会場の空気が、一瞬で凍りつく。
立ち上がっていたのは、パーカーのフードを深く被った男だった。
「大御所が権力で捻じ込んだ映画なんか、観る価値ねぇよ! ほら、否定してみろよ!」
フードの男はスマホを構えている。
録画しているのだろう。
手荷物検査をしたところで、心の中までは覗けない。
純粋にチケットを当ててきたか、転売されたものを買ったのか。
どちらにせよ、彼が悪意を持ってこの場にいるのは明らかだった。
警備員が二人、通路を駆け下りてくるのが見えた。
「ご心配はいりませんよ」
俺の言葉に会場がざわついた。
男に手を伸ばしかけていた警備員が、困惑したように足を止める。
「ご意見は、確かに受け取りました。ただ、今日は質疑応答の場ではありませんので、ゲスト声優を代表して僕から一つだけ、お返事をさせてください」
そこで一拍置く。
間の取り方は、子役時代から叩き込まれた俺の武器だ。
「この作品に、誰が、何故選ばれたのか。その答えは、これから始まる上映の中に全部入っています」
客席が静まり返る。
フードの男も虚を突かれたように口を開けた。
「あなたは残念ながら退場されてしまうようですし、是非ご意見は映画をご覧になってからお願いいたします」
それだけ言って、俺は男に向かって深々と頭を下げた。
男は何か言い返そうとしたが、言葉が出てこないようだった。
周囲の客から、冷ややかな視線が突き刺さる。
そこへモニターから声が降ってきた。
『わたくしも、同感ですわ』
Live2Dの株地さんが、まっすぐにフードの男を見据えていた。
『キャスト陣に後ろ暗い理由で選ばれた方はおりません。我々の芝居が全てです』
その声は凛としていた。
控えめな拍手が、客席のあちこちから起きた。
それは、すぐに会場全体へ広がった。
会場に轟く拍手の中、フードの男は警備員に連行されていった。
司会が、慌てて場を締めにかかる。
『そ、それでは、本日はご来場ありがとうございました! まもなく上映を開始いたします! キャストの皆様、ありがとうございました!』
さっきよりもひときわ大きな拍手の中、俺たちはステージを降りた。
袖に入った瞬間、朝香が肘で脇腹を突いてきた。
「カッコ良かったわよ」
「あのフードの男も利用させてもらっただけだよ」
「利用?」
「あの場には記者も大勢いた。どう考えても、こんなおいしいトラブル、記事にするだろ」
こういうことも起きる可能性は事前に考慮しておいた。
気まずい話題で舞台挨拶に水を差す隙は与えるつもりなどなかった。
「パフォーマンスとしては最高だったと思うぞ。キャストが毅然とした態度でアンチに対して芝居が全てと言える作品だってな」
「……そういう場外戦術、ホント得意よね」
「カァー、俺も無理した甲斐があったってもんだな」
千三郎さんが笑顔で俺の背中を叩く。
「ありがとよ、翼」
「しっかり療養して、元気になってから芝居で返してください」
「だっはっは、ナマ言うじゃねぇか、小僧が!」
体調の悪さなど少しも感じさせず、千三郎さんは呵呵大笑する。
「……若ぇのがこれだけふてぶてしいと安心だ」
目を細めてそう告げると、千三郎さんは車椅子に腰かけ、奥さんに連れられて去っていった。