とある裏方の失恋奏歌   作:コペンL880K

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Track2:『プロローグ』

 

若くして自殺した男を知っている。

その男がいったいどんな失恋のせいで自分の心臓に入念に弾丸を撃ち込んだのだったかはもう覚えていない。

白い手袋などはめて自殺したのは、いったいどんな文学的誘惑に屈してのことだったのかは知らない。

だがその痛ましいひけらかしを前にして、高貴さではなく悲惨さの印象を受けたことは覚えている。

あの人好きのする顔の裏側、頭蓋骨の下には、いっさい何もなかったのだ。

どこにでもいるような愚かしい少女の顔以外には。

 

――サン=デグジュペリ『人間の大地』

 

………………

 

 

 

開幕のベルが鳴っている。

緞帳が開く前に、席に着かなくては。

 

 

 

 

 

常盤台の超電磁砲(レールガン)

 

能力名であり通り名。学園都市の頂点に君臨する七人の超能力者、その序列第三位に位置する電撃使い(エレクトロマスター)である彼女は、そのように呼ばれている。

 

与えられたレベルは最大数である「5」。

 

フレミング左手の法則に基づき、電磁気力によって物体を加速、放射する。

 

あるいは仮想の電位差を生じさせ、地点自在に雷霆(いかづち)を落とすことを可能とする。

 

自分だけの現実(パーソナルリアリティ)は電気に係る高度な理解に裏打ちされており、ただ操作するだけではなく、シミュレーション上では予測し得る電気の挙動が、現実世界ではどのように適用されるのかという想定と計算に、天賦の才を備えていた。

 

俺は彼女が悪と戦うのを見たことがある。

当然、ただ逃げ惑うだけの一般人(エキストラ)の視点として。

 

都市に無形の風が、姿なき光が通り過ぎ、闇を破砕していく。

紫気東来(しきとうらい)

 

閃く少女型の電気が――電気型の少女が――まるで物の理を嘲るようにして空を(わた)り、雷の槍が標的に命中する音が遅れて轟く。

 

宇宙が数度、明滅して、あとは静寂に耳を澄ます彼女だけが残る。

 

俺は彼女が誰かを救うのを見たことがある。

 

力の波にあてられて倒れ伏し、朦朧としていた俺に少女が駆け寄ってくる。

 

断続的な意識の只中で、生存できた安堵よりもむしろ、この世界を危機から守っているのが俺と同年代の少女であるという事実に、気持ちが沈んでいくのを感じた。

 

そうして心配そうな顔を向ける少女の、細く長い指が俺のこめかみに触れた瞬間、俺は気がついたのだった。

 

未だ知られてはいない少女のもうひとつの「能力」と、

この「物語」が少女を中心に回っているという事実に。

 

超能力が出てくるような荒唐無稽な物語でも、起こるはずのない事象は当然存在する。

 

例えば今この状況がそれに該当し、御坂美琴が「知る人ぞ知る店の中で」、「背中を丸め」、「つい先ほどまで泣いていた顔」をしているというのは、良くなかった。

 

これは別に彼女にとっての「良くない」ではない。

この世の道理として、非常に良くなかった。

 

逃げるべきかも知れない、と考える。

同時に、既に「良くない状況」が進行中であることは確かであり、仮に踵を返したところで、あの重厚なオーク材の扉は雪のせいで開かなくなっているのではないかと思う。

あるいは俺が外に出ようとした瞬間、致死レベルの(ひょう)が降り注ぐだとか。

 

運命が作動しているのだ。逃げ場はない。

 

「楽屋裏」に、当たるはずのないスポットライトが当たっている。

俺はなぜか再び、登場人物として仕立て上げられようとしているらしい。

 

「久しぶり」

 

諦めるように俺は言う。

これがただ本当の偶然であることに、意味のない閑話であることに一縷の望みを賭けている。

 

「なにかあったのか」と続けた後で、これは少し間の抜けた問いだったことに気が付く。

 

御坂美琴に「なにかある」ことなどあり得ない。

 

「なにかある」とすれば今、この状況自体を指し示す。

 

