機動戦士ガンダム ムラサメ研究所、廃棄区画(アビス)より愛をこめて 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
結局のところ、世界は巨大なシステムに過ぎない。
だが、そのシステムを稼働させるための「燃料」に、人は往々にして道徳だの倫理だのという不純物を混ぜたがる。
宇宙世紀0080年。一年戦争という名の巨大な機能不全がひとまずの終息を見せた頃、私は地球連邦軍の心臓部、ジャブローの深層階へと降り立っていた。
そこにいたのは、連邦の劣等感を「秩序」という名の巨大な装置へ作り替えようとする、真の意味でのエンジニアたちだった。
ジャミトフ・ハイマン大将。
後にティターンズという名の外科手術を地球圏へ施すことになるその男は、私の提出した「強化人間精製プロトコル」の草案を一読し、一度も瞬きをせずに私を見据えた。
「ムラサメ博士。君の言う『国有化』とは、ジオンのニュータイプという脅威を、連邦の管理下にある単なる機材(ハードウェア)に格下げするということか」
「その通りです、ジャミトフ閣下」
私は、彼の隣で不快なプレッシャーを放っている巨漢――バスク・オム大佐の視線を真っ向から受け止めながら、自身のロジックを提示した。
「ジオンのフラナガン博士は、ニュータイプというバグを『神』として拝みました。その結果、彼らは制御不能な奇跡に依存し、自滅した。……対して、私のレシピは、人間から自我という名のノイズを剥離し、純粋な戦闘機能だけを残留させる。これは進化ではありません。国家というシステムに適応させるための、解剖学的かつ薬理的な『矯正』です」
「矯正、か」
ジャミトフの口元が、わずかに歪んだ。それは嘲笑ではなく、深い同意の表れだった。
連邦軍は、ジオンの英雄に打ちのめされていた。白い悪魔と呼ばれたガンダムさえも、今やジオンの手中にあり、赤い彗星がそれを駆って宇宙を支配しているという歪んだ現実。彼らにとって必要なのは、希望などではなく、敵を確実に排除し、自らの意志でオン・オフが切り替えられる「確実な暴力」だったのだ。
「バスク。君はどう思う」
ジャミトフが問いかけると、バスク・オムは歪んだゴーグルの奥の瞳をぎらつかせ、重々しく口を開いた。
「理屈はどうでもいい。我々が欲しいのは、一機のモビルスーツを確実に、かつ冷酷に運用できる『部品』だ。……博士、貴様の薬理とやらで、あの気味の悪いニュータイプどもを殺せる化け物が作れるのか?」
「化け物を作るのではありません。化け物を管理するための『檻』を作るのです。……閣下、私は日本、かつての中国地方の山間部に、完全な遮断環境を備えた研究施設の建設を要求します。そこは、外の世界のノイズから隔絶された、被検体たちのための純粋な『聖域』となるでしょう」
「聖域だと?」
「ええ。ただし、それは神が住む場所ではない。被検体たちの脳内に、薬剤によって構築される人工的な静寂。彼らが国に奉仕するためだけに存在する、閉ざされた国有地です」
その場で、ムラサメ研究所の設立が承認された。
公式記録上は、戦災孤児の保護と自立支援を目的とした医学研究所。だが、その実態は、連邦の劣等感という名の劇薬を、無垢な子供たちの脳へ注入するための精錬所であった。
数週間後、私は中国地方の深い緑に囲まれた、コンクリートの要塞に立っていた。
空気は冷たく、静謐だった。
私が持ち込んだのは、クルスト・モーゼスから接収したEXAMの残滓と、フラナガン機関から盗み出した数々の知見。そして、自身の執念が結晶化した三層構造のフォーミュラだ。
「ここが、私の設計図の起点となるわけだ」
私は、まだ誰もいない調整槽(タンク)の並ぶ広大なフロアを見渡した。
これからここに、各地から「素材」が運び込まれてくる。
彼らには名前などいらない。過去も、家族も、愛も、すべては出力の邪魔になるバグだ。
私は、クロルプロマジンという名の「静寂の劇薬」によって、彼らの前頭葉に点検口を設ける。そこから、連邦の意志という名のプログラムを流し込むのだ。
「国有化の宣誓。……精製工程、次の段階へ」
日誌にそう記したとき、施設の外では、最初のトラックが到着した。
コンテナの中に詰め込まれているのは、身寄りを失い、ただ生きるための理由を求めている、将来の「部品」たち。
その中に、後に「零号」と呼ばれることになる一人の少年がいた。
私は彼を迎え入れるために、真新しい白衣の袖を通した。
私の手にあるのは、救済のメスではない。
人間という非効率なシステムを、国家という壮大な歯車に適合させるための、冷酷な定規だ。
ジャミトフとバスク。
彼らが望んだのは、血の通った兵士ではなく、スイッチ一つでジオンの英雄を撃墜できる「死の記号」だった。
私は、その期待に完璧に応えてみせよう。
このムラサメ研究所で、私は神の領域からニュータイプを奪い去り、連邦の冷たい棚の上に並ぶ、番号付きの在庫へと書き換えてやるのだ。
窓の外では、雪が降り始めていた。
すべてを白く塗りつぶし、境界線を曖昧にするその景色は、これから私が手掛ける「漂白」の工程を暗示しているかのようだった。
「ようこそ。君たちの新しい『聖域』へ」
私は、トラックから降りてきた少年――ゼロの虚ろな瞳を見つめ、科学者としての最高の、そして最悪の笑みを浮かべた。
連邦の劣等感を燃料に、ムラサメ研究所という名の巨大なシリンジが、今、歴史という名の血管に突き刺されたのである。