私の名前は株地由羽。本名は千野辺万華。
大手Vtuber事務所に所属するVtuberだ。
私は新橋にある居酒屋の個室で、養成所時代の同期である秋毫乃々未と向かい合っていた。
「それでは、改めまして」
「お疲れ様でした!」
「かんぱーい!」
ジョッキと猪口が、軽く音を立てる。
「いやぁ、今回は大変だったわねぇ」
「大変なんてもんじゃないよ。炎上したときは、本当に死ぬかと思った」
「マカちゃんのせいじゃないんだからそこまで気にしないでいいのに」
「千三郎さんに飛び火したのは私の起用が発端でしょ? マジで申し訳なさすぎてさ……」
ジョッキの泡を見つめながら、当時のことを思い出す。
ただでさえ、芸能界の大御所が自分を推していたという事実に驚愕したのに、そこから炎上なんてキャパオーバーもいいところである。
「千三郎さん、容体は安定してるんだって?」
「うん。昨日の配信にも、病室から赤スパが飛んできた」
「えぇ……」
「〝療養中につき少額で失礼〟って、一万円」
「少額の定義が壊れるねぇ」
ノノが、ケラケラと笑う。
その笑い声を聞いていると、養成所の頃に戻ったような気分になった。
「でも、いい現場だったなぁ」
推しカプとファン、かつての同期に自分を慕ってくれた後輩。
そんな人たちと昔追っていた夢の続きを見ることができた。
明日にでも死ぬんじゃないかと思うくらいに幸せな時間だった。
「……私さ、萌絵ちゃんには申し訳なかったなって思ってるんだよね。声優をやめるとき、あの子に偉そうなこと言ったでしょ。〝持ってる人だけが生き残る〟って」
「そんなこと言ったの?」
「最後くらいカッコつけたかったの! でも、実際はアレは自分に言い聞かせてただけ」
どうしてこんなに頑張っているのにうまくいかないんだ。
こんなに芝居ができるのに、どうして!
当時の私はそうやって他責することで自分を保っていたのだと思う。
「萌絵ちゃんはあなたの言葉を真正面から受け止めて、全部やって、ちゃんと結果を出したわ」
「本当、極端なくらいまっすぐな子だよね。共演して、あの子の芝居を浴びたとき、悔しいより先に嬉しいが勝っちゃったよ」
私は猪口を傾けるノノに、素直に告げる。
「私の言葉が、あの子を縛ってたんじゃないかって、ずっと気にしてたけど、あの子はもう自分の足で立ってた」
「そうねぇ。今の萌絵ちゃんは、もう誰かの背中を追いかけてるだけの子じゃないわ」
ノノは、嬉しそうに目を細めた。
「ねぇ、ノノ。昔話していい?」
「どうぞ」
「私さ、あんたのこと妬んでた時期があったんだ」
言った瞬間、ノノの猪口が止まった。
「……今更?」
「えっ、嘘」
「オーディションに落ちるたびに、私と目を合わせてくれなくなってたもの」
「うぐっ……バレてたのか」
恥ずかしさで、枝豆を意味もなく剥いた。
「演技なら負けてない、って本気で思ってた。実際、そうだったと思う。でもノノは、歌もトークも、全部こなして愛された」
あの頃の私は、それが許せなかった。
芝居の外側で評価される世界が、ズルいと思っていた。
「結局のところ、売れるかどうかも含めて実力なんだよね。役者が芝居だけやってればいいなんて、ただの甘えだった」
「甘え、とは思わないけど」
「甘えだよ。選ばれるための努力を、私は途中で放棄してた」
ノノは何も言わず、頷くだけだった。
何も言わないのが、この人のいちばんの優しさだ。
「私はね、マカちゃんのお芝居、ずっと好きだったよ」
「……ありがと」
「でも、同じくらい今の配信も好き」
「それは嘘でしょ。あんな、台パンして奇声発してるのに」
「あれはあれで、ひとつの才能だと思うわ」
真顔で言われて、思わず吹き出した。
「ねぇ、ノノ。私ね、今、楽しいんだ」
自然と、言葉が出てきた。
「かつて描いた夢じゃないけど、巡り巡って、また芝居の現場に呼んでもらえた。遠回りしたけど、全部繋がってたんだなって」
「うん」
「もう、悔しくない。昔の自分に対しても、あんたに対しても、ちゃんと吹っ切れた」
口に出してみると、肩の荷がすっと下りた。
ノノは猪口を傾けながら、目を細めている。
「翼君や朝香ちゃんとも共演できたものね」
「そうだ、聞いてくれる!?」
その一言で、スイッチが入った。
「翼君と朝香ちゃんなんだけど! もうね、あの二人、アフレコの休憩中に気づいたら隣同士に座ってるの! しかも距離がおかしいの! パーソナルスペースが完全に溶けてるのに絶対自覚ないやつ! 対談収録のときだって、朝香ちゃんが私の変顔で吹き出したら、翼君がすかさず〝俺は素の朝香を拾う(キリッ)〟みたいな顔でして、あれは愛なんだよ、解釈一致の塊なの! 格付けの抱き留めなんて、朝香ちゃんが鳴いた瞬間に画面から消えたでしょ、あの編集班の判断が天才すぎて、私同時視聴中に缶ビール落としたからね!? しかも萌絵ちゃんに聞いたら、あの二人まだ付き合ってないんだよ!? 付き合ってないの!? あの距離で!? もうラブコメ漫画じゃん! 過剰供給で死ぬわ、ほげぇぇぇ!」
一息で言い切ってから、ぜえぜえと肩で息をした。
個室の外を通りかかった店員さんが、ビクリと足を止める気配がした。
「うふふっ、楽しそうで何よりだわ」
顔を上げると、ノノは頬杖をついたまま、私をじっと見ていた。
からかうでも、呆れるでもない。
ただ、心から嬉しそうに微笑んでいる。
養成所の頃、ブースの外でいつも私の芝居を聞いてくれていたときも同じ顔をしていた。
「それで? 続きは?」
「……聞いてくれるの?」
「えぇ、酒の肴にちょうどいいもの」
ノノは猪口をゆっくりと持ち上げた。
それから、心から幸せそうな笑顔を浮かべて、くいっと日本酒を呷った。
その笑顔を見て、私は思った。
回り道も、遠回りも、悪くない。