彼女は焦点の合わない虚ろな瞳のまま、言葉にならない掠れた声を漏らす。

周囲の客が訝しげな目で俺と彼女を交互に見つめるのを肌で感じる。

ただでさえ目を引く常盤台の制服を着た彼女に対して、この場ではどう見ても不審者にしか思えない俺の身なりも状況を不利にしている。

 

「こんなところにいると、補導されるぞ」

「・・・・・・アンタこそ」

 

そう突っ込むことができるくらいの元気が残されていたのは幸いだったが、ようやく聞けた美琴の声に、いつものような張りはなかった。

 

「おすすめの席があるから・・・・・・良ければそこに移動しないか」

 

マスター、とカウンターの奥の白髪の男性に声をかけると、彼はひとつ頷き、普段俺がよく利用している個室へと案内してくれた。

防音の効いたプライベートな空間は、ジャズの音色を遠のかせ、代わりに近くの美琴の気配を際立たせる。

高鳴る心臓の音を聞かれないようにして彼女を革張りのソファに座らせつつ、温かいコーヒーとミルクを注文すると、マスターは何も詮索することなく無言でカウンターへと戻っていった。

 

さて、と思う。

他人の視線を気にせずにいられるようになったのは前進だったが、別に何かが解決したわけでもない。

 

個室の薄暗い照明の中、美琴は膝の上でぎゅっと拳を握りしめたまま視線を落としている。

小さな子供のように背中を震わせ、ずっと泣いていたのか呼吸は乱れている。

 

道理に合わない行動だ。

御坂美琴は感情選択として悲哀を選ぶくらいならば行動で全てを解決するような人物である。

事情を尋ねても良かったが、前文の対偶は「御坂美琴の行動力では解決できない事情ゆえに悲哀している」とでもなりそうで、正直そんな事情に俺が介入できる余地があるとは思えなかった。

 

沈黙は重苦しく、身体にのしかかってくるようだったが、それでもただ、彼女から話し始めるのを待ってみる。

やがて彼女はぽつりと、静寂に落ちた一滴のような声で言葉を零した。

 

「・・・・・・ごめん」

 

説明も経ず、ただ謝罪するだけの彼女というのもまた新鮮だった。

 

「・・・・・・マジでどうした。誰かと待ち合わせでもしていたようだけど」

 

約束すっぽかされでもしたのか、と冗談を言おうとしたが、その前に「うん」と濡れた瞳を俺に向けて彼女は頷いた。

そうして、

 

「待ってたの。アンタのこと」

 

と言う。

 

「へえ」と、我ながら情けない相槌を打ちつつも、それはかなり不味いなと、窓の外の景色に目をやりつつ考える。

発言の内容自体も問題があったが、その台詞を聞いて「俺の気持ちが少し高揚する」のも不味かった。

そこでタイミング良くマスターが入ってきて注文したコーヒーとミルク、そしてサービスなのかサンドイッチを運んできたおかげで、彼女の発言を反芻できる適切な猶予がもたらされたのもいただけなかった。

 

深刻だ。

美琴には申し訳ないが、本当に深刻なのは、俺の方かも知れなかった。

 

どう考えてもここは「楽屋裏」じゃない。

物語は今、この場で進行している。

 

こんなことならスタジオを抜け出さず、マネージャーの言うこともきちんと聞いておけば良かったと思う。今後はそうすると誓った。

生きて帰ることができたらという限定はつくが。

 

焦る気持ちを抑え、マスターの足音が遠ざかるのを聞き届けてから、視線を戻して努めて平静に問い質す。

 

「よく俺がこの店に来ているって分かったな。一体誰から聞い・・・・・・」

「前にアンタがここに入店しているのを見かけたの。だからここで待っていたら、もしかして来るんじゃないかと思って・・・・・・」

 

そう答える彼女の目を俺は注意深く観察するが、嘘で取り繕っているような気配は感じ取れなかった。

 

とはいえ俺は『サムデイ』に入店するときは必ず変装しており、尾行がないかは常に注意を払っている。

 

美琴の気配を察知できないなんてこともあり得ないはずだが、彼女は対人戦のプロでもある。

いやプロであるかは予想でしかないが、少なくとも俺ごときを相手に本気で隠密行動を仕掛けていれば、気づきようなどないのかも知れなかった。

 

ひとまず納得したふりをして問いを重ねる。

 

