あたしの名前は羽田朝香。
三歳のとき朝ドラで子役デビューしてから最近波に乗っている天才子役だ。
七歳の秋、あたしは連続ドラマ〝
落語一門を舞台にしたドラマで、あたしの役は真打ちの孫娘・灯だ。
灯はいつも袖から祖父である師匠・
その光明役は、日本で最も有名な俳優である両賀千三郎だった。
「羽田朝香です! よろしくお願いいたします!」
「今日はよろしくね。朝香ちゃん」
挨拶へ向かうと、千三郎さんは穏やかな笑みを浮かべていた。
見上げると、着物姿の大きな男の人が、腰を屈めて笑っている。
六十を過ぎているはずなのに、あたしには山のように見えた。
「ご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願いします」
「おお、しっかりしてるなぁ。お利口さんだな」
子供相手の、優しい大人の顔だった。
だけど、それはあたしがただの子供と思われているということ。
その認識を書き換えてやる!
撮影の初日、あたしは自分の仕事を終わらせるつもりで臨んでいた。
落語の映像や彼のプロフィールは、事前に何度も見てきた。
それを自分なりに補って、役として取り込んでいる。
場面は、袖から師匠の噺を見て真似る、というもの。
「では、いきます」
千三郎さんが高座に上がり、〝まんじゅうこわい〟が始まる。
袖で師匠の噺を聞き、真似て口遊む。
最後の場面で、あたしは頬を緩めて笑った。
「カット」
このドラマの監督である
「いやあ、すごいな。七歳でこれか。そのままOKだね」
監督もあたしの芝居に圧倒されたのか、すんなりOKを出してくれた。
「おい、小娘。その程度か?」
撮影の合間、千三郎さんが声をかけてきた。
あたしを見下ろすその目から、さっきまでの優しさが消えていた。
「今のは、談喜師匠だな」
心臓が、ドクンと鳴った。
「……はい。彼の映像を見て、勉強してきました」
「だろうな。間も、目線も、息の詰め方も、談喜師匠の癖がそのまま出てた。よくできてる。てぇしたもんだ」
認められたと思ったけれど、千三郎さんは続けた。
「だが、それじゃダメだな」
「えっ」
「お前さんは、まだ高座を見ているだけの小娘だ。〝高座を見ている女の子〟を演じなきゃならねぇのに、〝高座に立つ人間〟の目で見てやがる」
そこで、自分が犯した致命的なミスに気がついた。
「子供らしさも足りねぇ。この子は、噺の中身も碌にわからねぇはずだ。わからねぇなりに、周りの大人が笑うから、つられて笑っちまう。その、わからなさがない」
あたしは、参考にした落語家を取り込んで役になった結果、役の〝幼さ〟を削ぎ落としていた。
上手すぎて、孫娘の精神年齢と技術を超えてしまっていたのだ。
「俺と対等になろうってんなら弱音を吐くことなんて許されねぇぞ。お前さんが、いっぱしの役者ならな」
悔しさより先に、体の奥がかっと熱くなっていた。
この人は、あたしの芝居を一度で見抜いた。
しかも、誰を参考にしたのかも当てて見せたのだ。
「……もう一度、お願いします」
あたしは、即座に監督の元へ駆け寄って頭を下げた。
「いやぁ、よかったよ?」
「無茶を言ってるのは承知しています! ですが、どうかお願いします!」
「まあ、いいじゃねぇか、手木監督」
ノリ気じゃない監督へ、千三郎さんが助け船を出してくれた。
「ここは俺の顔に免じて頼むわ」
「えー、千さんにそう言われちゃあしょうがないなぁ」
「ありがとうございます!」
あたしは再び頭を下げる。
「おい、小娘。もうリテイクはいらねぇよな?」
そんなあたしに千三郎さんはそんな言葉をかけてくれた。
「当然です」
「カァー! ナマいいやがって、可愛くねぇガキだ!」
千三郎さんが、また高座に座る。
あたしは袖に戻り、一度だけ目を閉じた。
自分の中に作っていた役を手放す。
必要なのは、落語ではなく大好きなおじいちゃんに興味がある少女。
落語への興味はそのあとについてくる。
必要なのは、ただ好きな人を真似て音を口から零すことだけ。
大人が笑った瞬間に、一拍遅れて、きょろきょろと周りを見渡す。
噺のオチは、半分もわからない。
わからないけど、なんだか楽しくて、笑ってしまう。
「カット」
監督の声が、今度は震えていた。
「……完璧だ」
誰かが、拍手をした。
それが波になって、スタジオ全体に広がっていく。
千三郎さんは、高座から降りてきて、あたしの前にしゃがみ込んだ。
目線が、同じ高さになる。
「小娘。お前さんは、バケモノだな」
「……ありがとうございます」
「褒めてるんじゃねぇ。心配してるんだ」
千三郎さんはスッと目を細めた。
「一度言われただけで、これだけ直せる。教えたことを全部吸い込んで、自分の形に変えて返してくる。そんな才能を、一人で走らせたらどこかで潰れる」
それから、あたしの目をまっすぐに見据える。
「俺が持ってるもんを、全部お前さんに教えてやる……興味、あるか?」
この人の隣に立てば、あたしはもっと上へ行ける、と役者としての直感が告げていた。
あたしは、役である灯の顔で、ニッコリと笑った。
「はい、お願いします、師匠!」
千三郎さんの目が、一瞬だけ大きくなった。
それから、くしゃりと崩れた。
「役に合わせやがったな。しかも、ちゃっかり師匠と来たか」
「ダメですか?」
「カァー! 勝手にしろってんだ」
「はい、師匠!」
あたしは、あの日、最高の師匠に出会えた。
……………………
………………
…………
……
「もしもし、どうしたんですか優二さん? 珍しいですね」
『朝香ちゃん! 親父が倒れた!』
「……え?」
自分の顔から血の気が引いたのがわかった。
「いつ? どこの病院?」
『ついさっき、家で倒れてたんだよ! また連絡する!』
全てが順調に進んでいると思っていた。
「朝香?」
それなのに、どうして。
「……師匠が、倒れた」
こんなタイミングで、師匠が……。
「み゛」