ついに文化祭当日を迎えた。
当初はクラスと馴染めていなかった朝香も、すっかりクラスの一員となり、クラスのために忙しなく動いていた。
一番の課題だった演技力についても、及第点を出せるくらいにはなってくれた。
特に郁の成長が目覚ましく、俺の指導のあとでわざわざ朝香の個別指導を受けにいっていたようだ。
ドラマに出演して役をもらえるか、と言われると無理ではあるのだが、演技未経験から学生の中では突出した演技力というところまでこれたのは大きいだろう。
「もうあたしから教えることはないわ……頑張ったわね」
「はい、ありがとうございます! 朝香先生!」
なんかいつの間にか師弟関係みたいになってるんだけど……。
郁のコミュニケーション指導をやった身としては、複雑な気分である。
まあ、郁が成長するのはいいことだ。
あとはキャストが板の上で役を生きられるよう、俺たち裏方が最善を尽くすだけである。
「バッサー! 衣装の確認手伝ってくれる?」
梨夢がスマホで工程表を確認しながらやってきた。
「了解。すぐ行くよ」
ずっと朝香のことばかり気にしていたが、なんだかんだで俺もみんなと作り上げる文化祭は楽しみだった。
全盛期のときは仕事が忙しかったし、仕事が減ってからは稽古の時間が増えた。
そして、芝居をやめてからは空虚な毎日を過ごしていた。
両親は離婚して、俺は俺で諦めきれないで基礎練はずっと続ける日々。
中学のときも、行事は最低限邪魔にならないように過ごすだけだった。
そんな俺が今、朝香と一緒にクラスの中心で文化祭を成功するために駆け回っている。
ドラマでしか味わったことのない青春。
それを俺は謳歌することができていた。
「凪野君。今ちょっと大丈夫?」
衣装の確認を手伝っていると、丸代が遠慮がちに話しかけてくる。
「ああ、大丈夫だ」
「あのさ。台本のことなんだけど……実は主人公の累と王子様ポジの剛志って、朝香さんと凪野君モデルにしたんだよね」
「知 っ て た」
本当に丸代は、俺と朝香の関係性が好きだよな。芸能界モノの小説も未だにバズっているみたいだし、当てた関係性はガンガン使っていきたいというところだろうか。
「まあ、二人が出れないってなって大幅に内容は変更したんだ。二人が出てれば文化祭の最優秀賞確定だし、私の脚本にも箔が付くと思ったんだけどね」
「お前、そういうところ朝香そっくりだな」
本当の意味で普通を学ぶべきは、丸代のほうなんじゃないだろうか。
「ちなみに、元の台本はどんなのだったんだ?」
「変更前と違って、二人の関係性をメインに描いてるよ。ラストはキスシーンもあるし」
「イカレてんのか」
何をどうしたら、文化祭で俳優二人にキスシーンを演じさせようという発想になるのだろう。
「いやぁ、私も筆が乗っちゃってさ。さすがにヤバいとは思ったけどね」
「気づいてくれてよかったよ。そのまま演じるのはまずいだろうからな」
さすがの丸代も、俺たちが演じたとしてもそこは修正してくれていたようだ。
「いや、二人が演るんだったらそのまま行ってたよ?」
前言撤回。やっぱりこいつヤバいわ。朝香どころか、五木監督レベルの狂気を持っている。役者が事故っても良いものが撮れた以上、活かそうとするタイプになりそうだ。
「そうそう、報告があって」
丸代は少し照れたように眼鏡を直した。
「小説、書籍化が決まったんだ」
「マジか!」
思わず声が大きくなった。
「天才子役のやつか?」
「そう。タイトルは変わるかもだけど、〝天才子役の幼馴染は曇るが、役者の道を諦めたら始まるラブコメ〟。ちょっと前に出版社から連絡来てね。もう言っていいみたいだから一応報告」
丸代はノートを胸に抱えながら、どこか夢の中にいるような顔をしていた。
「すごいじゃないか。おめでとう」
「ありがとう。凪野君がいなかったら書けなかった話だから、一番に報告したくて」
それから丸代は、少し間を置いた。
「ねぇ、凪野君。私、今まで小説を誰かに褒めてもらったことって何度かあって。読者からの感想とか、ランキングに入ったときとか。そのたびに嬉しくて、これが今の一番だって思ってたんだけど」
声のトーンが、少し変わった。
「朝香さんに台本を褒めてもらったとき、それが全部更新されちゃったんだよね」
丸代は苦笑するように口元を緩めた。
「あの子に一言もらっただけで、今まで積み上げてきた嬉しさが全部霞んじゃってさ」
丸代はしばらく黙ってから、また眼鏡を直した。
「小説だけじゃない。私の人生、いろいろ嬉しいことはあったのに、その全部を更新しちゃったんだ」
「それは悪いことなのか?」
人生最高の瞬間なんて更新した方がいいに決まっていると思うのだが。
「……ま、私もいろいろ吹っ切れて良かったのかも」
「吹っ切る?」
「ううん。こっちの話」
深呼吸をしてから、丸代は俺に向き直った。
「これからも、友達としてよろしくね!」
「おう、そのつもりだけど?」
一体、何の宣言だったのだろうか。ノートを抱えて走り去っていく丸代の背中を見送りながら、俺は首を傾げた。
【名前の由来】
池手丸代:「負ける予定」のアナグラム