「でも、一日待ちぼうけになってもおかしくないぞ。いつから待っていたんだ」

「四日前、くらいかな」

 

俺は眉をひそめ、コーヒーを口に含んだ。

俺がこの店に来るのは、週に一度あるかないかだ。

仮に今日、俺が来店しなかったとして、いつまで試行を繰り返すつもりだったのだろうか。

カップをソーサーに戻すと、陶器の重なる冷たい音が響く。

 

「本当に?」

「本当よ」

「そんなに重要な話なら、メッセージでも送ってくれれば良かったのに」

「・・・・・・だって、アンタ忙しそうだし。新曲が出たばかりで、テレビとか取材とか・・・・・・・邪魔しちゃ良くないと思って」

 

悪かった? と目を逸らす美琴。

悪いわけじゃないけど、と俺は手を軽く振る。

新曲のプロモーション期間は一区切りついており、実際は結構暇でもあった。

 

 

「悪くはないが、おかしくはあるな」

 

 

そうかも、と美琴は痛々しい笑みを浮かべる。

その表情に、胸を圧迫される感覚をおぼえる。

 

本能では、早く話を切り上げて立ち去れと警鐘が鳴り響く。

 

一方で、彼女を苦しめている問題を解決してやりたいという愚かな思考が働いた。いつもそうだ。

 

後悔するのが分かっていることを、途中でやめられたためしはない。

 

「まあ、随分待たせてしまったみたいだけど、こうして逢えた」

 

内心の葛藤を悟られないよう注意しつつ、俺は開いた手を机の上に出す。

 

「それで、要件は?」

 

核心を突く問いに、うん、と彼女は俺の手の上に自分の手を重ねてきた。

 

普段の彼女からは想像もつかない、迷子の子供のように頼りない、何かに縋りつくような仕草だった。

 

それだけ今の彼女は、誰かの体温に触れていなければ立っていられないほど摩耗しているということなのだろう。

 

驚くほど冷たい体温が、俺の肌に伝導する。

 

 

「うん。フラれたんだ。アイツに」

 

 

俺はこの物語が、御坂美琴を中心として回っていることを知っている。

 

なぜかという問いにはまだ、明確な回答を用意できない。

だがそれは、確信に似た直感であり、結果を先取りした思考だった。

俺は学園都市でのカリキュラムを通して、その過程の方を理解していかなくてはならない。

 

予想は当然ある――超電磁砲(レールガン)

 

彼女の超能力は電気系の操作であることは、先にも述べた通りである。

しかし、もし電気のすべてを操作できると仮定した場合、その能力はただ物体を射出したり、雷を落としたりといったものに留まらない。

例えば、生物の思考。

脳の活動は電気信号によって行われている。何かを想起するのも、回想するのも、それらは活動電位と呼ばれる脳内の情報交換システムによって制御・遂行されている。

 

当然、反論はあるだろう。

思考は単一の電気信号によって行われるものではない。電気とはいわばただの文字に過ぎず、意味の通る文章は約860億個あるといわれるニューロンのパターンによって、複雑なプロセスをもって記される。

それは人間の脳の働きでありながら、個の脳では決して扱うことのできない単位だ。

 

それでも、と考える。

自分だけの現実(パーソナルリアリティ)もまた科学でありながら、純粋科学では再現し切れない超現実(ハイパーリアリティ)を世界に投影する。

単に「電気」と一括りにするだけで、その中間に流れる膨大な過程を無視して成果だけを呼出できる力が、レベル5にはあるのではないかと。

 

科学の文学的側面――「雷」はかつて、「神の怒り」と考えられた。

欧米でもアジアでもヨーロッパでも、不思議と世界中で似たり寄ったりの解釈がなされている。

 

もし、この世に科学が未だ存在していなかったのなら、雷は今でも超常的な存在の怒りと捉えられ、それが正しく「現実」であったに違いない。

 

人間は「物語」を通して「現実」を知覚する。

 

「物語」とは言うなれば「解釈」で、そこには「科学」や「魔術」も含まれる。

 

一見して難しいのは、「科学」や「魔術」がそのまま「現実」になるわけではない、ということだ。

 

窓に映る光景が外界そのものではないように。御坂美琴が「現実」だけを操るわけではないように。

 

