そうこうしている内に、撮影が始まった。
翼君のおかげで、現場に馴染みやすくなったこともあり、俺もできることはないかスタッフの人たちに打診していた。
自分で仕事を増やすのもどうなんだと思ったが、やれることはやっておきたいと思ったのだ。
「おう、翼。今日もよろしく頼むわ」
翼君の元へと大柄な男性が歩み寄る。
井田寛。
親父と同様、彼もまた俳優としての知名度は極めて高い。
俳優といえば、という問いかけに日本人の老若男女が答えた場合、高確率で名前が出るのは、両賀千三郎、井田寛、染谷良彦の三人になるだろう。
彼はそれだけ長く俳優として活躍してきた実力派俳優だ。
「よろしくお願いします。また親子役ですね」
「あのNGが大賞とっちまったからなぁ。全国のお茶の間に〝父さん〟って呼ばれる俺の身にもなれ」
「最高じゃないですか」
「うるせぇ」
拳をぶつけ合う二人を、壁際から眺める。
この二人の間には、それこそ親子以上に積み重ねた絆があるように思えた。
「本番、いきまーす」
食卓を模したセットに、井田さんと翼が並んで座った。
モニターの後ろ、スタッフの隅っこから、二人を見る。
「ただいまー!」
「おう、おかえり。今日は餃子だぞ」
「マジ!? うぉっしゃー!」
あの二人は、役を演じているというより、昔演じた親子の続きを、そのままやっているように感じた。
時間が経って、息子が大きくなって、父親が老ける。
それでも変わらない距離感で、並んで飯を食っている。
「うんまぁ! 父さん、腕上げたねぇ」
「ま、まあな」
気まずそうに井田さんが目を逸らすと、そこには冷凍餃子のパックがあった。
「……次は負けねぇぞ」
「カット!」
冷凍餃子のパックを睨み、恨みがましく呟く井田さんのアップでカットがかかった。
それから何本かパターンを録っていく。
CMはショートバージョンやロングバージョンなど、複数のパターンを録ることになる。
その間も、二人の空気は一度も崩れなかった。
今度のパターンは、帰りの遅い父親のために、息子が夕飯を用意する話だった。
「やべっ、父さんそろそろ帰ってくるじゃん! こうなったら……!」
翼君が、冷凍餃子の袋を取り出して、焦った顔でフライパンに並べていく。
「なんとかなれー!」
祈るような声に、思わず口元が緩んだ。
演技だとわかっているのに、本当にギリギリで間に合わせようとしているお父さん想いの息子にしか見えない。
「ただいま……おっ、今日は餃子か」
井田さんが、上着を脱ぎながら食卓につく。
用意された餃子を口に入れた瞬間、目を見開いた。
「ん、前よりうまいな! 腕上げたなぁ、おい!」
「うし……!」
翼君が、小さくガッツポーズを決める。
井田さんは、何も気づいていない顔で餃子を頬張っていた。
その何も知らない感じが、父親としてあまりに自然だった。
「カット!」
監督の声が響いて、現場の空気が緩んだ。
そこにあったのは、技術ではない。
自然体の親子が、飯を食っているだけだった。
「次のパターン、いきまーす!」
井田さんが、エプロン姿でキッチンに立つ。
フライパンを睨む目は、真剣そのものだった。
「へっ、今度こそ……俺の、勝ちだ!」
羽根つき餃子を、ひっくり返す。
パリッと焼けた羽根が、皿の上で形を保っていた。
その得意げな顔が、子供みたいだ。
「おっ、何々、餃子パーティ?」
翼君が、ひょこっと顔を出す。
制服のネクタイを緩めながら、鼻をひくつかせている。
「食べ比べだ……どっちがうまい?」
井田さんが、手作りの羽根つき餃子と冷凍餃子を、並べて置く。
迫真の間が、食卓に落ちた。
ゴクリ、と井田さんが唾を飲む音が聞こえそうだった。
翼君は、二つの皿を見比べて、箸を伸ばす。
一つずつ、口に運んだ。
もぐもぐと咀嚼して、考え込むように視線を上に向ける。
「うーん、こっち」
迷いなく、冷凍餃子を指さした。
「だあああ! ちくしょう!」
井田さんが、頭を抱えて天を仰ぐ。
その悔しがり方に、スタッフの間から笑いが漏れた。
「カット!」
カットがかかるのと同時に、二人から笑顔がこぼれた。
気づけば、箸を握る手の形を思い出していた。
向かいに座っていた親父といつも笑顔の母さん。
そんな暖かい日々が思い起こされた。
そこにあった景色が、あまりにも自然で、胸の奥を静かに掴んだ。
やがて、現場のあちこちから拍手が上がった。
「はい、オッケーです! お疲れ様でした!」
監督の声に、スタッフが動き出す。
俺は、その拍手に混ざることができなかった。