西遊記のスケジュールが鬼だったこともあり、当面はオフの日が続く。
そのあとに待っているのは、ドラマやCMの出演オファー。
やっぱり、緩急があると仕事に締まりが出て気分も上がる。
全力でこのオフを満喫して仕事の糧にするのだ。
「あっ、バッサー! はよー!」
「梨夢か。おはよ……う?」
朝から梨夢らしい元気な声が聞こえてきたので、振り返るとそこにいたのは梨夢じゃなかった。
ギャルになった朝香だった。
「朝香、なのか……」
「うん、なかなかイケてるっしょー?」
どうやら朝香ではあるらしい。
「いや、イケてるとか以前の問題なんだが」
思わず二度見した。
制服のスカートはやや短め。
シャツのボタンは一つ開けられていて、首元には見覚えのないチョーカー。
髪もいつものストレートではなく、軽く巻かれている。
髪を染めたりしているわけでもないのに、変声機を使ったわけでもない。
メイクでかなり顔の印象を梨夢にしているとはいえ、そこに梨夢がいるかのように錯覚してしまうのは異常である。
恐ろしいことに、朝香は梨夢を完全にトレースしていたのだ。
「えー、ひどくない? これでも結構研究したんだけど」
朝香は唇を尖らせた。
「研究ってなんだ研究って」
「普通の学生生活を送るための第一歩! まずはサンプルを収集して、最適な人格を構築する必要があるじゃん?」
「その時点で普通じゃないだろ……」
こいつ、本気だ。
どうやら朝香なりに〝普通〟を理解しようとしている状態らしい。
まったくもって見当外れではあるが。
「で、なんで梨夢なんだ?」
「クラス内で最も交友関係が広いのが梨夢だかんね! 普通の学生生活を送るには、まずコミュニケーション能力の高い人格を参考にするべきだと判断したんだー」
「分析の方向性は合ってるのが怖いな……」
しかも、ただの真似じゃない。
歩き方、声のトーン、メイクの癖。
全部、妙に完成度が高かった。
梨夢本人をかなり細かく観察していたのだろう。
「ま、こんなのは基礎中の基礎だけどねー。でも、迷ったときには基礎に立ち返れって言うし」
梨夢のままそう告げると、一瞬だけ朝香の顔に戻る。
「人間は誰しも相手によって態度や性格を大なり小なり使い分ける。みんな役者。つまり、一人を真似ればあたしの中にはたくさんの〝役〟が手に入るの」
「それが朝香のメソッド演技の根本ってわけか」
「そうね。育った環境、人間関係、それをベースに演じることで、あるはずのない役の記憶も見えてくる。経験なんてしなくても、あたしならどんな役だって演じられるわ」
孫悟空を演じるあまり二重人格レベルで分裂してしまった身としては、説得力のある話だった。
「あーしも結構やるっしょ?」
瞬間、背筋に悪寒が走る。
その笑みも、寸分の狂いなく梨夢になっていた。
ドラマで作られた人間と現実世界に生きる人間を演じるのは違う。
脚本があるわけじゃない。
台詞も決まっていない。
難易度で言えばこっちの方が圧倒的に上だ。
にもかかわらず、朝香はそれを成立させていた。
これが羽田朝香。
子役時代から主演クラスを演じ続け、若手の頂点に君臨する天才女優の異質さ。
「ほら、バッサー行くよ」
「お、おう……」
そんな会話をしている間にも、周囲の視線がこちらに集まっていた。
「あれ、梨夢髪染めた?」
「えー、染めてないよ」
「うっそだー。髪色変わり過ぎでしょ」
そして、教室に行くまですれ違ったクラスメイトたちは、朝香を梨夢として認識していたのだった。