「物語」は人間の思考によって果を結ぶ。

人間の思考が電気によって作動しているということは、先ほど話した。

 

俺は、御坂美琴を中心として無数に連絡する目に見えない電線が、人々の脳を経由して、架空の「物語」を生成しているという妄想を振り払うことができない。

 

この世の「現実」は今や彼女を主人公とする「物語」に上書きされているのではないかと。

 

すぐに補足が必要だ。

 

だからといって俺は、御坂美琴が周囲の人間の脳を操作してまわっているという解釈を支持しない。

 

仮にそれだけの力が美琴に備わっていたとして、俺の知る彼女は決して誰かの自由意志を侵す人間ではないからだ。

 

あの「女王」のように、心理を掌握する力ではない。

 

ある意味で、これはただの付帯効果なのだ。

ただ超電磁砲(レールガン)からあふれる力に、世界の方が感電しているだけなのだと素朴に感じる。

二点の等位に差があれば、電気はそれ自体の意思によらず流れていく。あるいは心優しい少女が手向けのようにしてこの世界にかける「意図」そのものが、実体を得ただけなのかも知れないと。

 

彼女の周囲では「物語」が常に付き纏う――その確信を抱いたのは、彼女が倒れ伏した俺に触れたときを契機とする。

 

彼女から発せられた感じ取れないほどの微弱な電気が――意図が俺の脳を駆け巡り、しかし俺は感電しなかった。

 

今ではそれが俺の能力――情動共鳴(マスター・チューナー)、あるいは虚偽申告(レッド・ヘリング)がある種の絶縁体として機能したからだろうというところまでは、何となく予想がついている。

 

俺は偶然、彼女の「物語」に耐性があったのだ。

 

感電はしなかったが、身体の外側を走る、彼女の思念がもたらす「電気」の流れを感じた。

 

その「電流」は目に見えないが、音楽の旋律と同じく、そこに間違いなく「ある」ものだった。

まるで音感を獲得するようにして、俺はその日から彼女の「電流」が分かるようになった。

 

「電流」はストーリーラインであり、伏線であり、人物間の相関であり、序破急であり、文脈であり、会話の応酬であって、思想の系譜であった。

 

それらのいちいちが光の閃きとなって、主人公(ヒロイン)である彼女からコードのように伸びていた。

 

眩しさをおぼえた。

そして、そこにあると分かる以上、避けて通ることは容易だった。

むしろそのまま逃げれば良かったと、振り返ってみて思う。

しかし俺は、馬鹿なのだった。頭が悪く、そのせいで誤った手段を選び続ける。

 

彼女の「物語」に感電しなかった俺は、つまり彼女と対等の存在なのではないかと、やがて考え始めるようになる。

 

電圧が同等の存在に、電気が流れ合わないように。

 

彼女が主人公(ヒロイン)であるようにまた、俺はそれに比するだけの重要な登場人物なのではないかと、愚かにもそう思った。

 

この世には恋愛の自由があり、物語の登場人物でもそれは同様なのだと気がついたのは、残念ながら御坂美琴に告白した後のことだった。

 

 

 

『えっ……あ、その……ごめん』

『私、その……他に、どうしても諦めきれない馬鹿がいて……だから、アンタの気持ちには応えられない。ごめん』

 

 

 

 

 

『ハッピーエンド』を作曲したのはその夜のことで、やり場のない感情だけで衝動的に書き、日の上がらないうちに勢いで動画サイトにアップロードした。

 

自身に対する生理的嫌悪感が閾値を破る記憶であり、もはや思い出したくもないわけだが、そうした経緯を抜きにしてもあの曲が俺の作品の中でも最悪の評価を受けている理由はよく分かっていた。

 

あれは個人宛の恋歌(セレナード)だ、内容としては喪失を歌っているものであっても。

 

御坂美琴を手に入れられなかった俺は、自由にならない言葉の中に御坂美琴を押し込もうとしていた。

 

ひょっとして、御坂美琴が科学の中に世界を押し込もうとしているかも知れないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私、『ハッピーエンド』が好きなの」

 

 

唐突に鳴った着信音を慌てて停止させた美琴は、数分の沈黙のあと、照れたようにそう言う。

 

俺は全身に立った鳥肌をさすりつつ、さっきの出来事の釈明を目で求めた。

 

