日曜九時放送。連続ドラマ〝プライベート・
第一話の視聴率は十五パーセントを超えていた。
同時間帯トップ。SNSでも反応は良く、現場の空気は明らかに軽い。
スタッフの動きに余計な張り詰めはなく、次の段取りも滑らかに進んでいる。
主演として、その変化を感じ取れないほど鈍くはなっていない。
カメラ前に立つと、意識が研ぎ澄まされる。
照明の熱が肌に残り、床の感触が足裏に伝わる。
周囲の視線が、ゆっくりと一点に集まってくる。
「本番、いきます!」
声がかかった瞬間、羽田朝香は一歩下がり、主人公である倉井愛が前に出る。
走る。考えるより先に、身体が動いている。
校舎裏。人の気配が消える角。
犯人の逃げた方向に、確信があった。
息は上がっている。それでも足は止まらない。
「犯人逃走中! アンダーソン。ナビをお願い!」
走りながらイヤーピースに指を当てて叫ぶ。
絶対に、捕まえてやるんだから!
踏み出した、その瞬間。
「カット!」
声が落ちる。空気が揺れ、スタッフが動き出す。
けれど、世界はすぐには切り替わらない。
しばらく走ってから脳が落ち着きを取り戻していく。
「オッケー! 朝香ちゃん、今のいいよ!」
監督の声と拍手が耳に入る。
それでも、倉井愛はまだあたしの中に残っている。
ゆっくりと息を吐き、指先から力を抜く。
何度か瞬きをして、ようやく現実の輪郭が戻ってくる。
「朝ちゃーん」
少し間延びした声。
「……ちょっと待って」
反射的に、そう返していた。
まだ完全には戻りきっていない。
数秒遅れて振り向くと、今回のゲストであるアイドル、斎藤ルナがすぐ傍まで来ていた。
ちなみに、この子は親同士が昔から仲が良く、あたしたちも幼馴染という関係だ。別に仲は良くないけど。
「今の完全に愛だったよねー、さっすがー」
距離が近い。役の余韻が残ったまま、半歩だけ下がる。
ようやく〝羽田朝香〟が戻ってくる。
「ポンコツなのに、突っ走る感じ。日曜ドラマ向きだよね」
「どっちかというと朝ドラじゃない?」
「あー、そっちのがしっくりくるかも!」
ルナは軽く笑って、スマホを持ち上げた。
「ねぇ、これ読んだ?」
画面に表示されたタイトルを見て、指先が一瞬止まった。
『天才子役の幼馴染は曇るが、役者の道を諦めたら始まるラブコメ』
「小説サイトで最近バズってるやつ。読んだ?」
喉の奥が、わずかに引っかかる。
「……ネット小説まで読んでる暇ないわよ」
こちとら移動中も台本読んだり、勉強したり、いろいろあるのだ。
「えー、朝ちゃんこういうの詳しそうなのに」
「ネット小説に詳しいわけないでしょ。人気の一般文芸とライトノベルなら一通り読んでるけど」
「どれも物語なんだから同じようなもんだと思うけどねー」
ルナは気にせず画面をスクロールする。
「これさー。ヒロインが完璧主義で、現場で妥協しないタイプでー。ちょっと朝ちゃんっぽいんだよねー」
心臓が嫌な音を立てた。
「読んでいい?」
「どぞー」
差し出されたスマホを受け取る。
画面を見た瞬間、周囲の音が遠のいた。
それは、覚えがありすぎる光景だった。
告白。
演技で勝ったら付き合うという約束。
稽古場の空気。
台詞のやり取り。
スクロールするたび、胸の奥がざわつく。
努力の仕方。
厳しさ。
フォローの仕方。
あたし自身の癖が、怖いくらいに文章で表現されていた。
少し読めばわかる――これは翼とあたしの話だ。
「羽田さん。次の準備お願いします!」
スタッフの声が飛ぶ。
「はーい!」
スマホをルナに返し、意識を倉井愛へと移行する。
表情は、きっといつも通りだ。
撮影を終え、控え室に戻ると、扉を閉めた途端に力が抜けた。
もう一度、スマホを取り出す。
続きを読まずにはいられなかった。
読み進めていくと、主人公は演技の世界に復帰していた。
ドラマ撮影の現場で、ヒロインと再び共演する。
それに対してヒロインは、主人公が戻ってきたことを喜ぶ。
でも、主人公の反応は冷たかった。
『恭一……! やっぱり、戻ってきてくれたのね!』
『別に香織のためじゃない。演技が楽しいと思えたから戻っただけだ』
胸に何かが刺さる。
主人公は、演技の楽しさに目覚めていた。
共演者と笑い合い、監督と語り合い、現場を楽しんでいた。
その姿は、生き生きとしていた。
ヒロインなんて、眼中にない。
『俺は俳優としてトップを目指す。お前には負けない。だからあの約束、取り消しにしてくれないか』
『え?』
『演技で勝ったら付き合うって約束のことだ』
『どう、して……』
『俺、演技を舐めてた。演技をお前に告白するための手段だと思っていた。でも、今度は違う。ちゃんと演技と向き合って、お前に勝つ』
ヒロインは、振られた。
主人公は、もうヒロインを必要としていなかった。
救いを求めて感想欄を開くと擁護の感想があった。
[ヒロインがかわいそう。さすがに哀れだわ]
[共感性に欠けてただけで悪い子ではないよな]
[主人公の好意を蔑ろにし続けたのも、わかんなかったからしょうがないと思うな]
「擁護に、なってない……!」
味方から背中を撃ち抜かれた気分だった。
評価もサイトのランキングで上位を取っていた。
★1,068 3,863フォロワー 85応援コメント。
大勢の人間が、ヒロインが振られることを喜んでいた。
ヒロインが曇ることを、楽しんでいた。
スマホを持つ手が震える。
たとえ翼が演技の道に戻ってきたとしても、翼があたしに振り向くことはないのだと突き付けられた気がした。
『だから、香織。もうお前に惚れてる暇なんてないから安心してくれ!』
『み゛』
「み゛」