あたしの名前は田中朝香。
師匠にダメ出しされて自分を見つめなおしている最中の女子高生だ。
昆布の浸かった水が、少しずつ色を変えていく。
「フードプロセッサー、どこにあるか知ってる?」
「あそこの棚」
ルナの声と、天太の返事が聞こえてくる。
振り返らなくても、光景は容易に想像できた。
ルナを中心に、天太と沙也加が両脇を固めている。
ルナの方が、勝手を知っているみたいに動いている。
「今日はね、ちょっと特別なハンバーグ作るよー」
「特別!」
沙也加の声が一段高くなった。
あの子があんなふうに声を弾ませるのを、最後にいつ見ただろう。
さすがは、ルナだ。
「ひき肉と一緒に寒天を混ぜると肉汁感が全然変わるんだよねー」
「両賀家の食卓でやってた裏技じゃん!」
「おっ、よく知ってるねー。やってみるー?」
「「やる!」」
そういえば、師匠ってドラマや舞台だけじゃなくて、バラエティー番組も積極的にやってたっけ。
あたしも出てたなぁ、あの番組。
「朝香って、家族に興味ないのか?」
いきなり翼に声をかけられて、手が止まった。
ビックリしたなぁ、もう。
「そんなことはないわ。両親も弟たちだって大切に思ってるわよ」
「そうは見えないけどな」
「失礼ね」
むっとしながら、小皿の位置を意味もなく直す。
「だったら、なんで買い物してる二人を放り出して自分が食べたいものを買いに行ったんだ」
「ふふん、よく聞いてくれたわね」
まったく、翼はわかっていない。
弟と妹にご飯を食べさせなきゃいけないのに、自分が食べたいだけのものを買うわけがないじゃない。
「師匠は言ったわ。手の届くところに、必要なものがあるってね」
「千三郎さんがそんなことを……」
「つまり、あたしがまず目を向けるべきは天太と沙也加ってこと」
師匠の言う通り、まずは人間の振りだ。
弟妹においしいものを用意する。
これは姉ポイント高めだろう。
手を止めて、キッチンの方を見れば、ルナが天太に玉ねぎの切り方を教えていて、 沙也加がフードプロセッサーのボタンを押そうとして、ルナに制止されていた。
ルナもなかなかやるわね。
「子供はおいしいものを好む。つまり、同じ遺伝子を持つあたしが最高においしいと思う組み合わせを用意するのよ」
「ダメだこりゃ」
何故か翼が天を仰いだ。
「ようやくわかってきたけど、朝香には足りないものがある」
「どういうこと?」
「朝香がカワハギのしゃぶしゃぶを選んだのは、朝香が好きだからだ。それ自体は悪くないけど、今夜一緒に食べるのは小学生の弟と妹だ。その二人がどういう夕飯を期待していたか、考えたか」
「おいしいものに決まってるじゃない」
料理は愛情なんてものは嘘である。
大切なのは味であり、素材の味×調理法がおいしい料理の数式だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
しかし、翼はどうやら納得していないらしい。
「アイスを食べたのがバレたときもそうだ。ルナが子供たちの夕飯のために来ていると言ったとき、腑に落ちない顔をしていただろ」
「だって、あたしたちがコラボ先の実店舗に仲良く来店してたって話題になるじゃない」
「そうだな。そのとき、天太と沙也加はどうしてる?」
「一階で待ってればいいじゃない。アイスを食べてなければ一緒に行ったけど、もう食べちゃったんでしょ?」
「そういうとこだぞ」
そういうところとはなんだ。
現場での礼儀なら、誰よりも叩き込まれている。
それを欠かしたことはない。
「芝居の中で相手に成ることはできる。それは本物だ。だけど、相手の立場に立つこととは違う」
「相手の立場に立つ……」
繰り返してみても、輪郭がうまく掴めなかった。
ハンバーグが焼き上がった頃、カワハギのしゃぶしゃぶも準備が整ったので、五人でテーブルを囲む。
『いただきます』
声が揃って、箸が動き始めた。
天太が真っ先にハンバーグへかぶりつく。
咀嚼して、少しの間止まった。
「なんでこんなにうまいの」
「フードプロセッサーで寒天混ぜたからだよー」
「プロじゃん」
沙也加もすぐにおかわりをねだって、ルナが嬉しそうに追加をよそっている。
あたしはその様子を横目に、カワハギへ箸を伸ばした。
薄切りの身を鍋にくぐらせ、肝醤油につけて口へ運ぶ。
「んー、やっぱりおいしい!」
自分の声が弾むのがわかった。
少し前なら、これで満足できたはずだった。
好きな人が美味しそうな顔をしてくれれば、それだけで十分だったはずなのに。
今は、その満足のすぐ隣に、別の何かが居座っていた。
「俺、リレーの選手に選ばれたんだ!」
「すごいじゃーん! 足の速い男子はモテるぞー?」
天太が身振り手振りで話す。
「私も作文コンクールで賞獲ったの!」
「さすが沙也加ちゃん! 下手したらパパより作文うまいんじゃない?」
「えへへ……」
ルナは相槌を打ちながら、二人の茶碗が空くたびに無言でおかわりをよそっていく。
二人もそれを、当たり前みたいに受け取っている。
気づけば、食卓の真ん中にいるのはルナだった。
あたしはカワハギをつつきながら、ときどき視線だけそちらへ向けた。
「あっ、これうまぁ……」
翼がカワハギを口に運んで、目を見開いている。
「ふふん、でしょ?」
味覚が戻っていて、本当によかった。
あたしがそのきっかけになれなかったのは癪だけど。
「まあ、朝香が選んだ時点で味は疑っていなかったけども」
「へぇ、それもうまいんだ。姉ちゃん、食ってもいい?」
「あっ、私も!」
「ふふん、好きに食べなさい。すっごく、おいしいから」
天太と沙也加も気になったのか、しゃぶしゃぶしたカワハギを口へ運ぶ。
ふふっ、計画通り……!
このぶっ飛んだおいしさに酔いしれなさい!
「……うまっ」
「でしょ?」
「でも俺、ハンバーグの方が好き!」
「私もー!」
「えっ」
沙也加まで元気よく手を挙げる。
「だってみんなで作ったし!」
「それにルナちゃんのハンバーグ、すごいじゅわっとするの!」
二人に悪意なんて、欠片もない。
ただ、今思ったことを口にしただけだ。
わかっている。わかっているのに。
あたしはしばらく二人を見つめてから、黙ってカワハギをもう一枚鍋にくぐらせて口に運ぶ。
おいしいはずなのに、何故か味がしなかった。
「み゛」