とにかく曇る天才女優の幼馴染!   作:サニキ リオ

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第10話 脳破壊される側視点 パート2

 あたしの名前は羽田朝香。

 スマホの画面に表示されたメッセージを、何度も読み返していた。

 

[翼:メソッド演技のコツ、教えてほしい]

 

 心臓が跳ねる。

 翼が、演技のことを聞いてきた。

 あの翼が。

 芸能界を辞めると決めた翼がだ。

 指が震える。返信を打とうとして、何度も文字を消した。

 落ち着け。落ち着いて。

 

[朝香:やっぱり演技やる気になったの!?]

 

 すぐに既読がついた。でも、返信は来ない。

 待ちきれなくて、もう一通送った。

 

[朝香:待ってて、今から電話する!]

 

 発信ボタンを押す。コール音が二回鳴って、繋がった。

 

「もしもし」

 

 翼の声。久しぶりに聞く、あの声だ。

 

「翼!」

 

 声が少し上ずってしまった。落ち着け、落ち着いて。

 

「役者に戻る気になったの?」

「いや、そうじゃ――」

 

 翼が何か言いかけたが、あたしは止まらなかった。

 

「ずっと待ってたの。やっと踏み出したんだって」

 

 メソッド演技。翼が苦手としていた分野。

 それを聞いてくるということは、翼は自分の演技の幅を広げようとしている。テクニカル・アクティングだけじゃなく、メソッド演技も積極的に取り入れようとしている。

 

 それはつまり、翼が本気で演技に向き合おうとしているということだ。

 もし、翼がメソッド演技をものにできたのなら。

 テクニカル・アクティングの安定性と、メソッド演技の感情の深さ。

 両方を兼ね備えた翼の演技は、どれほど素晴らしいものになるだろう。

 想像するだけで、胸が高鳴った。

 

「また一緒にやれるといいわね」

 

 一通りコツを教えたあと、電話を切ってあたしは深く息をついた。

 ベッドに倒れ込んで、天井を見上げる。

 翼が戻ってくる。

 あの翼が、演技の世界に戻ってくる。

 それだけで、世界が明るくなった気がした。

 あたしは、翼が戻ってくるのをずっと待っていた。

 

 それからしばらくして、久しぶりに予定が空いて学校に登校できた。

 撮影の合間を縫っての登校だから、こういう日は貴重だ。

 教室に入ると、クラスメイトたちが駆け寄ってきた。

 

「朝香ちゃん、おはよう!」

「映画見たよ! 超良かった!」

「今度やるドラマも絶対見るからね!」

「ありがとう。楽しんでもらえたみたいで嬉しいわ」

 

 笑顔で応えながら、あたしは教室を見渡した。

 翼の姿を探す。

 窓際の席。そこに翼がいた。

 隣には、ギャルっぽい茶髪の女子が座っている。

 

 二人で何か話している。

 僅かだが、翼の表情は以前よりも明るく見えた。

 翼が誰かと楽しそうに話している。

 その光景に驚いた。

 

 翼は人と距離を置くタイプだと思っていたからだ。

 入学式の日も、一人で黙々と教科書を読んでいた。

 今は違う。あのギャルと笑い合っている。

 

「朝香ちゃん、聞いてる?」

「え? ごめん、何?」

 

 友人の声で我に返る。

 

「次の撮影、いつなの?」

「来週からよ。申し訳ないけど、またノート借りられると助かるわ」

 

 適当に答えながら、あたしは翼たちの会話に耳を傾けた。

 芸能界で鍛えられた聴力は、こういう時に役に立つ。

 

「バッサー、ほんとありがとね! おかげでフォロワー増えたよ!」

 

 ギャルの明るい声が教室に響く。

 

「いや、頑張ったのは鹿角だろ」

 

 翼の声は、少し照れくさそうだ。

 

「でも、バッサーが教えてくれたから! メソッド演技とか、全然知らなかったし!」

 

 メソッド演技。

 その言葉に、あたしの心臓が跳ねた。

 翼が、あのギャルにメソッド演技を教えた?

 

 ということは、あのとき翼があたしに聞いてきたのは――

 

「バッサーって、ほんと演技詳しいよね。元子役だったからかな?」

「まあ、そんなとこだ」

 

 元子役。あのギャルは、翼の過去を知っているのか。

 

「あ、そうだ。この前の話だけど、ちゃんと秘密にしてるから」

「……ありがとな」

「あーし、バッサーのこと信じてるから。味覚障害のことも、絶対誰にも言わないよ」

 

 味覚障害。その言葉に、あたしの思考が止まった。

 味覚障害? 翼が? いつから?

 

「鹿角には感謝してる」

「えへへ、照れるなあ。でも、あーしの前では無理しないでね」

「ああ、ありがとう」

 

 翼の声が、優しい。

 あたしが聞いたことのない、柔らかい声だった。

 味覚障害。翼が、味覚障害。

 あたしは知らなかった。

 何年も一緒に稽古場で過ごして、何度も共演して、それなのにあたしは知らなかった。

 

 あのギャルは知っている。

 翼はあのギャルにだけは話した――あたしには話さなかったのに。

 胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。

 

「朝香ちゃん、大丈夫? 顔色悪いよ?」

 

 友人の心配そうな声が遠くに聞こえる。

 

「ちょっと、体調悪いかも。保健室行ってくる」

 

 そう言って、あたしは教室を出た。

 廊下を歩きながら、頭の中で整理する。

 翼があたしにメソッド演技を聞いてきたのはギャルのため。翼自身が演技の世界に戻るためじゃなかった。

 

 そして、翼は味覚障害だった。

 あたしも知らなかったことを、あのギャルは知っている。

 翼はギャルに心を開いている。

 

 つまり、あたしには心を開いてくれなかったということだ。

 保健室の前で立ち止まる。中に入る気力がなくて、壁に背中を預けた。

 ずっと翼が演技の世界に戻ってくるのを待っていた。

 

 でも、翼はもう戻ってこない。

 それどころか、あたしの知らない場所で、あたしの知らない翼がいた。

 

 あのギャルと笑い合う翼。

 あのギャルに秘密を打ち明ける翼。

 あのギャルの前では無理をしない翼。

 あたしが何年もかけても築けなかった関係を、あのギャルはたった数ヶ月で築いていた。

 

 翼の抱えていた痛み。

 それをあたしは何も知らなかった。

 隣にいたはずなのに、何も気づいてあげられなかった。

 

「み゛」

 




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