タピオカを飲み終えて、渡り廊下を抜けると二年生のフロアに出た。
廊下の奥から、いつもとは違う空気が漂ってきた。
照明が落とされていて、壁に貼られた黒い布が蛍光灯の光を吸い込んでいる。
入口に手書きの看板が立っていた。
どうやら、二年生は学年全体で協力してお化け屋敷をするようだ。
「大掛かりだな」
「二年生は毎年これらしいわよ。学年全体で作るって聞いた」
列に並んでいる生徒たちの顔を見ると、半分は期待で、半分は既に怖がっている。
肩を寄せ合っている女子のグループ、強がっているのに声が上ずっている男子グループ。
カップルらしき人たちもチラホラと見受けられる。
入口の前まで来ると、係の生徒が懐中電灯を一本渡してきた。
「二人一組でお願いします」
「ちょうどいいわね」
朝香は当然のような顔で中に入った。
扉が閉まると、音の質が変わった。外の喧騒が遮断されて、足音と、どこかから流れてくるうめき声だけが残る。
懐中電灯を点けると、狭い通路が先に続いていた。
「仕掛けるならこの辺りかしら」
「気づくの早いな」
「入ってすぐ右の壁、布の継ぎ目から人が出てくるわ」
朝香は歩きながら、通路の壁を視線でなぞっていた。
楽しんでいるのは確かだが、怖がっているわけではなく、純粋に分析している顔だった。
「でも、ここの怖さはそこじゃないと思う」
「どこだ?」
「音よ。うめき声のテンポが一定じゃない。規則的な恐怖より、不規則な方が身体に響く。これを狙って作ってるなら相当よく考えてるわ」
言い終えた瞬間、右の壁から白い手が伸びてきた。
朝香はそれを見て、自分の顔を懐中電灯で照らしながら渾身のドヤ顔を披露してきた。
「ほらね」
「今の朝香のほうが、よっぽどホラーだよ」
次の角を曲がると、通路が急に狭くなった。
頭上から何かが垂れていて、顔に当たる。
「うーん、ここはベタに、こんにゃくにしてほしかったわ」
「衛生的にもよくないし布にするしかなかったんだろ」
二人で顔に付いた布を払いながら歩みを進める。
「そういえば、翼と共演したホラー番組、覚えてる?」
朝香が思い出したように口を開いた。
「なっつ、〝マジこわ〟か!」
「そうそう。あの再現VTR系のやつ!」
真面目に怖い話、略して〝マジこわ〟。
子役に出た番組で、実際にあった怪異体験を再現ドラマ形式で見せるという構成で、俺と朝香はそこでも共演していた。
「あのとき朝香の演技、スタジオのMCがワイプで悲鳴あげてたよな」
「よく覚えてるわね」
「忘れないよ。見てたんだから」
朝香が演じたのは、廃屋に出る少女の霊と見せかけた本当の迷子の役だった。
台詞は少なく、所作でお化けっぽさを出して視聴者をミスリードする。
それだけなのに、撮影中に照明スタッフが本気で怯えていた。
「翼のほうが印象に残ってるわよ」
「俺のか?」
「ええ。翼が演じた幽霊の子、覚えてる? 私がただの迷子で、実は翼のほうが幽霊だったじゃない」
覚えている。
俺が演じたのは普通の子供に見えて最後に幽霊だと判明する役だった。
「あの無機質な演技、すごく刺さったのよ」
「テクニカル・アクティングで感情を全部抜いただけだ」
「だからよ。感情を抜いた人間の動きって、見ていてどこかおかしいの。でも、何がおかしいのかすぐにわからない。それが怖くて最高だったわ」
通路の先でまた何かが動いた。
朝香が俺の腕に手をかけた。気づいていない様子で、視線は前に向いたままだった。
「ホラーって、見えないものへの想像力が怖さの本体だと思うの。翼の演技はそれを上手く使ってた」
「朝香に言われると複雑だけどな」
「褒めてるのよ」
出口の光が見えてきた。
朝香の手が、そこで初めて腕から離れた。
外に出ると、廊下の明るさが目に染みた。
「よくできてたわ、あのお化け屋敷」
「あんなに分析して、怖がってるようには見えなかったけどな」
「ふふん、分析と怖さは両立するのよ」
まったく怖がっているようには見えなかったが、朝香なりに恐怖を感じてホラーを楽しんでいたのだろう。
役者視点が混じってしまうのは、職業病だから仕方ないな。