場面は放課後の図書室に移る。
本棚を模したパネルの前に、小さな机が一つ置かれていた。
友田千代役の佐光が、丁寧に折られた紙の花を机の上に据える。
指先の動きに、思いを込めて折ったという時間の重みが乗っていた。
「これ、入院中のお母さんに渡すの」
声には、どこか寂しさが混ざっている。
稽古の序盤、感情を込めようとするあまり声を上ずらせていた佐光の姿は、もうどこにもなかった。
累が机に近づいてくる。
手には資料用のノートを抱えていた。
「それは何のためのものですか」
「早くよくなってもらうためのものだよ」
「医療機器、ということでしょうか?」
「そんなたいそうなものじゃないよ。おまじないっていうか、気持ち、かな」
「非科学的。そんなことをしても無意味です」
首を傾げた累がノートを机に置いた瞬間、その角が折り鶴に当たる。
演出を優先したのか、客席にも届くようにゴシャァと折り鶴を潰した音が響いた。
客席の空気が、一段静かになる。
「あ、すみません」
累の動きが止まった。
「修復、可能でしょうか」
累が潰れた折り鶴に手を伸ばす。その手を千代が払った。
「触らないで」
千代の声が、体育館の隅々まで届く。
台本通りの台詞のはずなのに、乗っている重さが稽古のどの回とも違っていた。
「もういい……もういいから」
千代は折り鶴を胸に抱えたまま俯く。
累はその場に立ち尽くしたまま、動けずにいた。
「何かまずいことをしてしまったようです。わたしは、何をすればいいのでしょうか」
累の声に、初めてはっきりとした戸惑いが滲む。
感情のわからない存在が、自分の失敗によって誰かが傷ついたという事実だけを、目の前に突きつけられていた。
「わからないのです。どうすれば直せるのか」
剛志が累の肩に軽く手を置いた。
「あのな、累。物自体を直したところで、それに込められた思いまでは直せねぇ」
剛志の声が、少し落ち着いた温度になる。
「では、どうすればいいのでしょうか」
剛志は一度、千代の方に視線を送ってから続けた。
「誠心誠意ごめんって謝るんだよ。相手の気持ちを蔑ろにした人間にできることはそれだけだ」
台本通りの台詞だった。
この一言を剛志が自然に言えるようになるまでにどれだけ稽古を重ねたか、俺は袖で見てきた分だけ知っている。
次の言葉ばかりを気にして相手の顔を見られなかった男が、今は目の前の相手にちゃんと言葉を届けていた。
俺は袖で、隣の呼吸が浅くなっていくのに気づいた。
朝香の視線は舞台に固定されたまま動かない。
「あたしも、ずっと……そうだったのね」
解析すれば正しい答えが出ると思っていた。
効率よく動けば、結果に繋がると思っていた。
だから累は、無意識に人の気持ちを踏みにじってしまった。
「人の思いを踏み躙って……」
その構図は、限りなく朝香を取り巻く状況に似ていた。