案の定、許可は下りなかった。
当然である。
俺と朝香が学園祭の演劇に出演するなんて、砂場で城を作っている横で高層ビルを建築するようなものだ。
不公平だと他のクラスや部活から不満の声も上がるだろうし、ただでさえ狭い都内の校舎に来客が殺到すれば文化祭どころではなくなってしまう。
芸能事務所に所属している以上、いろんな問題も絡んでくる。
盛り上がりよりも、生徒たちのことを考えている学校側による正しい判断だった。
「で、なんで結局俺たちは演劇の準備をしてるんだ」
「ま、もともと演劇でやろうとは思って事前準備してたからね」
「丸代もよくやるよ……ったく」
俺と朝香が出演する演劇の許可は下りなかった。
しかし、俺と朝香が出演しない演劇の許可は下りてしまった。
つまり、クラスの出し物として演劇はやる。
俺と朝香は出ない代わりに、稽古に協力しするという形になったのだ。
「……法の抜け穴みたいなことしやがって」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
提案者である丸代が濃いクマが浮かんだ顔で笑顔を浮かべる。
今回の演劇の脚本は丸代が担当してくれた。
何でも徹夜して死ぬ気で文化祭に間に合うように仕上げたらしい。
言い出しっぺがここまでやってくれている以上、こちらも全力で応えないといけないだろう。
視線を横に動かすと、朝香は椅子に腰かけて、配られた台本を膝の上に置いていた。
そして、クラスメイトたちの動きを静かに追っている。
「朝香。どうだみんなの様子は」
朝香はしばらく黙って、クラスメイトたちを眺めていた。
「……脚本の完成度に演技力が追い付いてないわ」
「丸代の脚本の完成度?」
「ええ」
朝香の声に、珍しく迷いのようなものが混じっていた。
「演じることはできないけど、これだけのものを書いてくれた池手さんに報いたい。それは本気でそう思ってる」
台本を手の中で軽く握りなおす。
「だから、全力でやるわ。出演できない分、せめて稽古で」
「……そうか」
意外だった。
朝香が学校の出し物にそこまでの覚悟を持つとは思っていなかった。
だが、考えてみれば当然かもしれない。
丸代の脚本は、素直にいい脚本だった。
宇宙人の少女が人の心を知っていく話を、学園祭の出し物の枠で書いたとは思えないほど、人物の感情の動きが丁寧に描かれていた。
あれを読んで何も感じない役者がいたとしたら、そちらの方がおかしい。
「下手だけどやる気のある人間には全力で教えるわ。本気で演技する気のない人間は徹底的に叩き込んで最低限見せられるように指導する」
クラスメイトに聞こえないよう、朝香は小声で続ける。
「でも、参ったわね。見込みのある人間を集中的に伸ばしたとしても、全体のバランスが悪くなるわ」
「それは俺も懸念してる。突出して演技のうまい奴がいると、下手な奴が際立つからな」
「そういうこと。ま、ヒロインやらせるなら帆林さんで決定だから、あの子だけの集中的に鍛えるのもありだけど」
俺と朝香が演技指導をするにあたっって、最初はキャスティング権をこちらに委ねる形に決まった。
その際、朝香は躊躇なく郁を指名したのだ。
「最近マシになってとはいえ、郁はあまり目立つのが得意じゃないぞ」
「だから余計に面白いじゃない。そういう人間が殻を破る瞬間ほど、心が躍るものはないわ」
「お前……本当に郁のことを好きだよな」
「顔よし、スタイルよし、何より芯が強い。嫌いになる要素がないわ」
言い切り方に、清々しいほど迷いなかった。
それから稽古を切り上げ、本読みが始まった。
椅子を並べて、キャストが向かい合う形に整える。
丸代が黒板に役名と担当者名を書き出した。
何もここまで本格的にやらなくても……。
「じゃあ、最初に台本を一回読み合わせします。うまくやろうとしなくていいので、まず声に出してみてください」
丸代が前に立って説明している。
朝香はその横で腕を組んで静かに立っていた。
台本は手に持っていない。
当然だ。もう全部入っている。
読み合わせが始まった。
予想通り、ぎこちない。
台本を目で追いながら声を出すので、視線が下に落ちたまま動かない。
自分の番が終わると、次の人の台詞を確認することに集中してしまって、相手の声が聞こえていない。
まあ、最初はこんなものだ。
黙って聞くことにする。
どこに問題があるか、一通り把握してから動いた方がいい。
郁のセリフが回ってくる。
「……人間を理解するとは、どういった条件で達成されるのでしょう」
喉から振り絞られた声は小さかった。
声が出ていないのではなく、声を出すのを躊躇っているという印象を受ける。
本読みはそのまま通しで行い、内容の確認は済んだ。
そこで朝香が動いた。
郁の向かいに立って、まっすぐに目を見る。
「もう一回」
「え?」
「人間を理解するとは、どういった条件で達成されるのでしょう。この台詞を、今度はあたしに向かって言って」
郁が戸惑ったまま、もう一度口を開いた。
「人間を理解するとは、どういった条件で達成されるのでしょう」
「さっきより声が出てる。なんでかわかる?」
「えっと……」
「届けたい相手がいたから。台本を見てるとき、声は自分の前で止まってる。でも今は、あたしのところまで来てた」
郁がゆっくりと目を瞬かせた。
その顔が、少しだけほぐれた。
「もう一回やってみなさい。今度は台本見なくていい。台詞、もう覚えてるでしょ」
「はい! ……人間を理解するとは、どういった条件で達成されるのでしょう」
三度目で、声が変わった。
まだ細いが、空気を切る芯があった。
教室の後ろまで届いていた。
満足げに頷くと、朝香が席に戻る。
キャストの何人かが、ぼんやりとその背中を目で追っていた。
郁は手元をじっと見下ろして動かない。
「朝香。最初から郁に絞る気だったのか」
小声で隣から声をかけると、朝香は前を向いたまま答えた。
「いいえ、他の子たちだってきちんと指導するわ。でも、帆林さんには主演の演技を叩き込む。あたしの持てる全てを尽くしてね」
朝香にとって郁は一番伸びしろがあり、本人にもやる気があるから教えがいがあるのだろう。
だからこそ、他のクラスメイトへの対応が気になってしまった。
本人は気づいていないのだろう。
朝香は気に入った人間以外をただの駒としか見ていなかった。