今日の現場は、心芦ちゃんが出演するドラマの撮影現場だった。
「優二さん、今日からよろしくお願いします!」
ぺこりと頭を下げる姿に、車の鍵を握る手がゆるむ。
翼君や朝香ちゃんのようなバケモノ未成年の後だと、癒やしにすら感じた。
「こちらこそ。乗り心地悪かったら遠慮なく言ってな」
「はーい! 優二さん、運転すっごく上手だって翼先輩が言ってたから楽しみです!」
後部座席から、屈託のない声が返ってくる。
台本を読む横顔も、足をぶらぶらさせる仕草も、無邪気な子供そのものだ。
……平穏だ。
前二人がアレだったから、こんな時間が待っているとは思わなかった。
現場は都内のスタジオだ。
車を降りた瞬間、心芦ちゃんは花が咲いたように笑う。
「おはようございまーす! 小山内心芦です! 今日はよろしくお願いします!」
スタッフたちが、揃って目尻を下げた。
「心芦ちゃん、おはよう! 今日も元気だねぇ」
「昨日、撮影に備えてちゃんと早く寝たので!」
「偉いねぇ」
その天真爛漫さで、大人たちの懐にするりと入り込んでいく。
そして、その流れでくるりと俺の方を振り向いた。
「この人は新しく来てくれた付き人の優二さん! 運転がね、すっごく上手なんですよ!」
「そっか。心芦ちゃん、ナイトプロに移籍したんだっけ。付き人も新しい人になるよね」
「そうなんです! なかなかイケメンでしょ!」
無邪気な声で俺の名前が現場に落とされ、全員の視線が俺に集まった。
一瞬だけ、心芦ちゃんがこちらに目配せをした気がした。
そうだ。挨拶しろはしっかりしなければ。
「灰瀬優二です。よろしくお願いします」
頭を下げると、監督やプロデューサーが気さくに名刺を出してくれる。
図らずも、現場の人たちに顔を売ることができた。
心芦ちゃんがもたらしてくれたチャンスに内心浮かれていると、声をかけられた。
「あれぇ? もしかして、千三郎さんの息子さんですか?」
声をかけてきたのは、別事務所のマネージャーらしき男だった。
スーツの襟を正しながら、人当たりのいい笑みを浮かべている。
しかし、その目は笑っていなかった。
「いやぁ、まさかナイトプロで付き人をされているとは。大変ですねぇ、二世俳優さんも」
「ええ、まあ……」
「千三郎さんも、ご子息の将来が心配でしょうねぇ。コネって、使い方を間違えると毒ですから」
わかりやすい嫌味だった。
反論したところで、言い訳にしかならない。
拳を握りかけたそのとき、足元から小さな声がした。
「あのぉ、ワンエイト・スリーの粕谷さんですよね?」
心芦ちゃんが、いつのまにか男の袖を引っ張っていた。
「ああ、心炉ちゃん。今日はよろしくね」
張り付けたような笑みを浮かべる粕谷という男に対し、心芦ちゃんは不機嫌さを前面に押し出した表情になった。
「優二さんを悪く言わないでください!」
よく通る声だった。
周囲のスタッフたちが一斉にこちらを見る。
「えっ、いやいや、そんなつもりは……」
「優二さんはお父さんが病気で大変で、急に事務所変わっちゃって、俳優なのに私の付き人やってくれるのに、文句も言わないで頑張ってるんです! だから、優二さんのことをバカにしないでください!」
心炉ちゃんは潤んだ瞳で、まっすぐに粕谷を見上げる。
それによって、粕谷に向けられる視線の温度がどんどん下がっていく。
「あ、はは……じょ、冗談だよ。ごめんね、心芦ちゃん」
「謝る相手が違うと思います!」
「うっ……灰瀬優二さん。失礼な態度を取ってしまい、大変申し訳ございませんでした」
「えっ、あ、いえ……」
粕谷は、そそくさと立ち去っていった。
「その、心炉ちゃん。ありがとな」
「いえいえー!」
その天真爛漫な笑顔に、心が温かくなった。
こんな小さな子が、俺のために真剣に怒ってくれたのだ。
芸能界の大人なんて怖いだろうに、勇気を振り絞って泣きそうになりながら俺のために怒ってくれた。
その姿に救われた気がした。
撮影の合間、俺は心芦ちゃんを連れて控室へ戻った。
「お疲れさま。さっきのシーン、バッチリだったな」
「ありがとうございます!」
扉を閉めるのと同時に、カチャリと鍵のかかる音がする。
振り返ると、心芦ちゃんがすぐに鍵を閉めたようだった。
それから無言でソファーへ腰を下ろし、両足を投げ出して天井を仰ぐ。
「あ゛ー、笑顔ふりまくの疲れた」