「『プロローグ』も好きだけど。あと『イン・メディアス・レス』も」

「だからってなんで着信音にしてるんだ。地獄の門が開いたのかと思ったね・・・・・・結構聴いているのか?」

 

別にいいでしょ、と彼女は顔を赤らめつつ、誤魔化すようにしてサンドイッチに手をつけ始める。

 

普段は姉御気質の強い彼女だが、弱みを見られると途端に年相応の脆さが露呈するのは相変わらずだった。

 

「――流行りの曲やアーティストくらい、私だって押さえてる。黒子とかと話題にすることもあるから・・・・・・というかアンタ、会ったときから思ってたけど、自分を客観視できていなさすぎ。自分がどれほどの有名人か、きちんと理解してないんじゃない?」

「それをお前が言うのか、常盤台の超電磁砲(レールガン)

 

と、俺は溜息をつく。

 

『ハッピーエンド』に押し込んだ陰惨な感情を、彼女は感知しているだろうか――それはおそらく。

 

理解していながら、「一番好き」と言い、着信音にまで設定してくれているのは、単なる皮肉のつもりなのか、それとも――。

 

「私としてはもう少しポップな曲調の方がもっと大衆受けすると思うけどね・・・・・・。タイアップの話とか色々来てるんでしょ。アンタが勝手に全部断ってるって、マネージャーさんがブログで嘆いていたわね」

 

「それは」

 

と俺は一呼吸入れ、

 

「公式ホームページの『マネージャーのブログ』にしか掲載されていない内容だし、しかも無料公開されていないものでな」

 

美琴の表情が固まり、少しの間を挟んでから、朱を落とし込んだみたいにぱっと顔全体が赤らむ。

 

予期した通りのリアクションとはいえ、化学反応のような彼女の表情の移ろいはいつも可笑しい。

 

だが面白がる余裕は俺の方でもなかった。ここまで来れば、洗いざらい訊いておきたい気持ちが勝ってくる。

 

人道に配慮した尋問のもと、得られた証言は次の三つ。

 

①ファンクラブに入っており、会員クラスは最高位のエグゼクティブ・S(スペシャル)

 

②前項の会員ナンバーは一桁台。参考までに、No.0001はマネージャーで、No.0002は俺のテストアカウント。

 

③アルバムは三枚購入し、それぞれ普段使い用・観賞用・保管用としている。

 

「・・・・・・なあ美琴。もし気を遣っているんだったら・・・・・・」

「それは違う」

 

彼女はすっかり崩れていた表情を戻し、首を横に振る。

 

「アンタを振ったことに負い目を感じてこんなことをしてるんじゃない」

「じゃあどうして・・・・・・」

「アンタが告白してくれたときね」

 

半年前の出来事を思い出すように美琴は少し瞑目する。

 

「私には好きなひとがいた。アイツのことはアンタもよく知ってるわね。想いを天秤にかけてしまったことについては、謝っても謝りきれない。でもね、たとえ過去に遡ったとしても私は同じ答えをアンタに返すと思うの」

 

「……それはどうも」

 

俺は自嘲気味に笑い、冷めたコーヒーに視線を落とす。

 

「冗談抜きで胃が痛いよ。その残酷な宣告だけで、もう一曲くらい悪趣味な失恋ソングが書けそうだ」

 

俺の皮肉に、ごめん……と彼女は困ったように眉を下げた。

そして真剣な眼差しを戻してゆっくりと言葉を継いだ。

 

「ただ、アンタを振ったことで、それまで以上にアンタに興味を持ったの。私を好きになるようなひとは、どんな思考をするひとなんだろうって。アンタの楽曲を聴き始めたのはそれから。インタビュー記事を読んだり、ブログを漁ったりするようになったのも」

 

思わぬところで詳らかにされた事実に、俺は小さく息を飲む。

それは初めて聞く「後日譚」だった。

 

「アンタの音楽は好きよ。勉学や能力のこと以外で、こんなに何かに熱中したのは初めて。もし、アンタと関わることのない人生を歩んでいたとしても、きっと何か別のきっかけで好きになっていたと思うくらい。ファンになったのは必然。そして、それはただそれだけで、他には何もないの」

 

