教室に到着してからも、朝香はそのまま梨夢として過ごしていた。
正直に言えば、その光景は気持ち悪いの一言に尽きた。
髪色が違うため、誰もが最初は違和感を覚える。
けれど、朝香の演じる梨夢の話し方のせいでみんな朝香を梨夢だと思い込んでいく。
知りたかった田中朝香と一緒に日常を過ごせると思っていたが、そこにいたのはどうしようもなく羽田朝香だった。
「バッサー……バッサー……!」
教室の外から俺を呼ぶ声がしたので振り向くと、そこにいたのは梨夢だった。
俺は急いで教室を出る。
「バッサー! あれ、朝香ちゃんだよね?」
「ああ、どうやら普通の学生として友達作りをしようとしたらしい」
「それがどうやったら、あーしを演じることになんの!?」
それは本当にそうだと思う。
「質の悪いことに、朝香は梨夢を演じてるだけで成りすましてるつもりはないっぽいんだよな」
「えっ、じゃあ本人はあーしっぽく振舞って友達作ろうとしたら、あーし本人だと思われちゃったってこと!?」
「たぶん、そういうことだな」
「怖っ! ホラーじゃん!」
梨夢はドン引きした顔で教室の中を覗き込む。
そこでは〝梨夢〟が女子グループの中心で笑っていた。
「いや、あーし自分を外から見たことないんだけど……こんな感じなんだ」
「そこにショック受けるのかよ」
だが、今の朝香の異常性はそこじゃない。
「普通、人間って見た目で判別するのに、みんな途中から〝梨夢だ〟って認識に引っ張られてる」
「それって……」
梨夢の顔から笑みが消える。
朝香の演技は、ただ似ているだけじゃない。
相手の認識そのものを書き換えているのだ。
人間は〝それっぽさ〟が一定以上を超えると、細かい違和感を脳内補正する。
髪色が違っても、多少顔立ちが違っても。
会話のテンポや空気感などの纏っている雰囲気が一致すると、〝本人〟として処理してしまう。
「役者っていうか、もはや催眠術じゃん……」
「俺もそう思う」
「あっ、いたいたー!」
すると、教室の中から、ギャル朝香がこちらに気づいて軽い足取りで近づいてくる。
「ちょ、待っ――」
「えっ」
本物の梨夢と、偽物の梨夢。
二人が鉢合わせた。
教室の空気が止まる。
「え?」
「え?」
数秒の沈黙の後、周囲の生徒たちが混乱し始めた。
まずい、ただでさえ朝香は悪気なく梨夢を演じていた。
ここからのことは何も考えていないのだろう。
「はい、ここまで!」
俺は瞬時に両手を打ち付けて注意を自分へと向ける。
「俺も朝香もしばらくオフでな。暇だったからドッキリしかけてみたんだ」
目で合図すると、朝香は一瞬だけハッとした表情になった。
「じゃじゃーん! ……みんなビックリしたかしら?」
それから器用にしゃべりながら演技を徐々に解除していく。
「あーしが一番ビックリだよ! どうしてみんな気づかないの!?」
そこにすかさず梨夢がオーバー気味に叫ぶ。
すると、クラスの空気が一気に緩んだ。
「なんだドッキリかー!」
「マジで騙された!」
「朝香ちゃん、プロすぎ!」
あちこちから笑い声が上がる。
どうにか誤魔化せたらしい。
朝香も周囲に合わせて笑っていたが、その目だけは妙に真剣だった。
たぶん今も分析している。
どのタイミングで空気が緩んだのか。
どんな言葉で疑念が晴れたのか。
そういうものを、一つ残らず拾っているのだろう。
「いやでも、本当に似てたよね」
「喋り方とか完全に梨夢だったし」
「途中まで普通に本人だと思ってた」
クラスメイトたちが口々に感想を言う。
すると朝香は、申し訳なさそうな表情を作った。
「ごめんなさい。みんなが気づかないものだからやめどきを見失っちゃって……」
これも演技だ。
おそらく、朝香なりに自分の行動におかしな部分があると空気から判断して場を治めるほうへ舵を切ったのだろう。
「それは朝香ちゃんの演技がすごすぎるだけ!」
「なんか天才女優の演技が見れてラッキーだったかも!」
「そうだ。いっそ、文化祭の出し物演劇にしない?」
話がおかしな方向へと転がりだした。
「えっ、いいじゃんそれ!」
「見たい見たい!」
「うちのクラスには俳優二人もいるんだし、一位も獲れんじゃね?」
こうして、朝香のドッペルゲンガー騒動は幕を閉じたものの、新たな問題が浮上することになった。
「いいわね! 主演は任せて!」
すっかり朝香は乗り気だった。
そこへ担任の先生が教室へ入ってくる。
「おー、やっと文化祭の出し物決まったのか」
「はい! 演劇をやろうと思って」
「そうか。だったら、田中と凪野は出演できないから気を付けてな」
「み゛」
そもそも、有名俳優が二人もいる演劇なんて絶対許可下りないだろ……。