文化祭の前日になった。
体育館では午後から全クラスの通しリハーサルが組まれていた。
俺たちのクラスの出番は三番目だった。
舞台袖で待機している間、キャストたちの顔に本番前特有の緊張が滲んでいた。
台本を手に持っている子、小声で台詞を確認している子、ただ黙って深呼吸している子。
それぞれのやり方で、自分を整えていた。
「大丈夫か、郁」
声をかけると、郁が振り返った。
顔が少し青いように見える。
「緊張してるみたいだな」
「……してます」
「あんだけ練習したんだから、あとは身体に任せればいい。結果はおのずと付いてくるもんだ」
「はい……!」
郁は一度だけ深く息を吸って、頷いた。
出番が来た。
俺は客席の端に腰を下ろして舞台を見た。
照明が落ちて緞帳が上がる。
最初の数分は、やはりぎこちなかった。
台詞の間が揃わず、動きが少し遅れる。
それでも止まらずに続いていく。
「降下完了」
郁が登場した場面で、空気が変わった。
「個体識別番号、L‐01。通称、累。本任務を開始します」
声が客席まで届いていた。
「報告します。地球へ到着、任務を確認します」
台詞が、音ではなく言葉として聞こえていた。
これが高校生が文化祭でやるレベルの芝居なのかと驚かされる。
もちろん、本職の俺たちとは違う。
ただこの芝居には、学生が限られた時間をつぎ込んで得た熱が籠っていた。
俺は何も言わずに、舞台を見続けた。
通しが終わった後、キャストたちが袖に戻ってくる。
一番最初に声を上げたのは梨夢だった。
「よかったよ! めちゃくちゃよかった!」
「ほ、本当に?」
「本当に! 郁ちゃん、途中から別人みたいだったよ!」
郁の顔が、ふにゃっと崩れる。
泣くのをこらえているのがわかった。
丸代はノートを抱えたまま、舞台の方をじっと見ていた。
何かを確認するような目だった。
それから、静かに息を吐いた。
朝香は少し離れた場所に立っていた。
袖の端、誰とも話さずに、舞台の方を向いたまま動かない。
表情は読めない。
でも、目は舞台から離れていなかった。
俺が近づくと、朝香はこちらへと向き直る。
「どうだった」
「悪くなかったわ」
朝香の口から出た〝悪くなかった〟は、並みの人間が言う絶賛に近い。
「本番も同じくらいできれば十分だな」
「同じじゃないわ。本番は今日よりいいものになる」
根拠を問う気にもならない確信めいた口調で断言した。
「みんな、役を生きてるから」
子供っぽい笑顔を浮かべた朝香はそれだけ言って、また舞台の方を向いた。
俺はしばらく、その横顔に見惚れていた。