トラブルも乗り越え、みんなで作り上げた演劇は終幕した。
観客からの拍手の大きさから、成功であることは言うまでもないことだろう。
あとは大道具を邪魔にならないように片付け、衣装を教室に運ぶだけだ。
「あれ、朝香はどこ行ったんだ?」
「なんか家族が来てたから会いにいくって言ってたよ」
俺の問いに、衣装管理が仕事の梨夢が答えた。
「何々、バッサー。そんなにアサタンのことが気になるわけ?」
「そりゃ当然だろ」
朝香にとって、この文化祭は彼女の人生における大きな転換点となる出来事だったはずだ。
その後、天太や沙也加とどう接するのかは、気になって当然だった。
「そっか……まあ、しょうがないか」
「ん、何がだ?」
「ううん、こっちの話。気にしないで」
梨夢は深いため息をつくと、いつものような笑顔を浮かべて告げる。
「そんなに気になるなら行っておいでよ。ここはあーしがやっとくし……はぁ」
「悪いな、頼むわ」
俺は手持ちの仕事を梨夢に預けて、朝香の方へと向かった。
探し回るまでもなく、朝香は天太と沙也加、そして騎志社長と一緒にいた。
校舎の陰から、俺は少しだけ様子を窺うことにした。
声をかけるタイミングを、自分でもうまく掴めなかった。
「お姉ちゃん、劇すごかった! みんなお姉ちゃんの友達なんでしょ!」
沙也加が興奮した様子で、朝香の腕にしがみついている。
「ええ、みんな大切な友達よ」
自然な笑みを浮かべて朝香が答えると、天太が首を傾げた。
「なんで姉ちゃん出なかったの?」
「あたしと翼は、出演禁止だったのよ」
「えー、なんで?」
「有名人二人が学園祭の演劇に出たら、それだけで大騒ぎになっちゃうでしょ。今日はみんなの文化祭なんだから」
朝香はしゃがみ込んで、天太と沙也加の目線に合わせた。
両手を伸ばして、二人の頭をそれぞれ軽く撫でる。
「これは、あの子たちが頑張って作り上げた劇なの。あたしが出しゃばる場面じゃなかったわ」
「……そういうもんなんだ」
「そういうもんよ」
沙也加が朝香の顔をじっと見上げていた。
「なんか、お姉ちゃん、今日は全然怖くないね」
「怖くない?」
「うん。いつも、なんか、こう……お仕事のときの顔してるじゃん。今日は違う」
朝香は一瞬だけ黙った。
それから、少しだけ困ったように笑った。
「そう。それは、良かったわ」
二人が朝香に向かってはしゃぐ様子を、少し離れた場所で騎志社長が眺めていた。
その表情は穏やかで、姪と甥たちを見守る叔父の顔そのものだった。
しばらくして、天太と沙也加は他の出し物の話に夢中になったのか、二人で走り出していく。
その背中を見送りながら、騎志社長が朝香の隣に立った。
「どうだい」
「自分の普通は見つけられたかな?」
朝香はしばらく、天太と沙也加が消えていった方角を見ていた。
それから、静かに口を開く。
「もう大丈夫。あたしは、普通の人生も送れる。その上で――役者の道をいくわ」
騎志社長は、目を細めて頷いた。
「そうかい」
「なら、僕は社長として、全力でサポートするまでだ」
朝香が小さく頭を下げる。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」
二人のやり取りは、それだけだった。
その短いやり取りの中に、これまでの葛藤の全部が詰まっているような気がした。
俺は、校舎の陰から動かなかった。
声をかけるべきタイミングは、もう過ぎている気がした。
これは、俺が立ち会うべき場面じゃない。
朝香が、自分の力で辿り着いた場所だった。
しばらくして、朝香がふと視線をこちらへ向けた。
俺のいる場所に、気づいたらしい。
「……いつからいたの」
「今来たとこだ」
「嘘。絶対聞いてたでしょ」
「さあな」
朝香は少しだけ頬を赤くしてから、鼻を鳴らした。
「まあ、いいわ」
それだけ言うと、朝香は立ち上がって、俺の隣まで歩いてきた。
「片付け、終わったの?」
「いや、まだだ。梨夢に任せてきた」
「じゃあ、戻らないと」
「そうだな」
二人並んで、教室の方へ向かって歩き出す。
夕方に差し掛かった文化祭の喧騒が、遠くから届いてきた。
【名前の由来】
鹿角梨夢:「勝つの無理」