二月に入り、いよいよ劇場版セミブレードのアフレコが始まった。
スタジオの空気は、いつものドラマや映画の現場とはまるで違う。
あるのは防音ブースと、目の前のモニター、そしてマイク一本だけだ。
「最初のシーンからいきましょうか」
音響監督の合図で、俺はマイクの前に立った。
線画のキャラクターが、モニターの中で静止している。
普段の芝居なら、表情や仕草など、全部身体でやれる。
だが、ここでは身体を使ってはいけない。
多少は許されるだろうが、マイクにノイズが入れば、それだけでリテイクになる。
つまり、俺の武器であるメソッド・オブ・フィジカルアクションが封じられていた。
「クマゼボルグ! 〝
俺の演じる長那凪世弥の最初の登場シーンは、主人公の民吾が鋼羽の里に向かう途中で、セミゴロンというセミブレードに襲われるところを助ける場面だ。
鋼羽の里……特に〝日輪の祠〟周辺はセミブレードが活性化しており、アニメで凄腕セミブレーダーとなった民吾にとっても苦戦するという理由付けがされている。
ゲームで言ってみれば、クリア後のラストダンジョンのような土地が今回の映画の舞台というわけだ。
『翼さん、悪くはないんですけど、もっとこう……直接的な熱さではなく、普段はクールなのに、一瞬血が騒いで熱がこぼれ落ちた感じがほしいんですよね』
「……なるほど、わかりました」
いきなりリテイクとなったが、指示がわかりやすかったおかげで事前に作ってきた役の軌道修正がしやすい。
イメージするのは、前作主人公という立ち位置。
無鉄砲で世界を知らない少年が、大人になって世界を知る。
そして、今の主人公に当時の自分を重ねてつい手を貸してしまった。
そんなイメージを強く持つ。
息を吸う音を、少し大げさに。
でも、わざとらしくならないギリギりのラインを探る。
「っ! クマゼボルグ……〝
『おお! 今のいいですね。OKです』
監督から声がかかり、俺は詰めていた息をそっと吐いた。
オンライン対戦でクマゼボルグを使って戦っていた経験が役に立った。
ネット対戦は白熱すると、コマンドとは関係なく勝ち負けを分かつ択の場面で祈りたくなる。
その気持ちを引っ張ってくることで、こぼれ落ちた熱さを乗せることに成功したのだ。
それからも、収録は順調に進んでいった。
時折、ディレクションが入るたびに、少しずつ修正を重ねていく。
最初は手探りだったものが、テイクを重ねるごとに、自分でも輪郭が掴めてくる感覚があった。
「あ゛ー……しんど」
一番の武器を封じられた状態での芝居は、精神を削られるようだった。
ブースの外のソファーでクッションに沈み込む。
「いやぁ、お疲れ様ですな、翼氏」
「ああ、お疲れ様」
つい今し方アフレコ現場に到着した萌絵が声をかけてきた。
「わかっていたけど、アニメのアフレコって思ったよりしんどいな」
「翼氏は子役時代に経験済みですからなぁ」
正直、声優の仕事には苦い記憶がある。
子役時代、アニメ映画にゲスト出演したことがあった。
あのときの俺には、テクニカルアクティングしか武器がなかった。身体で演じることに慣れきっていて、マイクの前でどうすればいいのか、まったくわかっていなかった。
監督から何度もダメ出しをされて、最終的には棒読みの一歩手前まで音響さんに手取り足取り直してもらった記憶しかない。
思い出すたびに、背筋がむずがゆくなる。
あれは、俺の中で確かな黒歴史だった。
だから今回のオファーを受けたときも、正直不安のほうが大きかった。
「マジでこれをずっとやってきたんだから萌絵はすごいよ」
「オウフフ……これでおまんま食べてますからな」
萌絵は小さな手で自分の細腕をペチッと叩いた。
「それにこのあとは拙者との掛け合いもできますぞ。きっと翼氏の演技の質も爆上がり間違いなしですぞ」
「萌絵との掛け合いか……懐かしいな」
ルナが劇団を辞めたあとは、俺にとって最もしのぎを削った稽古相手が萌絵だった。
その懐かしいという感情すら、演技の糧にして見せる。
「では、行きましょうぞ」
萌絵と共にブースに入り、呼吸を整える。
「「よろしくお願いします!」」
次のシーンの準備が整い、俺たちはマイクの前に立つ。
俺の成長した芝居を見せてやる!