機動戦士ガンダム ムラサメ研究所、廃棄区画(アビス)より愛をこめて 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
結局のところ、世界は巨大なシステムに過ぎない。
そして、そのシステムが円滑に回るためには、規格化された「部品」が必要だ。
ムラサメ研究所の地下、無機質な蛍光灯が点滅する調整室。
私の目の前にいるのは、連邦全土から集められた「素材」の一人……後に「零号」という型番を与えられることになる、一人の少年だった。
彼は、自分がなぜここにいるのかさえ理解していない。
一年戦争の戦火で親を失い、家を焼かれ、ただ生きるための代謝を繰り返しているだけの空虚な肉体。だが、その空虚さこそが、私の設計図には必要不可欠だった。
「名前は?」
私が問いかけると、少年は濁った瞳をゆっくりとこちらに向けた。
「……あ、きら……」
「今日から、そのノイズは不要だ。君は『ゼロ』。この研究所における最初のネジとなる男だ」
私は彼の細い腕に、最初のシリンジを突き立てた。
第三層:感情沈殿剤。
1952年、フランスの精神科医が発見し、狂気の荒野に「静寂」という名の境界線を引いた劇薬、クロルプロマジンだ。
この薬の真価は、単なる鎮静にあるのではない。脳内のドーパミン受容体を遮断し、自我という名の過剰な出力を抑制することで、人間を「外的な命令(プログラム)」に対して完全に受容的な状態へと作り替えることにある。
「いいかい、ゼロ。君の脳内にある『悲しみ』や『恐怖』といった記憶は、すべて機械の動作を妨げる不純物(バグ)だ。私はこれから、その不純物をすべて脳の底へと沈殿させてあげる」
薬剤が血管を通り、彼の脳幹に到達する。
少年の瞳から、わずかに残っていた生気が急速に失われていく。
それは、魂が消えたのではない。魂という名の非効率なOSをシャットダウンし、国家という巨大なハードウェアに適合するための、まっさらなBIOSを起動させるプロセスだ。
「……暗い、です。……何も、見えない……」
「それでいい。暗闇こそが、純粋な機能の始まりだ」
私はコンソールのモニターを確認する。
脳波形が、激しいスパイクから、穏やかで単調な波へと変化していく。
感情の濾過。記憶の沈殿。
かつてフラナガン博士が「神の領域」として畏怖したあのララァ・スンの輝きを、私はこの少年の脳内で、薬理学的な手法によって模倣しようとしている。
ジオンのニュータイプが「自然発火」だとするならば、私の作る強化人間は「精密に制御された燃焼」でなければならない。
そのためには、まず徹底的に「冷やす」必要があるのだ。
「第2段階へ移行する。LSD-25誘導体の投与を開始」
知覚拡張剤。
1943年、自転車に揺られる科学者が見た「幻視」の系譜。
沈殿した静寂の底に、今度は外部からの刺激を極限まで増幅させる感応領域を構築する。
ゼロの体温が上昇し、皮膚が赤らむ。彼の視覚と聴覚が混濁し、サイコミュの微弱な電気信号を「物理的な接触」として捉え始める。
「……先生、……手が、いっぱい、見える……。頭の中に、誰かが……」
「それがサイコミュの産声だ。受け入れろ、ゼロ。その声を聴くのが君の唯一の機能だ」
私は、彼の脳内に設置された「点検口」を覗き込むような心地で、データの推移を見守る。
後の「プロトゼロ」へと至る、この過酷な調整工程。
それは、一人の人間を解体し、兵器としてのスペックを一つずつ組み込んでいく、神への冒涜的なパズルだった。
だが、私の心に罪悪感など微塵もない。
あるのは、設計図通りに歯車が噛み合い始めたことへの、エンジニアとしての純粋な法悦だけだ。
「国有化のプロセス、順調。……素材000(ゼロ)、初期沈殿を完了」
私は日誌にそう書き加えた。
調整槽の中で、管に繋がれたまま微睡む少年。
彼はもはや、自分を「あきら」と呼ぶことはないだろう。
彼にとっての世界は、サイコミュを通じて入力される座標と、敵対者の殺意、そして私の投与する薬剤によってもたらされる疑似的な平穏だけで構成されることになる。
「君は、最初のネジだ、ゼロ。君がしっかり締まっていなければ、後に続く少女たちは、皆崩れてしまう」
私は、窓の外に広がる中国地方の深い夜を見つめた。
ジオンの連中は、ニュータイプを「人類の希望」と呼んだ。
笑わせるな。
希望などという不確かなものに、何が守れるというのだ。
私が作るのは、希望ではない。
どんな劣等感にも、どんな恐怖にも、どんな奇跡にも揺らぐことのない、連邦という名の国家を支えるための「絶対的な部品」だ。
最初の精製。
ゼロという名の空白の誕生。
それは、ムラサメ研究所という名の巨大なシリンジが、この星の未来に「強化人間」という名の致命的な毒素を注入した、記念すべき瞬間であった。