私の名前は川越萌絵。
劇団クロッカスから声優事務所Breath ONEへ移籍した声優だ。
きっかけは、あるアニメに声優として出演したことだった。
小学四年生のとき、〝
オーディションを受ける予定だった子が風邪で辞退して、代役として急遽呼ばれただけの話だった。
声だけで誰かになれるという経験は、ひどく新鮮だった。
顔も、身長も、年齢すらも関係ない。
声という武器一本で、妖怪にも、少年にも、老婆にもなれた。
ルックスの関係ない、純粋な演技力で勝負する世界で必要とされる。
それが、たまらなく嬉しかった。
朝香さんへの憧れを抱えながらも、自分の中に眠っていた芝居への渇望を、声優という仕事が満たしてくれたのだ。
正式に声優事務所Breath ONEへ移籍したあと、私にはどんどん仕事が舞い込んできた。
「マカちゃんは今回のオーディション、落ちちゃったんだ……」
「うん、まー、演技はいつも通り悪くなかったと思うんだけどねー」
先輩である秋毫乃々未さんと千野辺万華さんには、当時からとても可愛がってもらっていた。
マカさんの演技力は、ずば抜けていた。
役に入り込む速度も、声だけで景色を変える説得力も、同世代の中で頭一つ抜けていた。
だというのに、マカさんはあまり仕事をもらえていなかった。
「演技力だけじゃ、今の業界なかなか厳しいんだよねぇ」
ノノさんが苦笑しながら零したその言葉が、ずっと胸に引っかかっていた。
昨今の声優には、演技以外のものがどんどん求められる。
歌唱力、トークスキル、ラジオでのキャラクター性、イベントでのアイドル性。
私はもともと、声優という仕事を裏方だと思っていた。
姿を見せず、純粋な演技力だけで評価される場所だと信じていた。
だからこそ、目の前の現実にショックを受けた。
どれだけすごい芝居をしても、それだけでは主役に届かない。
まるでアイドルのような扱いを受け、男性声優も女性声優も、演技そのものが正当に評価されないまま消費されていく。
盲目的なファンは、演技の巧拙よりも〝推し〟としての在り方を求めてくる。
結局、私も売れた理由は、童顔低身長のビジュアルとわかりやすい迫真の演技のギャップが受けたことが大きい。
業界の空気に、私はずっと居心地の悪さを感じていた。
「マカさん! 声優やめちゃうんですか!?」
「あははー、ごめんねぇ。バイトと兼業してやってきたけど……もう限界でさ」
「そんな……」
マカさんは生活苦で身体を壊し、声優をやめることになった。
「一つだけ覚えておいて萌絵ちゃん。この世界で芝居がうまいのは当たり前。持ってる人だけが生き残るんだよ」
「マカさん……」
「何かあったらノノを頼りな!」
尊敬する先輩が去っていく背中を、私は見送ることしかできなかった。
それからも私は仕事を選ばなかった。
朝香さんなら、きっとこう言う。
『結果が出るまでやるのが努力よ』
芝居だけでやっていけないのは、私が未熟だから。
歌のレッスンも、トークの練習も、イベントの立ち回りも、舞い込んでくる全ての仕事に全力で取り組んだ。
結果は、ちゃんとついてきた。
初主演を務めた〝熱血魔法少女 ブレイズリリィ〟は人気アニメとなり、それから多くの作品で主要キャラクターを任されるようになった。
事務所の意向でやることになった歌手活動も、レーベルaquacat'sから作品を出し続けている。
成果を積み上げるたびに、心のどこかがすり減っていくのがわかった。
すごい芝居をする人が評価されない。
なのに、芝居以外も器用にこなせる自分だけが評価されていく。
私を見るな。
主役は私じゃない。
私が魂を吹き込んだキャラクターを見るべきなのだ。
私は、何をやっているんだろう。
マカさんのほうが、よっぽど声優として正しかったはずなのに……。
違和感を抱えるたび、思い出すのは朝香さんの背中だった。
芝居以外の何かに媚びることもなく、ただ芝居の質だけで頂点に立ち続けている。
誰にも媚びず、誰にも流されず、純粋な実力だけで生き残っている、本物。
この業界で唯一、私が信じられる理想の姿。
朝香さんという存在そのものを、疑いようのない正解として、ただひたすらに崇め続ける。
芝居以外の雑音に心をすり減らされるたび、あの人ならこうする、あの人ならこう考える、と自分に言い聞かせてきた。
そうしないと、前に進めなかった。