ルナと橘高さんの撮影が始まった。
蛟魔王の武器は薙刀で、対する沙悟浄の武器は二振りのククリナイフ。
「捲簾大将、沙悟浄……推して参る!」
ククリナイフと薙刀がぶつかる。
橘高さんの薙刀捌きは大振りに見えて、異様なほど速い。
受け流されるたび、ルナの体勢が崩されていく。
「儂に刃を向けるなんて、君も愚かやねぇ」
「そんなことはわかっております!」
感情を爆発させながらも、ククリナイフを振るうルナのアクションは見事という他なかった。
アイドル活動で歌って踊り続けた彼女のアクションは、当初の予定よりも激しい物になっていた。
「そんな子に育てた覚えはないで?」
橘高さんの受けもまた見事だった。
激情をぶつける迫真の演技に対するカウンター。
飄々と感情を受け流し、余裕を崩さない。
「育ててもらった恩はあります。ですが、あたしが守りたいのは仲間なのです!」
「くだらないなぁ……所詮、奴らは人間とその手下。君も牛魔王の兄さんのように人間に裏切られるで?」
「あぁ゛っ!?」
ククリナイフを落とされて、薙刀の柄で横っ面を殴り飛ばされる。
地べたに這いつくばり、顔を踏まれてルナは悲鳴を上げた。
「カット!」
五木監督からカットの声がかかる。
「いい……今のすごくよかった! その調子で次のシーンも頼むよ!」
「はい!」
ルナは立ち上がると汗だくの顔のまま返事をした。
「最近のアイドルは恐ろしいわぁ」
橘高さんはそんなルナを目を細めて呟く。
「演技力もあって、アクションもできる。何より根性がある。目ぇが折れへんのがええわぁ」
ベテラン俳優からルナが俳優として評価されている。
自分のことじゃないのに、それが無性に嬉しかった。
ふと、横を見れば朝香も腕を組んで満足げに頷いている。
それから、ルナのメイクがボロボロにやられ、素の表情が剥き出しになったメイクへと変わる。
「……やってやる、やってやる」
一度、目を閉じてからルナは目を見開く。
その鋭い目つきは、仲間を守るという覚悟に溢れていた。
「次のシーンいきます!」
カチンコの音が鳴る。
片方のククリナイフを失い、左腕をだらんと垂らしたルナはメイクの剥げた顔で橘高さんを睨みつけていた。
橘高さんのほうも多少息は上がっており、ずっと余裕のままではいられなかったことが見受けられる。
「どうして、そこまでするん? たかが人間如きに、そこまで……」
純粋な困惑の混じった演技。
蛟魔王には理解できない絆がそこにはあった。
「あたしに心をくれたからだ!」
「心ぉ?」
「空っぽだったあたしに、あの人たちは全てをくれた! 三蔵ちゃんは人を思いやる優しさをくれた! 八戒さんは人の痛みを分かち合う強さをくれた! 悟空は……悟空は人に恋する温かさをくれたんだ!」
「何を言って……」
ありのままの感情を剝き出しにした叫びに、蛟魔王を演じる橘高さんが怯む。
「あんたにはわからない……憎しみに囚われ、他者を駒としか見れないあんたには、彼らの素晴らしさはわからない!」
ルナは片方だけ残ったククリナイフを構えて橘高さんへと飛び掛かる。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ァ!」
それは魂の叫びだった。
想いを乗せた一撃ならば、この強敵すらも倒せる。
そう思わせるだけの迫力があった。
「ハッ、この恩知らずが」
しかし、蛟魔王の力は強大でここは沙悟浄にとっての負けイベント。
石突で腹を突かれ、顔を拳で殴り飛ばされたルナはそのまま地面へ転がった。
当然、本気で突いたり殴ったりしているわけでもないが、殺陣のクオリティが高すぎてスタッフの中には目を覆っている人もいたくらいだった。
「捲簾大将、沙悟浄……さらば」
地面へと転がったルナの首へと薙刀が振り下ろされる瞬間。
「アッキャー!」
俺の如意棒が割り込む。
それと同時に、仲間を傷つけられた怒りが腹の奥底から湧いてくる。
「おうおう、蛟影よぉ! 俺の仲間になにしてくれてんだ?」
「これはこれは、美猴王の兄さん。わざわざ遠いところからご苦労様やね」
どこか嬉しそうに笑う蛟魔王。
憎悪、情景、諦観。
様々な感情がない交ぜになった笑顔を、橘高さんは完璧に演じていた。
「悟、空……来るのが遅いのよ、バカ」
「……悪かったな」
地面に転がったルナの顔を、一瞬だけ見た。
メイクが剥げている。
汗と泥が混じって、三白眼とソバカスが照明に晒されていた。
それなのに、その目は折れていなかった。
仲間を待っていた。
ここで死ぬつもりなんて、最初からなかった顔だった。
「安心しろ。俺ァ斉天大聖、孫悟空様だ」
「カット!」
監督の声が飛んだ瞬間、スタジオの空気が一気にほどけた。
スタッフのあちこちから息が漏れて、それが拍手に変わるまで数秒もかからなかった。
橘高さんが薙刀を下ろして、ゆっくりと肩の力を抜く。
「ルナちゃん。ええ目ぇしとったで」
「……ありがとうございました」
ルナは地面に転がったまま、しばらく動かなかった。
天井を見上げて、荒い息をついている。
走り切った後の顔だった。
俺はしゃがんで、ルナに手を差し出した。
「立てるか」
「……うん」
ルナが手を掴んだ。
その手は、まだ少し震えていた。