とにかく曇る天才女優の幼馴染!   作:サニキ リオ

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第109話 お釈迦様

 ついに最終話の収録がやってきた。

 最終話は、天竺に到着した三蔵法師一行を待ち受ける最後の試練の話だ。

 世に平安をもたらすありがたいお経〝三蔵乃経(みくらのきょう)〟を得るためには、弟子を含めて試練を受けることになる。

 

 天竺大雷音寺にある高位の修行僧が入ることになる洞窟、心鏡大空洞。

 そこに入った途端、四人はバラバラの空間へ飛ばされることになる。

 そして、それぞれの恐怖の対象と戦うことになる。

 この洞窟は己の心に救う恐怖と戦い、打ち勝つことで三蔵乃経を授かる資格を得ることができるという話だ。

 

「やあ、ルナちゃん。また頼むで」

「橘高さん。今日もよろしくお願いします!」

 

 悟浄の恐怖の象徴は蛟魔王のため、ルナは再び橘高さんとのアクションシーンが待っている。

 

「僕は一人芝居かぁ」

 

 八戒はかつて傲慢で横暴だった妖怪の王だった頃の自分自身との戦い。

 つまり、一人で雰囲気の違う猪八戒を演じることになる。

 これはなかなか難易度が高そうだ。

 

「翼君。久しぶりだねぇ。今日はよろしく頼むよ」

「こ、こちらこそ、よろしくお願いします!」

 

 悟空の恐怖の対象は、五行山に五百年間、彼を封じた張本人であるお釈迦様だ。

 お釈迦様役の俳優は、酒寄正臣(さかよりまさおみ)さんだ。

 御年七十歳になる芸能界の大御所であり、テレビで彼を見ない日はない大物中の大物。

 

 そんな彼も過去に孫悟空を演じており、このドラマには特別出演という形で出演することになった。

 子役時代に一度だけ共演したことはあったが、穏やかでとても優しい人だったのは記憶に残っている。

 

「いやぁ、大きくなったねぇ」

「ご無沙汰しております。当時は大変お世話になりました」

「もー、そう堅くならないでよぉ」

「あ、はは……」

 

 そうは言われても、こんな大物の前で堅くなるなというほうが無理だ。

 

「僕もね、久しぶりに西遊記に出れることになってすっごく嬉しいよ。あっ、ちょっと如意棒借りてもいい?」

「ど、どうぞどうぞ!」

「ありがちょねー。よっ、と」

 

 如意棒を差し出すと、酒寄さんは年齢など感じさせない軽快な動きで如意棒を回し始める。

 

 あれ、俺よりうまくね?

 

「ほっほー! こりゃいい! 僕が使ってた奴より、数倍回しやすいよ!」

「す、すげぇ……」

 

 その華麗な如意棒捌きについ目を奪われてしまう。

 さすがは悟空の代名詞とも呼ばれる俳優だ。

 

「どう? こんだけできる僕、恐ろしいでしょ?」

「っ!」

 

 笑顔のまま酒寄さんは如意棒を軽々と投げて返してくる。

 それを見た瞬間、俺の中で最後のピースがバチリと填まった。

 

「はい、とても怖いです」

「はっはー! じゃあ、本番もバッチリだね!」

 

 掴み所のない穏やかで優しい人物が醸し出す強者感。

 自分の強さに絶対の自信がある悟空だからこそ、より一層その恐怖は強く感じられる。

 

 本番前の静けさは、独特の質感がある。

 スタジオではなく、実際の洞窟をセットに仕立てた撮影場所だった。

 岩肌を模した壁面に松明の灯りが揺れて、足元の砂が靴底に伝わってくる。

 照明スタッフが角度を微調整するたびに、影の形が変わった。

 

 俺は洞窟の奥に立って、如意棒を握った。

 悟空として、この空間を読む。

 霧のような気配が満ちていた。

 

 妖怪の臭いとも違い、人間の臭いとも違う。

 もっと古くて、もっと深いところにある何かだ。

 

 五行山に封じられる前、悟空は天界を荒らし回った。

 神将を打ち負かし、太上老君の八卦炉から逃げ出し、天宮をひっくり返した。

 

 それでも一人だけ勝てなかった相手がいる。

 お釈迦様だけが、斉天大聖・孫悟空を止めることができた。

 

「本番、いきます」

 

 カチンコが鳴り、松明の灯りが揺れる。

 空気の動き方が変わった。

 それだけで、誰が来たかわかった。

 

 振り返る前に、如意棒を構えていた。

 構えるという動きが、全身の警戒を呼び起こす。

 

「お久しぶりですね、悟空さん」

 

 穏やかな声だった。

 酒寄さんが、ゆっくりと歩いてくる。

 衣装をまとった姿は、さっきまでの柔らかい空気とは別物だった。

 

 笑みは同じだった。

 目元の皺も、声の質も変わっていない。

 それなのに、全身から別の何かが滲み出ていた。

 あえて言葉にするなら、それは格だった。

 

 積み上げてきた時間の重さが、ただ立っているだけで出てくる。

 如意棒を握る手に力が入った。

 

「元気にしていましたか?」

「……三蔵法師様に封印を解いていただいたので、はい」

 

 なんとか声が出た。

 絶対強者へ逆らえないという感覚がある。

 身をもってその恐ろしさを知っていたからだ。

 

「五百年。頭は冷えましたか?」

「はい……それはもう」

 

 余計な言葉は出なかった。

 悟空として対峙している以上、お釈迦様の前では言葉が絞られる。

 

「私を恨んでいますか」

 

 酒寄さんが、一歩だけ近づいた。

 その一歩の重さが、床から伝わってくる気がした。

 

「とんでもございません」

 

 それに対して、俺は恐怖を抱えたまま真っすぐに酒寄さんを見据える。

 

「不釣り合いな力を得て、ただ力に溺れた者が封じられただけのこと。むしろ、感謝しております。命と同等に大切な仲間と出会えたことは余りある幸せです」

「ほっほっほ、それはよかった」

 

 口元の笑みが、少しだけ変わった。

 

「あなたに試練は必要なかったみたいですね」

「お釈迦様、それはどういう……」

「あなたは己を知り、向き合い続けた。そして、暴力ではなく言葉で私と向き合った。その選択を私は何よりも尊いと思います」

「ま、さか……あなたは本当の……!?」

 

 そこで俺は理解する。

 己の潜在的な恐怖を映し出す修行場。

 その場を使い、わざわざ本物のお釈迦様が出てきてくれたのだと。

 

「成長しましたね。斉天大聖、孫悟空」

「もったいなきお言葉です!」

「本当に、よくここまで……」

 

 酒寄さんの目が、細くなった。

 それから、ゆっくりと笑みが広がった。

 

「カット!」

 

 監督の声が落ちた。

 スタジオが静まり返り、ゆっくりと拍手が起きた。

 

「いい悟空だったよ、翼君」

「ありがとうございます!」

「また演ろうね。君との共演は楽しくてしょうがないよ」

「はい!」

 

 酒寄さんの言葉が胸に染み渡る。

 だけど、その温かさはすぐに忘れなければいけない。

 

 如意棒を持ち直し、感情をリセットする。

 次のセットへ移動するスタッフの声が飛んでくる。

 残すところは、三蔵法師のシーンだ。

 

 朝香が、洞窟のセットの奥に向かって歩いていくのが見えた。

 その背中は、すでに三蔵法師だった。

 

 何故、三蔵法師の修行シーンで悟空が映るのか。

 

 理由は簡単だ――三蔵法師の恐怖の対象は、孫悟空だからである。

 

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