第114話 騎志社長からの個人的なお願い
西遊記の撮影も終わり、俺は事務所に呼び出されていた。
撮影中の事故のこともあり、怒られるのではないかと内心ハラハラしている。
「やあ、学校帰りに悪いね」
「いえ、基本的に放課後は事務所に寄ってるので大丈夫ですよ」
基本的に事務所に寄るようにしている。
朝香以外にも何名か所属タレントはいるため、できるだけ関係は構築しておこうと思ったのだ。
「西遊記。業界でも話題になってるよ」
「ありがたい話です」
絶賛放送中のドラマ西遊記は、この令和の時代に高視聴率をキープしていた。
SNSでも話題になっており、伽須翼の名前はさらに有名になった。
消えた子役からの完全復活。
ここ最近CMやバラエティー番組に出てたこともあり、視聴者は孫悟空とのギャップに驚いてくれた。
まったく、役者冥利に尽きる話だ。
「翼君へのオファーもどんどん来てるし、このチャンスは活かしたいところだ」
「ええ。僕自身、仕事を選ぶつもりもないですし、じゃんじゃん仕事入れちゃってください!」
仕事はあればあるだけいい。
あの精神が削られる虚無の時間はもう過ごしたくはない。
「もちろん、それはこちらとしてもありがたいけど、大量にオファーが来てる仕事はまだ先の予定でね。ほら〝劇場版 斬鉄飛翔セミブレード〟のゲスト声優のオファーとか、来年の夏に公開する作品だし」
何せ西遊記が話題になったのは直近の話だ。
そこから増えた仕事となると、スケジュール的にも先の話にはなるだろう。
まあ、人気アニメ映画のゲスト声優は子役ぶりだからちょっとワクワクしている。
「実は君に……社長としてじゃなくて、朝香の叔父として頼みたいことがあるんだ」
騎志社長は真剣な面持ちで告げる。
「少しの間だけでいい。朝香に普通の学生生活を送らせたいんだ」
「いやぁ、無理じゃないですかね?」
「やっぱり、翼君もそう思うよね」
俺の言葉に、騎志社長は深いため息をついた。
「あの子は昔から芸能界にいたこともあって、周囲の人間を役作りの素材としか見てないところがあってね」
「めっちゃわかります。今でも人を気に入る理由は、その人を見てるというより、その人のパラメータを見てるって感じですから」
最近絡むようになった郁への態度がまさにそれだ。
朝香は昔から自分が認めた人間以外には、線を引いて対応していた。
「それに、うちの子や朝香の弟や妹も朝香を怖がってるところがあってね……悩ましいよ」
「朝香って、姉弟いたんですか?」
初耳である。
うーん、役者に復帰してから朝香に関する新情報がどんどん出てくるな。
「いるよ。十一歳の弟と十歳の妹がね。あっ、うちの息子は十二歳だよ」
「というか、怖がられてるって?」
「うん。あの子は家にあんまりいないし、いても役作りに集中してる。下の子たちが見る朝香は見るたびに別人になっているんだ」
それは容易に想像できる光景だった。
「あの子は根っからの役者だ」
その言葉には、同意しかない。
役者は朝香にとって職業じゃない、生き方なのだ。
「小学校の頃、授業参観があってね。あの子の両親が仕事を調整して駆けつけようとしてる中、なんて言ったと思う?」
『その日、あたしは仕事あって休みだから来なくていいよ。二人も仕事優先したら?』
「うわぁ……」
ちなみに、俺の場合は普通に来てもらえなかった。
後々知ったが、俺の授業参観日に父さんは風邪で寝込んでて、母さんは浮気相手とデートしていたらしい。
「こんな調子で大丈夫なのかって叔父として心配でね。朝香の両親はクリエイター気質だからその辺はあんまり気にしてないみたいでさ」
小説家とコスプレイヤーだもんなぁ……仕事人間なのは想像に容易い。
「でも、それなら普通の学生の役作りのために学校生活も楽しむように言えばいいんじゃないですか?」
「少し話せば大体どういう人間かはわかるから、深い付き合いは必要ないってさ」
なんとも朝香らしい言い分だった。
けれど、そのある種の欠落があるからこそ、朝香はあそこまでの役者になったのだとも思う。
追いついたと思うくらいに自分が成長したら、その差をより強く感じさせる。
それほどまでに、朝香の役者としての姿は魅力的だった。
「まあ、無理にとは言わないよ。せめて文化祭くらいは朝香が楽しめるように、気づいたベースでフォローしてほしいんだ」
「それくらいならいいですよ」
時期的に、慶明高校はそろそろ文化祭の準備が始まる頃。
せっかくの学校行事なのだ。
朝香にも普通の学生生活の楽しさを味わってもらうのは悪いことじゃない。
田中朝香としての彼女をもっと知りたいと思っていたところだし。
「……お疲れ」
社長室を出ると、どこか沈んだ様子の朝香が目に入った。
「元気なさそうだけど、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫よ。少し疲れただけ」
そういえば、朝香は西遊記の仕事を受けるためにかなり無茶なスケジュールをこなしていた。
疲れも溜まるだろう。
「あまり無理はするなよ」
「わかってるわ」
短くそう告げると、朝香は社長室へと入っていく。
どうやら、騎志社長に話があったようだ。
心配だったので、そのまましばらく待っていると――
「み゛」
社長室から絶命寸前のセミのような声が聞こえてきたのだった。