とにかく曇る天才女優の幼馴染!   作:サニキ リオ

226 / 226
第226話 付き人から見る羽田朝香 その2

 今日のCMはスポーツドリンク。

 内容は、全力で走り切った直後に、ボトルを呷って「生き返る」と呟く、それだけだ。

 衣装の制服姿に着替えた朝香ちゃんが立つのは、波打ち際だ。

 

 ここまでで走り込んだという設定で、息を切らした状態から芝居を始めるらしい。

 本当に走らせるのか、と思って周りを見回したが、それらしい準備は何もない。

 朝香ちゃんはスタッフと軽く打ち合わせをして、所定の位置に立った。

 

 それから、ゆっくりと目を閉じる。

 彼女は、ほんの数秒、肩の力を抜いて、その場に立っているだけ。

 何をしているんだろうと思った、次の瞬間だった。

 

 ふっ、と息が漏れ、肩が上下し始めた。

 額には、だんだんと汗の粒が浮かんでくる。

 あっという間に汗だくになった朝香ちゃんの首筋が、赤く上気し始める。

 

「そろそろか……本番、お願いします!」

 

 タイミングを見計らった監督の声が響き、カメラが回った。

 

「……は、っ……」

 

 喉から漏れた声がかすれ、膝が笑っている。

 立っているだけで限界と思わせる体の重さが、見ているこっちにまで伝わってきた。

 朝香ちゃんは、その場から一歩も動いていないのに、数十キロくらい走り込んだ直後の体が、そこにあった。

 

 俺は、息をするのを忘れていた。

 これが、羽田朝香のメソッド演技。

 

 メソッド演技自体は、知識として知っている。

 感情や体験を呼び起こして、体の反応まで再現する技術だ。

 

 しかし、目の前で起きていることは、俺の知識では説明しきれない現象だった。

 滝のようにかいている汗は本物。

 演技で汗や涙を出せる役者はいるが、一瞬でここまでの量を自然に流せる人間を、俺は知らない。

 

 朝香ちゃんが、手に持っていたボトルを、きちんとカメラに商品名が映る角度で掲げる。

 震える手でキャップを開け、一気に呷る。

 喉が大きく上下して、口の端からスポーツドリンクが一筋こぼれて、顎を伝う。

 

「ぷはぁ……っ、はぁ……生き返る」

 

 掠れた呟きが、波の音の中でもはっきりと聞こえた。

 

「カット! オッケーです!」

 

 監督の声で、ようやく息が戻ってきた。

 俺だけじゃない。

 スタッフ全員が、羽田朝香という女優に釘付けになっていた。

 

 現場に、一拍遅れた拍手が起きる。

 朝香ちゃんは、肩で息をしながら、ふっと表情を緩めた。

 

「ありがとうございました」

 

 朝香ちゃんが波打ち際からこっちに戻ってきたため、タオルを持って駆け寄る。

 

「お疲れさん」

「どうも」

 

 受け取ったタオルで、朝香ちゃんが汗を拭う。

 もう、さっきまでの息切れは嘘みたいに収まっていた。

 切り替えの速さまで、規格外だ。

 

「……今の、どうやったんだ」

 

 思わず、聞いてしまった。

 朝香ちゃんが、じっと俺を見る。

 

「別に、難しいことはしてないですよ」

 

 意外にも、朝香ちゃんは素直に答えた。

 

「頭の中で全力疾走しただけです」

「頭の中でって……まさかメソッド演技だけじゃなくて、強力な自己暗示で自律神経をコントロールして肉体の反応を強く引き出したとか?」

「いや、細かい理論はわかりませんけど。うーん、そうですねぇ……」

 

 唇に人差し指を当て、どう説明したものかと唸ったあと、朝香ちゃんは世間話でもするように言った。

 

「経験がなければ、他人の経験を借りてくればいい。それでも足りなければ、想像で補う。やることは、それだけですよ」

 

 それだけ、で済む話じゃない。

 喉の奥が乾いているのを感じる。

 朝香ちゃんは、俺の顔を見て首を傾げた。

 

「どうしたんですか?」

「いや……なんでもねぇ」

 

 昔から見てきた、その背中があまりにも遠い。

 差がありすぎて、悔しいとすら思えない。

 

「優二さん」

 

 控室の扉の前で、朝香ちゃんが振り返った。

 

「次の現場もよろしくお願いいたします。運転、本当に楽なので助かります」

「……おう」

 

 そのときは、返事をするので精一杯だった。

 

 帰りの車の中でも、朝香ちゃんは漫画を読んでいた。

 これが流行りの漫画だったら年相応だと思うのだが、今度やるドラマの原作らしい。

 どこまでもストイックな子である。

 信号待ちで、朝香ちゃんが漫画から顔を上げた。

 

「その、何ですか、優二さんって、付き合ってる人がいると聞いたんですけど」

 

