曲が変わる。
イントロだけで歓声が一段大きくなった。
人垣の向こうは見えない。
それでも演奏だけで誰もが盛り上がっていることは伝わってくる。
「次、どこ行く?」
俺が聞くと、朝香は視線をステージへ向けたまま考え込む。
「そうね……甘いもの食べたい、かな」
わたあめの屋台を見つけて二人分を買った。
透明な袋から取り出すと、ふわふわとした白い綿が風に揺れる。
朝香は一口だけ齧って、目を丸くした。
「思ったより甘いわね」
「そりゃ、わたあめだからな」
クスッと笑いながら、もう一口食べると頬に白い綿が少し付く。
指で取ろうとして上手く取れず、俺が指差すと朝香は照れくさそうに袖で拭った。
「……あまりジロジロ見ないで」
「見られるのが仕事の芸能人が何言ってんだか」
「それとこれとは別なの」
そう言って笑った朝香の笑顔は、どこか落ち着かない様子だった。
歩きながらも視線が何度か体育館のある方へと向く。
それから、また俺の方へ戻ってくる。
戸惑っているような視線だった。
文化祭を楽しんでいないわけじゃない。
むしろ、今日一日で一番楽しそうに笑っている。
それでも、心の全部がここにあるわけじゃない。
「朝香。気になることでもあるのか」
聞くと、朝香は少しだけ足を止めた。
わたあめを見つめたまま、小さく首を振る。
「気になることなんてないわ」
「そうか?」
「今日はすごく楽しいもの」
その言葉に嘘は感じなかった。
文化祭を回って、タピオカを飲んで。
お化け屋敷で怖がって、縁日ではしゃいで。
どれも朝香にとって初めての経験だった。
本当に楽しんでいるのは、俺にもわかる。
しかし、朝香はわたあめを一口食べるたび、どこか別の場所へ意識が向いているように見えた。
ふいに、体育館の中から拍手が聞こえた。
どこかの発表が終わったらしい。
その音に、朝香の肩がぴくりと動く。
視線だけが自然と体育館の方へ流れた。
そこでようやく気付いた。
朝香が見ていたのは体育館じゃない。
クラスのみんなが、今頃どんな顔で過ごしているのか気になって仕方ないのだ。
「……様子、見に行くか?」
俺が何気なく言うと、朝香は驚いたように顔を上げた。
「もしかして、顔に出てた?」
「俺でなきゃ見逃しちゃうね」
冗談めかして言うと、朝香は困ったように笑う。
「何それ」
しばらく、わたあめを手に持ったまま何も言わなかった朝香だったが、体育館の方から拍手が届いてくるたびに、視線がそちらへ流れる。
「行ってこいよ」
「……せっかく文化祭を楽しんでたのに」
朝香は、迷っているようだった。
楽しんでいた時間を手放すことへの、かすかな躊躇い。
「それでも選ぶから意味があるんじゃないのか」
朝香は唇を一度結んだ。
わたあめを手に持ったまま、体育館の方を見た。
「……そうね」
それから、ゆっくりと俺の方へ向き直った。
「これが、あたしだから」
言い切ってから、少し照れくさそうに目を逸らした。
「文化祭をちゃんと楽しんで、クラスのみんなのことも気になって、演劇の出来が心配で仕方ない。そういうのが全部まとめて、あたしの〝普通〟なの」
俺はその言葉を聞いて、自然と笑っていた。
「な、なによ」
「いや、やっぱり朝香は格好良いなって思ってさ」
「自分だけわかった面して……後方幼馴染面も大概にしなさい」
朝香は頬を膨らませたが、すぐに体育館の方へ歩き出した。
その後ろ姿を見送って、俺はわたあめの残りを口に放り込む。
甘さが、舌の上で広がった。