「ありがとう!」
池手はぱっと笑顔になってスマホを操作し、リンクをクラスRINEから飛んだ俺の連絡先に貼る。通知音が鳴って、スマホに小説のURLが届いた。
「これが、私の作品」
池手の小説は、十万文字を超えている大作だった。
これだけ書いて誰にも読まれないというのは、相当辛いだろう。
池手は悲しそうに俯いた。画面を見つめたまま、小さく唇を噛んでいる。
「ランキングにも載らないし、更新順で表示されても誰も見てくれない。たまにアクセスがあっても、すぐに離脱されちゃうの」
「すぐに離脱?」
「うん。冒頭だけ読んで閉じられてるんだと思う」
なるほど。読者は最初の数行で判断しているわけか。
テレビと同じだ。番組開始から十五分。
ここで掴みに失敗すると、視聴維持率を保てずに他のチャンネルへ切り替える〝ザッピング〟が最も多く発生する。
ネット小説となれば、その速度はもっと早いはずだ。
「ちょっと読ませてもらっていいか?」
「うん、お願い」
俺はスマホを受け取り、第一話を開いた。
【この潮騒になんと名前を付けようか】
第1話
春の夜。
満月が空に浮かび、街を静かに照らしていた。
俺は、いつものように海辺の公園のベンチに座り、月を眺めていた。
月は美しい。
静かで、穏やかで、優しい光を放っている。
昔から、月を見ると心が落ち着いた。
どんなに辛いことがあっても、月を見れば少しだけ楽になれた。
今日も、月を見ている。
波の音が聞こえる。
潮騒は、いつも同じリズムを刻んでいる。
この音にも、名前があるのだろうか。
俺は読むのをやめた。
文章は丁寧だ。情景描写も悪くない。
ただ、何も起きていない。
主人公が月と海を眺めて、感傷に浸っているだけだ。
これじゃあ、ただのポエムだろう。
おそらくヒロインとの出会いを幻想的な感じにするため、描写に力を入れたのだろう。
俺だったら、この時点でブラウザバック不可避だ。
「どうかな?」
池手が不安そうに尋ねてくる。机の下で両手を握りしめているのが見えた。
「文章は綺麗だよ。情景描写も丁寧だし」
「あ、ありがとう」
池手の表情が少し明るくなる。すぐに気づいたようだ。
「何か引っかかる?」
「冒頭で読者を引き込めてないと思う」
池手は少し驚いたように目を見開いた。眼鏡の奥の瞳が、俺の顔を見つめている。
「引き込む?」
「素人意見だけど、ネット小説って最初の数行が勝負なんじゃないか」
俺は続けた。
「テレビドラマも同じなんだ。冒頭で視聴者の興味を引かないと、チャンネルを変えられる。最初の十五分で、〝この先どうなるんだろう〟って思わせないと」
「そっか」
池手は真剣な顔で頷いた。ノートを取り出して、メモを取り始める。
「池手の小説は、主人公が月と海を眺めて感傷に浸っている描写が続く。読者は〝で、何が起こるの?〟って思うわけだ」
「確かに、そうかも」
池手は少し落ち込んだように肩を落とした。
「じゃあ、どうすればいいの?」
「最初に、何か事件を起こす」
「事件?」
池手が顔を上げた。
「例えば、いきなりヒロインに振り回されているシーンから始めて、どうしてこうなったのかっていう出会いは後回しにするとか」
「あ!」
池手は目を輝かせた。ペンを走らせながら、何度も頷いている。
「なるほど! 結果を先に見せて、原因は後から説明する」
「そうそう。映画でもよく使う手法だ。爆発シーンから始まって〝十二時間前〟ってテロップが出るやつ」
「わかる! 見たことある!」
池手は興奮した様子でメモを取り続けている。
「それから、主人公が何者かをさっさと出した方がいい。なぜ月が好きなのか、なぜ海辺にいるのか。そういう背景は、事件が起きた後に説明すればいい」
「何者かが先で、説明が後」
池手は真剣にメモを取っている。ペンを走らせる手が震えているのが見えた。