみ上げる嫌悪感を抑えることができなかった。
私が人生をかけて構築したムラサメ・フォーミュラは、持たざる者を「国有化」によって高みへと引き上げる救済のロジックだ。
だが、あの「白」は、その努力のすべてを嘲笑うかのように、天賦の才だけでシステムを蹂躙していく。
戦場では、被検体たちがパニックを起こしていた。
マチュが放つ「剥き出しの意志」に触れた瞬間、彼女たちの脳内で沈殿させていた恐怖や自我が、泥のように巻き上がったのだ。
知覚拡張(レンズ)が、敵の殺意を過剰に拡大し、彼女たちの精神を内側から焼き切ろうとする。
「博士! 被検体002、システム拒絶(バグ)! 脳波がオーバーヒートしています!」
「……撤退させろ。これ以上の接触は、精製工程を根本から破壊しかねない」
私は冷酷に告げた。
ジークアクス。そしてマチュ・ハウェイ。
彼らは、私の管理OS(システム)が最も忌避すべき「不確定要素」そのものだった。
計算不可能な感性が、計算され尽くした兵器を打ち倒す。そんな「物語的な奇跡」を、私は絶対に認めない。
戦域から離脱する自軍の機体を見送りながら、私は震える手で新しい処方箋のコードを書き始めた。
今の薬理では、外部からの強力な「共鳴」に耐えられない。
被検体が、敵の意志を「自分の痛み」として誤認してしまうバグを消さなければならない。
「……解剖学的な嘘が必要だ」
私は呟いた。
脳が「死」を感じる前に、システムがそれを「仕様」として処理する。
肉体が損壊しても、精神がそれを「自分事」として捉えないための、さらなる国有化。
物理的な頭部を失っても、コクピットという檻の中で「心臓」が鼓動を止めないための、解剖学的偽装。
第16話の戦慄は、私に確信させた。
中途半端な人間性は、戦場では致命的な脆弱性(バグ)でしかない。
真の国有化とは、救済ではなく、救済という名の「解体」の果てにあるのだと。
「次だ。私は運命を『改める』。マチュ・ハウェイ、君のような幸運な例外が二度と現れない、冷徹な理屈(ロジック)を完成させてやろう」
暗い研究室で、私の瞳はモニターの青い光を反射し、澱んだ悦びに染まっていた。
ジークアクスとの遭遇。それは、ムラサメ研究所が、より深く、より暗い深淵へと門を開くための、祝福された災厄であった。