「俺を?」
「俳優としての経験、その視点じゃなきゃ見えないものが知りたいの! お願い!」
俺は少し考えた。
自分の過去を話すのは、正直抵抗がある。
あまり思い出したくない記憶も多い。
池手が不安そうに俺の顔を見ている。
ペンを握る手に力が入っている。
「ごめん! 嫌だったら、全然断って! 無神経なお願いなのはわかってるから!」
俺は頭を振った。
話したくないことは話さなければいい。
現場での経験や知識を教える形なら問題ないだろう。
「いや、いいよ。せっかくなら夢のために頑張ってる人に有効活用してもらわないともったいないからな」
「本当!? ありがとう!」
池手は嬉しそうに目を輝かせた。
ノートを抱きしめて、小さく飛び跳ねる。
その仕草が妙に可愛らしくて、思わず笑ってしまった。
「それで、どんなことが知りたいんだ?」
「えっと、まず聞きたいのは」
池手は少し考えてからペンを構えた。
「凪野君って、あの羽田朝香と共演してたんだよね?」
「ああ、同じ劇団にも所属してたしな」
「羽田朝香って、ぶっちゃけどんな人だったの?」
俺は少し考えた。朝香との思い出は話そうにもちょっと複雑だ。
池手が期待に満ちた目でこちらを見ている。
ペンを構えて、今か今かと待っている。
「朝香は、完璧主義だったな」
「完璧主義って、つまり何でも完璧にこなすってこと?」
池手が身を乗り出してきた。
「ああ。台詞も演技も、全部完璧にこなす。NGを出すことなんて、ほとんどなかった」
「えぇ!? すごすぎでしょ!」
池手は感心したように呟いた。
ペンを持つ手が止まり、じっと俺の顔を見つめている。
「現場に入る前には、もう台本を叩き込んでた。だから、現場に台本を持ってこないくらいだ」
「ちょ、ちょっと待って」
池手が慌ててペンを走らせる。
「台本を持ってこないって、なんか、こう、単語カードみたいなの持ってたってこと?」
「いや、何も持ってないぞ」
「え? じゃあ、どうやって台詞を?」
「全部暗記してるんだよ」
「全部!?」
池手は目を丸くした。
眼鏡がずれて、慌てて直す。
「自分の台詞だけじゃない。共演者の台詞も、ト書きも、全部頭に入っているんだ」
「待って待って、それって、つまり台本を丸ごと一冊暗記してるってこと?」
池手が信じられないという顔でこちらを見ている。
「ああ、そういうことだ」
「そんなこと、人間にできるの?」
「朝香にはできた」
俺は窓の外を見た。
夕日が図書室の床を照らしている。オレンジ色の光が、池手のノートを染めていた。
「撮影現場で、俳優たちが台本のページをめくる音がする。でも、朝香は何も持っていない。ただ目を閉じて役に入りきっているのが、カッコよくてな。俺も真似したもんだ」
「……ん? それって、凪野君もできたってことじゃ」
池手は恐る恐るといった様子で尋ねてくる。
「できるようにはなったぞ。それでも一発屋って評価で消えたけど」
俺は苦笑するしかなかった。
「え、ちょっと待って」
池手が混乱したようにペンを止めた。
「凪野君も台本を丸暗記できたのに、一発屋なの? それって、おかしくない?」
「おかしくはないだろ」
「だって、そこまでできるなら、すごい役者さんってことじゃ」
「朝香のやり方を真似しただけで、すごい役者になれるのなら苦労はしない」
「真似しただけって……」
池手は納得できないという顔をしている。
「じゃあ、凪野君と朝香さんの違いって、何だったの?」