あたしの名前は羽田朝香。
三蔵法師役を務める天才女優だ。
今日はルナの一番の見せ場の撮影だった。
蛟魔王の衣装に身を包んだ橘高さんが、現場に入った瞬間から空気が変わった。
衣装を着ているから、ではない。
橘高田之助という人間が、その場に立っているだけで蛟魔王になる。
舞台を長年渡り歩いてきた人間の、身体に染みついた何かだ。
あたしはそれを横目で確かめながら、ルナの様子を見ていた。
ルナは今日、すっぴんで現場に入っていた。
それがどれほどの覚悟を要することか、あたしにはわかる。
幼い頃から一緒に育ってきた。
ルナが自分の顔をどれだけ嫌っているかも、ずっと知っていた。
三白眼もソバカスも、あたしは好きだ。
お母さんである藍梨さんにそっくりで、愛嬌がある。
だけどルナは、それを長い時間をかけてメイクで塗り固めてきた。
その鎧を脱いで、カメラの前に立つことを選んだ。
あたしが何を言ったわけでも、強制したわけでもない。
ルナが自分で選んだのだ。
「ルナちゃん。今日はよろしゅう頼んますわ」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
ルナの声に、いつもの軽さはなかった。
緊張しているわけでもない。
ただ、真っ直ぐだった。
翼が隣で楽しそうにしているのが、視界の端に入る。
「随分と楽しそうね」
つい声が出た。
「そういう朝香だって口の端が吊り上がってるぞ」
翼に言われて、唇に指を当てた。
確かに、緩んでいた。
我ながら珍しいと思う。
自分の感情がこうして顔に出てくるなんて、いつぶりだろう。
あたしは役を演じるとき、田中朝香を消す。
ルナは斎藤ルナのまま沙悟浄を生きている。
消すんじゃなくて、全部持って立っている。
「あたしはルナのことをまるでわかっていなかった。俳優としての素質はあるのに、努力の方向性が間違っている。そう思って、ずっとアドバイスを続けてきた」
「それの何が悪いんだ?」
「ルナが求めていたのはアドバイスじゃない。すごいね、その一言が欲しかっただけなの」
あの子はあたしを嫌っているものだと思っていた。
あたしの真似ばっかりするのも、嫌がらせの一つくらいに思っていたのだ。
「そのときの朝香がいたからルナはアイドルでトップになって、こうして女優としての道も開いた。違うか?」
「だけど、あたしはあの子を苦しめていた」
あの子は役者をやめて、演技の道から離れた。
それが何よりも腹立たしかった。
でも、あたしはまるで彼女のことを理解していなかったのだ。
「やっと素のあの子と向き合えた。それが嬉しいの」
だからこそ、こうして演技を通してルナの素を知れてよかった。
この経験もまた、演技の糧になる。
「俺も向き合わないとな」
「え?」
「西遊記の撮影が終わって落ち着いたら、さ。学校で一緒に飯でも食おう」
予想していなかった一言だった。
胸の奥が、急に騒いだ。
「も、もちろんよ!」
前のめりになっていた自分に、一拍遅れて気づいた。
落ち着け、落ち着いて。
「ま、その辺は梨夢たちも含めてまた今度だな」
「ん、んん~? 待って、あの子たちも一緒にお昼食べる感じ?」
「そりゃ、いつものグループだからな。朝香を混ぜてもいいか聞かないと」
まあ、あいつらは寛容だし、この前のやり取りからしても仲良くやれるだろう。
翼はそんな風に、当たり前のように続けた。
あたしと二人で食事をしようとしたわけじゃない。
梨夢たちのグループに、あたしを混ぜてもらうつもりだった。
つまり、翼にとってあたしは今もまだ、輪の外にいる存在ということだ。
「み゛」