機動戦士ガンダム ムラサメ研究所、廃棄区画(アビス)より愛をこめて   作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった

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沈殿の浮上(愛というバグ)

結局のところ、世界は巨大なシステムに過ぎない。

そして、そのシステムの完璧さを証明するのは、予測されたエラー(バグ)をいかに冷徹に処理できるか、その一点に集約される。

 

宇宙世紀0085年。イズマの空に、あってはならない「光」が灯った。

頭部を欠損したサイコ・ガンダム。解剖学的偽装によって死を禁じられ、胸中の心臓(コクピット)で生命を維持し続けるドゥー・ムラサメ。彼女は、マチュが駆るジークアクスの「白い反逆」を受け続けた結果、私の計算式には存在しない領域へと足を踏み入れていた。

 

モニターに表示される彼女の脳波データが、突如として反転した。

クロルプロマジンによる「感情沈殿」が、脳内のドーパミン受容体を遮断し、自我という不純物を底に沈めていたはずだった。だが、生死の境界線を物理的に引き延ばされた極限の負荷が、沈殿層を激しく攪拌し始めたのだ。

 

「……あ、……あ……」

 

通信回線から漏れるのは、もはや兵器のOSとしての無機質な音声ではない。

それは、粘土細工のような「無」の中から、無理やり引き剥がされた人間の肉声だった。

私はコンソールを叩き、薬剤の追加投与を試みる。だが、サイコミュを通じた外部からの共振が、私の処方箋を上書きしていく。マチュが放つ「意志」という名の不純物が、彼女の脳内に構築された擬似神経網を、逆流するように浸食していた。

 

「ドゥー! 機能を維持しなさい! お前は機体の一部だ。不必要な情報を検索するな!」

 

私の叱咤は、彼女には届かない。

彼女の知覚は、LSD-25誘導体による拡張を超え、時空の連続性すらも歪め始めていた。

脳内に沈殿していた記憶の滓が、急速に浮上(フラッシュバック)する。

数字の「2」を与えられる前の、灰色の景色。

誰かに呼ばれた、温かい響き。

国有化される前の、名もなき少女としての「輪郭」。

 

「……ちがう。……わたしは、ドゥー……じゃない。……わたしの、なまえは……」

 

その瞬間、サイコミュ・リンクの出力がレッドゾーンを突破した。

システムが検知したのは、最強の武器であり、同時に最大の脆弱性でもある感情――「愛着」という名のバグだった。

かつて自分を慈しんだ誰かの顔。あるいは、自分を人間として見ていた瞬間の記憶。

それが、薬理によって漂白されたはずの脳髄に、鮮烈な色彩(カラー)を取り戻させていく。

 

「……バカな。感情沈殿プロセスの初期化だと? 私の理論が、たった数分の交戦で瓦解するというのか!」

 

私は、自らの肺を支配欲と困惑で焼かれながら、その数値を凝視した。

彼女は今、マチュというイレギュラーを通じて、自分を「人間」として再定義し始めている。

それは、連邦の管理OSにとって、機体の爆破よりも致命的なエラーだ。

部品が「自分には意志がある」と主張し始めた瞬間、それは兵器としての価値を失い、単なる「制御不能な肉塊」へと成り下がる。

 

「大佐、見てください。被検体の脳波が、薬理的制御を完全にバイパスしています。……これは、愛という名のシステムの拒絶だ」

 

私の傍らで、バスク・オムが吐き捨てるようにゴーグルを直した。

彼にとって、それは単なる故障に過ぎない。

だが、私にとっては、一生をかけて精製した「聖域」が、一人の少女の個人的な記憶によって蹂躙されるという、屈辱的な敗北だった。

 

ドゥー・ムラサメ。

彼女は今、戦場の中心で、名前を思い出そうとしている。

その行為が、どれほど残酷な結末を招くかも知らずに。

一度浮上した感情は、もはや二度と沈殿することはない。

漂白された布に染み込んだ血のように、それは彼女の存在を内側から焼き尽くしていく。

 

私は震える手で日誌に刻み込んだ。

 

「致命的なシステムエラーの発生を確認。極限負荷および外部共鳴により、感情沈殿剤の効果が消失。被検体は『ドゥー』という識別名を拒絶し、固有の記憶を再構築し始めた。これを『愛というバグ』と定義する。……部品が人間へと先祖返りする現象は、国有化理論における最大の敗北であり、廃棄処分の唯一の正当な理由となる」

 

モニターの向こう側。

首のない黒い巨躯が、痙攣するように動きを止めた。

その中にあるのは、もはや「心臓」ではない。

ただ、自分の名前を叫び続け、絶望に震える、一人の「無防備な少女」だ。

 

「……かわいそうに。ドゥー。いや、名もなき少女よ」

 

私は冷徹に、最後の処方箋――「清算」のためのコマンドに指をかけた。

システムに不要なものは、消去されなければならない。それが、私の創り出した聖域の、鉄の掟なのだから。

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