普通の青春を知る。
それは非日常を生きる俳優にとって貴重な経験だ。
特に朝香は子役時代から芸能界を生きてきた。
「回るって行っても、どこに行ったらいいのかしら」
当然の疑問だと思った。
子役時代から現場と稽古場を往復してきた朝香に、文化祭の回り方なんてわからないだろう。
俺だって胸を張れるほど経験があるわけじゃないが、中学のときに普通の生徒として参加している。
ここは俺がリードする場面だ。
「エスコートは任せてくれ、お嬢様?」
軽く執事の芝居を乗せて言うと、朝香は一拍置いてから口元を緩めた。
「あら、お願いできるかしら」
細い指先が、俺の掌にそっと乗せられる。
それだけのことなのに、鼓動が少し早まった気がした。
文化祭の熱気は、校内の隅々まで染み渡っていた。
教室の扉が開くたびに別の匂いと声が飛び出してきて、廊下を行き交う生徒たちの顔がどれも浮き足立っている。
朝香はそれを、観察するのとも楽しむのとも違う目で眺めていた。
どう処理すればいいか、まだ決めかねているような顔だった。
一階の渡り廊下に出たところで、タピオカミルクティーの屋台が目に入った。
別のクラスが出しているらしく、手書きのポップが柱に貼りつけてある。
「とりあえず、タピオカでも飲むか」
「とりあえずで飲むものなの?」
「そう変なもんでもないだろ」
「別に変とは言ってないわ。ただ――」
朝香は屋台の列を眺めた。
「一時期、すごく流行ったじゃない。あの頃は縁がなかったのか、全然飲めなくて……なんとなく、乗り遅れた気がしてたのよ」
「じゃあ、ちょうどいい」
二人分を買って、日当たりのいい渡り廊下の端に並んで立った。
朝香はカップを両手で持って、太いストローを少し見つめてから口をつけた。
「今さら過去の流行りに乗るのも妙な感じね」
「流行りに乗るんじゃなくて、文化祭を楽しんでるだけだろ」
「それもそうね」
朝香はもう一度ストローに口をつけた。
ミルクティーが上がってきて、その後からタピオカが続く。
次の瞬間、朝香の目が丸くなった。
「み゛……っ、けほっ」
勢いよく上がってきたタピオカが喉に当たったらしく、朝香は口元を手で押さえてげほげほと咽た。
カップを持つ手が小刻みに揺れている。
「大丈夫か」
「げほっ、ちょ、けほ……な、なんで急にこんな勢いよく」
「詰まってたタピオカが強めに吸われて飛び出してきたんだろ」
「そんな説明はいらないわ、げほっ」
目に薄く涙が浮かんで、朝香は袖口で目元を押さえた。
それからストローを見て恨めしそうな顔をした。
「乗り遅れた理由がわかった気がするわ」
笑いが込み上げてきて、俺は堪えきれなかった。
声を立てて笑うと、朝香が睨んでくる。
「笑わないでよ」
「悪い悪い」
「……もう」
口を尖らせながらも、朝香は今度は慎重に、ゆっくりと、もう一度カップに口をつた。
タピオカが静かに上がってくる。
無事に飲み込んで、朝香は小さく息をついた。
「でも、おいしいわ」
悔しそうに言うので、また笑いそうになった。
渡り廊下の向こうから、どこかのクラスの出し物の声が届いてくる。
風が吹いて、朝香の髪が少し揺れた。
普通の青春が、タピオカで咽る天才女優の顔にちゃんとあった。