彼女は一息にそう言うと、冷めてしまったミルクを温め直そうするかのように、マグカップを両手で包み込んだ。

 

再びの沈黙。だが今回は気まずさを感じなかった。

彼女の言葉をゆっくりと反芻する。

相変わらず容赦のなさがもはや気持ちいいまである。

 

既に壊れてしまったと思っていた関係は、こうした形で――決して精力的とは言えない俺の音楽活動によって保たれていたことになる。

 

もちろん、これは救われたという話ではない。

 

むしろ救いなどであってはいけず、俺が彼女に投げた浅はかな想いが清算されることはない。

 

ただの友人であり続けることはできたのに、その機会すらもふいにしてしまった事実を、元に戻すことはもうできなかった。

 

だからこれは、俺の音楽と美琴の関係とでもなるはずだった――俺自身はただ、その仲介役に過ぎない。

 

ここにきて、どうして俺がこの「舞台裏」で美琴と再会することができたのかが、分かったような気がした。

 

俺は登場人物として表舞台に戻されたわけではないのだ。

 

「舞台裏」には相変わらず、スポットライトは当たっていない。

 

俺と彼女は今まで通り、通電していない。これは閑話に過ぎず、物語の進行とは関係のない出来事で、紙面に掲載されることのない時間なのだった。

 

いつも通り、これは彼女の物語だ。

疎外感は特に感じない。むしろ安堵していた。

これ以上、登場人物としてしゃしゃり出て、彼女の物語を穢すようなことだけは避けたいと考えていたから。

 

「信じるよ、美琴」

「信じるも何も、本当のことだし」

 

そうして、だからこそ、あらためて気になった。

 

単なるエキストラの――観客の一員として。主人公(ヒロイン)の「失恋」の事実が。

 

「――上条当麻にフラれた、か」

 

美琴は少し困ったような顔で微笑んだ。

 

 

上条当麻――彼のことを、俺はよく知らない。

友人ではある。美琴とは共通の知り合いといった形だ。

ただ交友する上で、上条に際立った特異性は見られない。

重度のお人好しで、編入して数日の俺に気安く話しかけ、音楽活動のことを知るやライブにまで来てくれたときは驚いたが――善性に満ちた善人というのがファーストインプレッションであり、その見方は今でもあまり変わらない。

 

それから、不幸体質。

これは美琴との会話の中でも何度か話題に上がったことがある。

 

命に関わる災難は一度や二度ではなく、むしろその連続の中に短い平穏が間借りしているといった風情がある。

 

俺は敵国に送り付けることで内側からの自然壊滅を狙う兵器転用策を提唱し、美琴は上条の存在がその他の人類全ての運勢向上に寄与している説を提唱した。

 

能力者としてのレベルは俺と同じ「0」。

 

しかし俺はともかくとして、上条の方はただの無能力者ではあり得ない。彼は戦闘においてあの御坂美琴を数度、退けている。

 

能力が何なのかは分かっていない。

 

「どうも無効化されているらしい」というのが美琴の見解だが、仮にそうだったとして、超電磁砲(レールガン)を無効化できるアルゴリズムなどよっぽどの高位か、特殊な能力が関わっているということになるはずだった。

 

俺が想像する「御坂美琴を中心とする物語体系」――上条も俺と同様に、その体系から外れた存在なのだろうか。

 

超電磁砲(レールガン)が効かないのならば不思議はないだろう。

 

加えて奴は御坂美琴の恋情も買っている。

 

その点で、彼女の「電気」に耐性があるものの結局はエキストラでしかない俺とはまず、一線を画していた。

 

不明な存在という意味では俺の能力などよりも遥かに上位に位置している。

 

あれはあれであれなりに、超電磁砲とは異なるアプローチでこの世界に根差す特異点であり、いわば彼もまた主人公の一人なのだ、というのが俺の根拠なき所感である。

 

あるいはこれも結論を先取りした推察。

御坂美琴が主人公(ヒロイン)なら、彼はヒーローとでもなるのかも知れなかった。

 

「“ごめん”って。“大切な奴がいるから”って」

 

そう話す美琴は表情から悲しみの影を消せていない。

“大切な奴”とやらには思い当たる節はなかったが、そもそも上条の交友関係について俺は疎かった。

やたら女の知り合いが多いなと感じたに留まる。

 

