気がつけば、すっかり暗くなっていた。
校門を出ると、街灯が等間隔に並んで足元を照らしている。
十月の夜風は思ったより冷たくて、朝香がブレザーの前を合わせた。
「送ってくよ」
「いいわよ」
「怪我人だろ。ほら、荷物かせ」
「あ……ありがと」
並んで歩き出す。
二人分の足音が、住宅街の静けさの中に溶けていく。
「良かったな、クラスに馴染めたみたいで」
しばらく歩いてから、切り出した。
「あなたのサポートあってのものでしょ」
朝香は前を向いたまま、どこか拗ねたように言った。
「みんなの前でファーストキスの話を暴露したり、怪我してるのに残るのに付き合ったり。さすがに気づくわよ」
「バレバレだったか」
「そういうの、気づかないふりしてるのもアレだから、一応言っておくわ。ありがとう」
声に照れが混じっていた。
「どういたしまして」
言い慣れていない言葉を、一生懸命形にしているのは昼間と同じだった。
「……ったく、昔は散々言ってくれたよな」
「昔って、なんのこと?」
「稽古場で俺に対して、先輩に気を遣って現場の空気で誤魔化すのは三流だってな」
朝香が少しだけ俺を見た。
「ああ、あのこと……」
「ちゃんと役に立つだろ?」
「何よ、随分と根に持つじゃない」
口元が尖っているのに、声に笑いが混じっていた。
街灯の間隔が広くなって、暗い区間に入る。
朝香の歩く速度が、ほんの少し落ちた。
しばらく黙ったまま歩いた。
遠くで電車の音がして、また静かになる。
「ねぇ、翼……その、あたしといていいの?」
朝香の声のトーンが、少し変わった。
「いいのって、何がだよ」
「ほら、あたしと二人きりで歩いてて。ルナがなんか言ってくるんじゃないの」
足が、一拍だけ止まりそうになった。
「ルナが? どうして?」
「彼女を差し置いて、他の女の子と一緒にいるのってよくないでしょ」
「は?」
俺は思わず朝香の方を見た。
朝香は前を向いたまま、当然のことを言っているという顔をしている。
「お前は何を言ってるんだ」
「だから、ルナと付き合ってるんでしょ」
「誰から聞いたんだそんな話」
「え?」
朝香が初めてこちらを向いた。
「違うの?」
「全然違うっての」
一体何がどうなったら、俺とルナが付き合っているということになるのだ。
俺とルナは芝居の上でも、朝香に対する想いでも、ライバルでしかない。
朝香の目が、ゆっくりと見開かれていく。
「だって西遊記の打ち上げのとき、ルナと二人でいたじゃない」
「打ち上げで別々の事情で抜け出して、たまたま同じ場所にいただけだ」
「でもでも! 好きだって言ってたじゃない!」
「あー……」
どうやら、たまたま俺とルナがお互いに朝香を好きだという宣戦布告をしていた場面を聞いてしまっていたらしい。
あっぶなっ!
一歩間違えれば、封印したはずの恋心が露呈するところだった。
すぐに、誤魔化すために口を開く。
「あれはセミブレードの話だよ」
「は? せ、セミブレード?」
「ほら、元同期の川越萌絵。あいつが主役やってるアニメの」
〝斬鉄飛翔!セミブレード〟。
鋼鉄の羽を持つ特殊な昆虫セミブレードを相棒として、萌絵が演じる主人公の少年、
原作に当たるゲームの売り上げも好調で、続編が待たれている人気作だ。
萌絵も腕を上げたのか、可愛い声だけでなくカッコイイ少年ボイスも出せるようになっていた。
そういえば、休暇が終わったらセミブレードの劇場版のゲスト声優の仕事も来てるんだっけか。
「俺もルナも萌絵が出てるってことで見始めたんだけどな。これが結構面白くてさ」
「えっと……じゃあ、好きなのってセミブレードだったのね」
朝香の口が開いて、閉じた。
また開いて、また閉じた。
言葉が追いついていない顔だった。
天才女優の言語処理能力が、完全に止まっていた。
「み゛ぃぃぃぃ!」
絶命寸前のセミが死力を振り絞って鳴いたような声が、夜の住宅街に響き渡った。