あたしの名前は田中朝香。
ようやくクラスに馴染むことができた女子高生だ。
校門を出ると、夜風が思ったより冷たかった。
ブレザーの前を合わせながら翼の隣を歩く。
怪我しているとはいえ、手持ち無沙汰で落ち着かない。
断ったのに、やや強引に荷物を持ってもらうことになってしまった。
「良かったな、クラスに馴染めたみたいで」
翼がそう切り出した。
「あなたのサポートあってのものでしょ」
ファーストキスの話を暴露したこと。
怪我した後も一緒に残ってくれたこと。
全部、翼があたしをクラスに馴染ませるために行ったことだ。
あたしだけだったら、こうはならなかった。
それをちゃんと言わないのは不誠実だと思ったのだ。
「さすがに気づくわよ」
「バレバレだったか」
「そういうの、気づかないふりしてるのもアレだから、一応言っておくわ。ありがとう」
自分でも、言ってて照れ臭くなってしまった。
ありがとうという言葉を、そのままの気持ちで言ったのはいつぶりだろう。
「どういたしまして」
翼の声は、普通だった。
特別な感情を込めるでもなく、ただ受け取った声だった。
それが、なぜかかえって胸の奥に落ちてくる。
「……ったく、昔は散々言ってくれたよな」
翼が続けた。
「昔って、なんのこと?」
「稽古場で俺に対して、先輩に気を遣って現場の空気で誤魔化すのは三流だってな」
あたしは少しだけ翼の方を見た。
「ああ、あのこと……」
「ちゃんと役に立つだろ?」
「何よ、随分と根に持つじゃない」
笑いが混じっているのがわかって、自分でも少し可笑しかった。
街灯の間隔が広くなって、暗い区間に入る。
もう少し、この時間が続けばいいと思った。
遠くで電車の音がして、また静かになる。
「ねぇ、翼……その、あたしといていいの?」
気づいたら、声に出ていた。
「いいのって、何がだよ」
「ほら、あたしと二人きりで歩いてて。ルナがなんか言ってくるんじゃないの」
打ち上げの夜、盗み聞きしてしまった会話が、ずっと頭の隅に残っていた。
翼がルナに向かって好きだと言っていた。
ルナも大好きと答えていた。
だから、てっきりそういうことなのだと思っていた。
諦めようと思っていた。
「ルナが? どうして?」
「彼女を差し置いて、他の女の子と一緒にいるのってよくないでしょ」
「は?」
翼が、あたしの方を見た。
「お前は何を言ってるんだ」
「だから、ルナと付き合ってるんでしょ」
「誰から聞いたんだそんな話」
翼の声に、本当に心当たりがないという響きがあった。
「え?」
あたしは初めて翼の顔をまともに見た。
「違うの?」
「全然違うっての」
言葉が、頭の中でうまく処理されなかった。
違う。
翼とルナは、付き合っていない。
「だって西遊記の打ち上げのとき、ルナと二人でいたじゃない」
「打ち上げで別々の事情で抜け出して、たまたま同じ場所にいただけだ」
「でもでも! 好きだって言ってたじゃない!」
「あー……」
少しだけ考えこんた後、翼は口を開く。
「あれはセミブレードの話だよ」
「は? せ、セミブレード?」
「ほら、元同期の川越萌絵。あいつが主役やってるアニメだよ」
翼が説明を続ける。
聞いているのに、言葉が滑っていく。
アニメ、セミブレード。
「えっと……じゃあ、好きなのってセミブレードだったのね」
待って。ちょっと待って。
あたしはずっと、翼とルナは付き合っていると思っていた。
だから、関係ないと自分に言い聞かせて諦めようとしていた。
あの夜の廊下で聞いた好きは、セミブレードへの愛だったのか。
それだけの話だったのか。
それを理解した途端、頭の中で何かが音を立てて崩れた。
崩れた先から、止めどない喜びが溢れてくる。
「み゛ぃぃぃぃ!」