おまけに上条はなぜか自分の過去の話をしようとしない。

 

 

「まあ、誠実に向き合った結果の答えなんだろうさ」

 

 

そう俺は言う。これは気休めに言ったのではない。

少なくとも、上条はあしらったわけではないのだと知っているから。

奴とはそこそこでしかない付き合いだが、それは断言できた。

 

「分かってる」と美琴も頷く。

 

「お前が上条のことを見ているっていうのは、前々から何となく分かっていたよ。しかし、まあ、まさか断られるなんてな。俺が言うのもあれだが、結構お似合いだと思っていたから」

 

「振った相手に、失恋話を持ってくるひとは最悪?」と美琴は訊く。

 

「……あんまりいないとは思う」

 

と素直なところを返しておき、サンドイッチをひとつもらうことにする。

 

「不快だったよね・・・・・・謝る」

「・・・・・・なんか謝ってばかりじゃないか。お前といい、上条といい」

「そうだね・・・・・・・そうかも」

 

ははっ、と彼女は今日初めてとなるくだけた笑いを見せた。

 

「いざ自分の気持ちが思い通りにならないことが分かると、急に他人の心の中が気になってしょうがなくなるの」

 

美琴は少し皮肉っぽく笑い続ける。経験ある?と問う。

 

どうかな、と俺は律儀に首を傾ける。

当然、経験はあった。

 

結局、俺が美琴を通して体感した感情を、美琴もまた上条を通して体感しているのだということになる。

別に先輩面もできないわけだが、理解はできた。

 

悩みの内容はともかくとして、それを吐露する彼女の声にはいつもの張りが戻っている。それは彼女自身も感じていたようで、

 

「ここに」と自分の心臓を指さし、

 

「ここにあった重苦しい何かが――少しだけ軽くなった気がする。

息をするのも苦しいくらいだったから・・・・・・ありがと。本当はもっと話したいことがあったんだけどね」

「ああ、いつでも聞くよ」

 

と俺は頷き、

 

「でも、今日はもう帰った方がいい。補導もこわいし、常盤台中学のお嬢様と夜な夜な会っているなんてマネージャーに知られたら、ぞっとするからな」

 

本当は、自分もあらためて心の整理がしたいというのもあった。

 

上条にフラれた美琴を見て、もう一度チャンスが巡ってきたと思うほど俺も楽観的ではない。

 

今はどちらかというと、別々の途を歩み始めた二人のなりゆきを見届けたいという気持ちが強くしており、そのために自分に何ができるのかを今一度検討したかった。

 

「私もバレない様に戻らないと、ダメそうなら黒子に上手く誤魔化してもらおうかな……」

 

それでいいのかと突っ込む俺に、美琴は吹き出すように笑う。

重荷を多少下ろせたというのは本当らしかった。

 

「じゃあ駅まで送るよ」

「いいって。私のこと、誰だと思ってんの? まあ、さっきの冗談はさておき、アンタは少し遅れて出て行った方が良いかも。会う場所も今後は考えないと駄目ね。隠し撮りされると困るだろうから」

 

そうだな、と俺は頷く。

 

俺もスタジオに戻って、大人しくマネージャーの説教を受ける必要がある。

だが、ここにファンに存在をあらためて痛感させられた以上、音楽活動にもそろそろ真剣に向き合うべきなのかも知れなかった。

 

「最後にちょっとだけ歌ってよ」立ち上がった彼女は言う。

 

「・・・・・・それも冗談か?」

 

俺が呆れてため息をつくより早く、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべ、あろうことか聞き慣れた旋律を口ずさみ始めた。

 

「“僕のこの恋がプロローグのままで幕を閉じたとしても――――”」

 

御坂美琴が「歌う」。

それは俺のシミュレーションには存在しない、あり得ないバグだった。

彼女が鼻歌を歌う姿すら想像したことがないのに、よりにもよって俺の書いた痛々しい失恋ソングを口にするなど、いったいどんな冗談だ。

 

予期せぬ事態への驚きでフリーズした直後、遅れてやってきた強烈な羞恥心に、俺はたまらず手を伸ばす。

 

顎を掴んでやめさせようとする俺に、くすぐられる子供のように彼女は笑いながら身をよじらせて、なおも楽しげに歌い続けた。

 

