「……え?」
俺の聞き間違いだろうか。
目の前でソファーに沈み込んでいるのは、さっきまで花のように笑っていた小学生のはずだ。
「ちょっと、ボサッとしてないで。そこの水取って」
声のトーンが、一段低い。
慌ててペットボトルを渡しながら、本当にこの子はあの小山内心芦なのかと疑ってしまう。
「えっと……心芦ちゃん?」
ピタリ、と動きが止まった。
ペットボトルを開ける手が止まり、目だけがこちらを向く。
「さんをつけなよ、大根役者」
小学生の声なのに、あまりの圧に背筋が凍った。
「アタシは芸歴=年齢。あんたが役者を始めたのは高校生からでしょ。業界の先輩は敬えっての」
「いや、でも、ほら。朝香ちゃんや翼君は文句言わないし……」
「簡単な話じゃない。あの二人からすれば、あんたは一般人の歳上男性でしかないの」
「なっ」
あんまりな物言いに言葉を失う。
「ま、あの二人は自分が上の立場になっても横柄にならないってのもあるけどね」
険しかった表情が、その一瞬だけ緩んだ気がした。
どうやら、翼君と朝香ちゃんのことは本心から尊敬しているらしい。
「なら、二人を見習った方がいいんじゃないか?」
「事務所のお荷物が偉そうな口叩かないで。そういうのは、仕事を取れるようになってから言いなさい」
「うぐっ」
正論の刃が深々と刺さった。
「さっきもアシストしてやったのに、全っ然ダメ。もっと貪欲に自分を売り出しにいけっての」
「まさか、アレも演技だったのか」
「当たり前でしょ。きっかけ作ってあげたのに、受け身のままじゃ向こうだって仕事振ろうと思わないでしょ」
何も言い返せなかった。
俺はこの子の作ったチャンスを活かしきれていなかったのだ。
「で、付き人さん? 誠意は態度で示してほしいんだけど」
「……生意気な口を利いて申し訳ございませんでした、心芦さん」
「よくできました。花丸つけたげる、ユージ♪」
満足げに頷いて、心芦さんは水を呷った。
「じゃあ、さっきの粕谷への牽制は……」
「アタシの付き人が舐められると、アタシの格が下がるからやっただけ。勘違いしないで」
ツンとそっぽを向く横顔は、年相応にも見えた。
「……それでも、ありがとうございます」
「ふん、わかればいいの」
返事は、それだけだった。
控室へ戻る廊下で、懐かしい声に呼び止められた。
「……優二?」
振り向いた瞬間、心臓が跳ねた。
「優芽衣……」
反谷優芽衣。
現在は〝CM女王〟と呼ばれる、ワンエイト・スリー所属の女優だ。
どの局でも、どのスポンサーでも、彼女の顔を見ない日はない。
西遊記でもゲスト出演していて、翼君や朝香ちゃんとも共演していた。
そして、俺の元カノでもある。
今回のドラマでも、彼女はレギュラーで出演していた。
「久しぶり。付き人やってるって聞いたけど、本当だったんだね」
「……ああ。まあな」
高校生になって親父から俳優になる許可が出たとき、俺はオーディションに受かって学園ドラマに出演した。
そのとき、共演したのがまだ駆け出しの女優だった優芽衣である。
「元気そうでよかった」
優芽衣は軽く手を振って去っていった。
かつて並び立っていたはずの背中は、こんなにも遠くなってしまった。
「元カノ?」
「なんでわかるんですか」
「顔に書いてあるから。ホント、芝居以前に表情管理ができてないのね」
容赦のない一言だった。
ため息をつくと、心芦さんは小さな手で俺の袖をちょいと引く。
「ほら、アタシの出番……行きましょう、優二さん!」
子供らしい笑顔に切り替えながら、小声でつけ足す。
「さっきの顔、そのまま現場に持ち込んだら承知しないから」
叱責のようでいて、どこか気遣いにも聞こえた。