 口調がぎこちない。

 そこで漫画を持つ手が、さっきから1ページも進んでいないことに気づいた。

 

「なんで聞き方まで親父と同じなんだよ……まあ、いたけど」

「やっぱり、お相手は女優だったり?」

「女優だよ。別に珍しい話でもないだろ。共演きっかけに結婚する俳優だっているんだし」

 

 ハンドルを切りながら答えると、バックミラーに映る顔がパァッと明るくなった。

 

「そ、そう! やっぱり、それが普通よね!」

 

 いつもより高い声で答える朝香ちゃんは、口元を押さえて必死に笑みを噛み殺していた。

 

 なんか意外だった。

 朝香ちゃんといえば、大人顔負けの芝居をする、どこまでもストイックな演技マシーンという印象しかなかった。

 それがこんな恋バナにウキウキする女の子らしい一面があるとは思わなかったのだ。

 

「お互いの仕事に理解もあるし、業界内の情報網で行動もある程度把握できる。メリットは大きいと思うぞ」

「うんうん!」

「俺の場合は学園ドラマでの共演相手だったよ。年齢的にも青春したいってときだったし、ドラマのシナリオもあって、気持ちも盛り上がってたからな」

「ほうほう!」

 

「ま、向こうは爆売れして俺が鳴かず飛ばずになって、すれ違いも多くなった結果、別れたけどな。出会って付き合い易い反面、長続きしないと思うし、別れたら気まずいから同業者との恋愛はあんまおすすめできないぜ?」

「み゛」

 

 さっきまでウキウキだったはずなのに、絶命寸前のセミのような声が、後部座席から響いた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

病弱貴族になった俺、治癒魔法をかけながら戦えばいいことが判明する(※血反吐付き)(作者:池崎)(オリジナル:ファンタジー/戦記)

突如として前世の記憶を思い出し、自身が病弱貴族になってしまったことを悟った主人公は、とある出来事をきっかけに──「治癒魔法をかけ続けたら戦えるのでは??」と気づき、おっさん治癒術師を巻き込んで修練に励む。▼その結果──確率で血反吐を吐きながら拳で戦うHENTAIスタイルになってしまう。▼「だ、大丈夫! すごく痛いけどすぐ治るから!!」▼


総合評価:3569/評価:8.27/連載:14話/更新日時:2026年08月12日(水) 12:39 小説情報

【2章完結】女性だけが戦う世界で、脳内の特撮オタクが俺に「ヒーロー」を押し付けてくる(作者:maki@)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

▼【 ――いいから黙って変身しろ! 俺の考えた最高のヒーローを見せてやる! ―― 】▼若い女性だけがその生命を燃やして戦う世界。▼『魔障対策局』の雑用係・神代蓮は、戦う力を持たない無力な男として、非日常を虚構に貶める日陰の仕事を淡々とこなしていた。▼だが、彼には誰にも言えない秘密があった。▼その脳内に人類の敵、【魔障】を飼っているということ。▼『戦う力』が欲…


総合評価:5421/評価:8.88/連載:25話/更新日時:2026年09月24日(木) 20:00 小説情報

アイドルに執着されるドルオタ(作者:未完)(オリジナル:現代/恋愛)

小学生の頃、二年間だけ同じクラスだった初恋の女の子がいた。▼彼女はアイドルになるという夢を持っていて、俺はそれを応援していた。▼しかし、小学校を卒業するとその子は遠くへ引っ越した。▼俺も中学に上がると同時に、その子との記憶は薄れていった。▼そして、高校二年の夏。▼画面の中で、アイドルとして活動する彼女の姿があった。▼アイドルの夢を応援し、ファン第一号とまで言…


総合評価:4472/評価:8.75/連載:4話/更新日時:2026年10月26日(月) 18:05 小説情報

ヤンデレに監禁されるわけwww(作者:むにゃ枕)(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

ヤンデレから逃げようと思ってる。▼ヤンデレのみんなには悪いけど抜け駆けで▼ヤンデレは逃走とかされたことないから、びっくりするかもしれないけど、もう逃げたい気持ちを我慢できないから▼


総合評価:3986/評価:8.03/連載:15話/更新日時:2026年09月28日(月) 21:16 小説情報

悪の組織のライバルキャラ転生〜「お前を倒すのは俺だ」と言いたいだけの男、鬱展開をぶっ壊して愛される〜(作者:む〜べ〜)(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

※なお周りは主人公扱いしてくる模様。▼ゲームで主人公に敗北して組織のボスに始末される推しの不遇悪役ライバルに転生したので、原作知識で破滅エンドを回避して「理想のライバル」に成り上がる!▼……はずがうっかり死ぬはずだったヒロインを助けて激重感情を向けられたり、勘違いで組織を潰す「英雄」に祭り上げられたり、本編開始前から原作を破壊しまくってしまう。▼これはライバ…


総合評価:7166/評価:8.37/連載:64話/更新日時:2026年10月24日(土) 12:14 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>