機動戦士ガンダム ムラサメ研究所、廃棄区画(アビス)より愛をこめて 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
結局のところ、世界は巨大なシステムに過ぎない。
そして、システムというものは時として、設計者の傲慢を嘲笑うかのような挙動を見せる。それを「バグ」と呼んで切り捨てるか、あるいは「進化の過程」と呼んで愛でるか。私にとっては、そのどちらもが退屈な主観に過ぎない。
宇宙世紀0080年。ムラサメ研究所の第一演習場にて、私は一つの「不具合」を観測していた。
視界の先、蒼い残像を残して加速する実験機――EXAM搭載型ジム。そのコクピットの中で、調整を終えたばかりの被検体が、マリオン・ウェルチという名の死霊(データ)に脳を焼かれ、悲鳴を上げている。
「……殺して。……来ないで。……熱い、頭が、熱い……!」
通信回線から漏れ出るのは、言葉の体を成していない純粋な生存本能の拒絶。
クルスト・モーゼスが持ち込んだEXAMシステムは、あまりに「肉食」だった。常人の脳波を無理やりマリオンの深層意識へ同期させようとするその挙動は、さながら、小さなグラスに大河の濁流を注ぎ込むような暴挙だ。
私はコンソールのモニターを冷徹に眺め、データの推移を記録する。
被検体の心拍数は200を超え、脳内のドーパミン濃度は致死圏内まで跳ね上がっている。
「ムラサメ博士。これは……素晴らしい。この『暴走』こそが、人間が理性の枷を外した瞬間の純粋な熱量だ。これぞ我々が求めていた、ニュータイプを凌駕する『獣』の誕生ではないか」
隣でモニターを覗き込んでいる男――オーガスタ研究所のナカムラ博士が、歪んだ法悦を浮かべてそう呟いた。
ナカムラ。連邦軍内の競合相手でありながら、私の薬理アプローチに異常なまでの関心を示す、オーガスタの良心(倫理)をとうに捨て去ったエンジニア。
私は彼を一瞥し、鼻で笑った。
「ナカムラ博士。感傷はシステムの出力を鈍らせると、以前も言ったはずだ。あなたが『熱量』と呼んでいるものは、単なるハードウェアのオーバーヒートに過ぎない。制御不能な暴力は兵器ではない、ただの欠陥品だ」
「欠陥品? 博士、これほどの機動性を見てもそう言えるのかね? 既存のOSでは不可能な反応速度……。これはもはや、人の域を超えている」
「人の域を超える必要などない。必要なのは、機械の速度に『適応』できる部品だ。……見ていろ、もうすぐ器が割れる」
その言葉と同時に、蒼いジムは不自然な痙攣を起こし、演習場の壁面に激突した。
沈黙。
救助班が駆けつけるが、モニターに表示された被検体の脳波計は、既に平坦な一本の線(フラットライン)を描いていた。
「……惜しいな。また一人、マリオンの海に溺れたか」
ナカムラは、まるで壊れた玩具を捨てるかのような軽薄さで肩をすくめた。
彼の「オーガスタ・メソッド」は、肉体的な強化と外科的な神経接続に重きを置いている。対して私の「ムラサメ・フォーミュラ」は、脳というソフトウェアの書き換えを優先する。
私は、息絶えた被検体の記録を「廃棄」のフォルダへ移し、ナカムラに向けて自身の持論を展開した。
「ナカムラ博士。あなたのところのやり方は、火力が強すぎる。肉体を無理やり加速させても、精神がそれに追いつかなければ、このようにシステムがパイロットを食い殺す。……いいか、解決策は『加熱』ではない。『冷却』だ」
「冷却、だと?」
「そうだ。クルストのEXAMが被検体を焼き切るのは、被検体の側に『恐怖』や『自我』といった余計な抵抗値(レジスタンス)があるからだ。……私は今、クロルプロマジンを用いた『感情沈殿プロセス』の最終調整に入っている。被検体の脳を、あらかじめ空っぽの器(バキューム)に作り替えておけば、EXAMという激流を流し込んでも、摩擦熱すら発生しない」
ナカムラ博士は、私の言葉を噛みしめるように沈黙した。
彼の瞳に宿ったのは、学友への敬意ではない。より効率的な「殺人道具」のレシピを盗もうとする、ハイエナのような欲望だ。
「……なるほど。感情を沈殿させ、脳を空白にする。そこに軍のOSをインストールするわけか。……面白い。博士、そのレシピの一部を、我がオーガスタにも共有してもらえないだろうか? 引き換えに、我々の『肉体強化剤』の全データを提供しよう」
「いいだろう。技術の交流(トレーディング)は、システムの進化を早める。……ただし、忘れるな。私の目的は、ニュータイプを神格化するジオンの狂信を、連邦の管理OS(国有化)によって完全に解体することにある。あなたの『化け物作り』の趣味に付き合うつもりはない」
私たちは、モニターの中で黒煙を上げる残骸を背に、嘲笑し合った。
ナカムラは、強靭な「獣」を作るために。
私は、従順な「部品」を精製するために。
この日、ムラサメとオーガスタという二つの深淵が交わり、連邦軍内に「強化人間」という名の標準仕様(スタンダード)が確立されたのである。
演習場の砂塵が舞い上がる中、私は次の被検体――「二番目の部品」となる少女の搬入スケジュールを確認した。
EXAMの暴走は、失敗ではない。
それは、感情という名の不純物がどれほど兵器の運用を阻害するかを証明する、極めて有意義な「バグ」の露呈に過ぎなかった。
「……オーガスタとの技術提携、および薬理プロトコルの最適化。……次の素材には、より深い沈殿を要求する」
日誌を閉じ、私は冷たいコンクリートの廊下を歩き出した。
背後でナカムラ博士の不快な笑い声が響いていたが、それはすぐに、システムの作動音にかき消されていった。
聖域の国有化。
そのための冷酷なロジックは、今やオーガスタという新たな触手を得て、地球圏全体へと増殖を開始したのである。