新年を迎えた正月の朝。
仕事の予定が入っていないのは、実に久しぶりだった。
布団の中で静けさを味わってから、俺はゆっくりと身体を起こすと、台所からトントンという包丁の音が聞こえてくる。
「あけましておめでとう」
台所を覗くと、父さんがまな板の前に立っていた。
エプロン姿で大根を切っている姿は、正直まだ慣れない。
子役時代、この家で父さんが包丁を握っている姿なんて見たことがなかった。
「あけましておめでとう。お雑煮、作ってくれてるのか」
「まあな。母さんがいた頃の味には及ばないかもしれないが」
父さんはそう言いながら、鍋に出汁を注いでいく。
あの頃の父さんは、料理どころか台所に立つことすら珍しかった。
俺も、母さんも、父さんも、全員が仕事に追われて、家族の時間そのものが少なかったように思う。
今こうして自然に鍋を振っている姿を見ると、時間の流れというものを実感する。
「餅、何個にする?」
「二個で」
「わかった」
特別なことは何もない、それだけの会話だった。
それでも、こういうやり取りが当たり前に成立していることが、俺にとっては何よりも嬉しいものだった。
鍋から立ち上る湯気が、狭い台所をじんわりと暖めていく。
出汁の香りに、昆布と鰹の匂いが混ざって漂ってきた。
餅を焼くいい匂いも、遅れて追いかけてくる。
子役時代の正月は、大体が特番の収録か、稽古で埋まっていた。
家族三人で顔を合わせるのは、せいぜい元日の夜、それも寝る前のちょっとの時間だったように思う。
今は、それとはまったく違う時間が流れている。
テーブルに雑煮が並んで、俺と父さんが向かい合って座る。
「いただきます」
餅を箸で持ち上げると、伸びる粘りに苦戦しながら口に運んだ。
「うまぁ……」
「そうか……うまいか、そうか」
父さんは短くそう答えると、少しだけ照れくさそうに目を逸らした。
褒められることに、まだ慣れていない様子だった。
それは俺も同じで、こうして父さんの手料理を素直に美味いと言えるようになるまで、正直それなりの時間がかかった。
味覚がまだ戻り始めたばかりということも大きいが。
しばらく黙って箸を動かしていた。
テレビをつける習慣もなかったこの家で、静かな食事だけが続く。
父さんが茶碗を置いて、リモコンを手に取った。
今日は結構前に収録した格付けチェックの放送日だった。
カレンダーに小さく丸をつけておいたのを、朝起きた時点で思い出している。
……あの収録はいろいろあって大変だった。
父さんがリモコンのボタンを押すと、画面に大きなテロップが表示された。
〝芸能人格付けチェック お正月スペシャル〟
軽快な司会の声とともに、拍手の音がスタジオに響き渡った。
「お、始まった」
父さんが箸を置いて、テレビの方に身体ごと向き直る。
「タイミングよかったな」
「食べながらテレビは行儀悪くないか?」
「正月くらい、いいだろう」
あっさりと言い切られて、俺は苦笑しながら椅子の向きを少しだけテレビ側にずらした。
俺も雑煮の器を脇に寄せて、画面に集中する体勢を整える。
スタジオに映る朝香や井田さんの姿を見つけて、父さんが口元を緩めた。
その反応を横目で見ながら、俺はもう一口雑煮をすすった。
出汁の味が、しっかりと舌に届く。
味覚が戻ってからの雑煮は、なんだか特別な味に感じられた。