 

「“後悔しない”」

 

「・・・・・・気をつけて帰れよ――超電磁砲(レールガン)

 

 

溜息をつく俺に、美琴は微笑んで小さく手を振り、背を向けた。

 

が、そのまま店を出ていくかと思われたが、彼女は少し進んだところで踵を返す。

 

 

忘れ物でもしたかと考えていたが、そのまま俺に接近し、顔を寸前まで寄せる。

 

 

呆気にとられた俺の額に、美琴は唇を当てる。

 

 

刹那、熱の感覚。

 

あのときと同じ――いやそれ以上の、甘美にも似た感電の予感だった。

 

二度目の経験を経て確信する。

 

この世界に明瞭と象られる彼女の存在感に。

 

閃く雷光が俺の脳へ手を伸ばし――しかし軌道は逸れて背後へ流れていく。

 

このまま感電してしまえたらと強く想う。

 

彼女の「物語」に身を許すことができたらと――だが、俺の願いは叶わない。

 

一方で、この「力」がなければ彼女に関わることも、恋することも、失恋することもなかった。

 

そこには単純な損得では勘定できない因果の絡み合いがあり、相反する二つの感情がせめぎ合っていた。

 

 

歌を作らねば、と思う。

 

 

『ハッピーエンド』ではただ感情を曝け出しただけに留まった作品を、苦悶の果ての、欺瞞に満ちた自由にならない言葉で、再解釈したかった。

 

その要望に応えられる術は、少なくとも俺にとっては音楽しかないように思われた。

 

御坂美琴はそのまま伝票を手に取る。キスなどそのついでだとでも言うように。

取り返そうと手を伸ばすが、上手く距離感が掴めず虚空を握る。

 

軽い酩酊感に惑う俺へ、美琴は正確無比なウィンクを見せた。

 

 

 

 

 

 

 

「じゃ、おやすみ、■■■■。今日は本当にありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

カラン、と無機質なドアベルが鳴り、重厚なオーク材の扉が冬の夜闇を遮断する。

嵐のような主人公(ヒロイン)が去ったあとの個室には、彼女が残したシャンプーかなにかの甘い香りと、悪酔いしそうな質の悪い喪失感だけが取り残された。

 

「ウィンクなんて出来たんだなあいつ……」

 

触れられた額の熱は、火傷の痕のようにいつまでもそこにある。

 

彼女にとっては、ただの気まぐれか、失恋の痛みを散らすための無意識の残酷さだったのだろう。

 

それを痛いほど理解していながら、

俺はどうしようもなくこの歪な『プロローグ』の続きを望んでしまっている。

 

冷めきったコーヒーの残りを、一息に胃の腑へ流し込む。

ひどく苦く、泥水でもすすっているような味がした。

 

「……おやすみ」

 

誰に届くわけでもない呟きは、静かなジャズの旋律に溶けて消える。

 

 

 

彼女は、少しでも重荷を下ろせただろうか。

彼女は、今夜は心地よい眠りにつけるだろうか。

 

一方で俺は、この未練を抱えたまま、ひどく長い夜を明かさなければならない。

 

まったく、世界っていうのはどこまでも理不尽で、残酷なやつだ。

空になったカップを見つめながら、俺はただ自嘲気味に笑うしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少女が泣き崩れ、ヒーローがその手を取る。

その背景で、名前も持たずに通り過ぎる。

それが、与えられた役割、「正解」だったはずだ。

 

なのに、どうしてまだここにいる?

 

客席はとうに無人。

開幕のベルは、もう遠い残響だ。

主役を失ったステージの上で、

消し忘れたスポットライトだけが、場違いに俺を焼き続けている。

 

 

 

 

――――お前は何者だ?

 

 

 

 

 

 

………………

 

 

一人の男が、世界を描き出そうと決心する。

歳月をかけて、彼は空間を、州や、王国や、山々や、湾や、船や、島や、魚や、部屋や、道具や、星や、馬や、人々で埋め尽くしてゆく。

 

そして死の直前になって彼は、その根気強い線の迷路が、

実は彼自身の顔の輪郭を描き出していたことに気がつくのだ。

 

――ホルヘ・ルイス・ボルヘス『創造者』

 

 

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