それから数日間、俺は帆林に基礎的なトレーニングを教え続けた。
発声練習、姿勢矯正、表情筋トレーニング。
基礎が身についてきたところで、俺は次のステップに進むことにした。外見を変える。それが、帆林に自信を持たせる最も効果的な方法だと思ったからだ。
「ここ、です、か……?」
俺は帆林を連れて、代官山の美容院に来ていた。
帆林は不安そうにビルを見上げている。
ガラス張りのオシャレな外観。入口には観葉植物が並び、中では白い制服を着たスタイリストたちが動き回っている。
「昔、俺がよく通ってた店だ」
「……わ、私みたいな陰キャが、入っていい場所じゃ、ないと思うんですけど」
「髪切るのに陰陽もないだろ。大丈夫だ。俺が付いてる」
俺は帆林の背中を軽く押して、店内に入った。
店内は木目調の内装で、柔らかい照明が落ち着いた雰囲気を作り出している。
BGMには静かなジャズが流れていた。
「いらっしゃいませ」
受付のスタッフが笑顔で迎えてくれる。
「十四時から予約してた凪野です」
「凪野様ですね。少々お待ちください」
受付のスタッフが奥に声をかけると、華やかな雰囲気の人物が出てきた。
見た目は完全に女性だが、声は男性のもの。
芸能界でも評判がよく、この前も人気アイドル斎藤ルナが、施術後のヘアスタイルをインストにアップしていた。
「あらぁ、翼君じゃない!」
彼は俺を見るなり驚いたように目を見開いた。
「ご無沙汰してます、メリーさん」
「本当に久しぶりね! もう何年ぶりかしら?」
メリーさんは嬉しそうに笑った。ちなみに、メリーさんは彼の愛称だ。たぶん、名前の羊からとったのだろう。
「五年ぶりくらいですかね」
「もうそんなに経つの!? あの頃は小学生だったのに、すっかり大きくなっちゃって」
感慨深そうに、メリーさんは俺の顔をじっと見つめる。
「相変わらず整った顔してるわね。芸能界、辞めちゃったんでしょ? イケメンなのに、もったいない」
「まあ、いろいろあって」
「そう。でも、元気そうで良かったわ」
それからメリーさんは、帆林に視線を向けた。
「で、今日のお客様は?」
「友達です。イメチェンしたいみたいで」
「友達ねぇ」
メリーさんは意味深な笑みを浮かべる。
「朝香ちゃんラブの翼君が女の子連れてくるなんて、珍しいじゃない?」
「そういうのじゃないです」
「うっふふ、そういうことにしておきましょ」
メリーさんは帆林に近づいた。
「初めまして。スタイリストのメリーです」
「は、初めまして。帆林郁、です」
緊張した様子で帆林は挨拶する。
「帆林ちゃんね。よろしく」
メリーさんは帆林の髪を触りながら、じっくりと観察した。
「ほぉん……髪、手入れしてないでしょ? 結構痛んでるわ」
「……は、はい」
「顔立ちは整ってる。目も大きいし、鼻筋も通ってる」
メリーさんは帆林の顔を様々な角度から見ている。
「これは、化けるわね」
「いけますか?」
俺が尋ねると、メリーさんは自信満々に頷いた。
「うっふふ、誰に言ってるの? 素材はすごくいい。ちゃんと手を入れれば、別人みたいになるわよ」
「良かったな、帆林」
「は、はひぃ……」
ひたすら褒めちぎられたことで、照れたように帆林は俯いた。
「じゃあ、早速始めましょうか」
メリーさんは帆林を席に案内した。
俺は待合のソファに座って、雑誌を手に取る。
店内では、他のスタイリストたちが客の髪を切っている。
シャンプーの匂いと、ドライヤーの音が心地よい。
「まさか成長した翼君に会えるなんてねぇ」
メリーさんが帆林の髪を切りながら話題を振る。
「帆林さん。この子ね、現役の頃はしょっちゅうこの店に来てたのよ」
「そ、そうなんですか?」
「撮影前は、必ずメリーさんに切ってもらってたからな」
「懐かしいわ。あの頃の翼君、すごく可愛かったのよ」
当時を懐かしみながらメリーさんは笑顔を浮かべた。
「今も整ってるけど、あの頃の可愛さは格別だったわ。スマホで検索すればすぐ出てくるわよ」
さりげなく帆林の意識をスマホへと誘導する。
「わっ、本当に可愛いです……」
どうやら当時の写真を見たようで、にへらっと帆林の表情が緩む。
「でしょー?」
「ちょっと、メリーさん。勘弁してくださいよー……」
拗ねたような声音で告げると、帆林は笑みを深める。
「あっはは、今でも可愛いですね、凪野君」
「あらぁ、わかってるじゃない帆林ちゃん」
帆林は緊張が解けたように笑っていた。
どうやら理解したようだ。この場においていじられ役は俺。それによって、自分がいじられることはないのだと安心できるのだ。
「子供の頃の話ですから。それに中身は大概可愛げなかったですよ」
「本っ当に、それはそう。あの頃の翼君、すごくしたたかだったもの」
メリーさんの声が優しくなった。
「あなたと共演した女優さんたち。みーんなメロメロになってたものね?」
「た、たらしだ……陽キャ、女の敵……!」
「子役として可愛がってもらってたのを女たらしって言うんじゃない。さすがにそこは弁明させてくれ!」
今度は焦ったような声音でツッコミを入れる。また帆林は楽し気に笑った。
「とにかく……あれも、仕事ですから!」
「仕事って割り切るには、まだ小さかったでしょうに……」
呆れたようにため息をつくと、メリーさんはニタァと笑って告げる。
「翼君。帆林さんって、本当に友達?」
「そうですよ。まあ、下心がないって言ったら嘘になりますけど」
ここはあえて変に否定しないで、受け流しの返答をする。
「あら?」
「考えてみてくださいよ。芸能界でも通用するレベルの美少女がクラスの隅っこで埃被ってるんですよ? 恩を売ってお近づきになりたいでしょ」
「えっ、えぇ!?」
一見、下衆さを感じるであろう俺の言葉に帆林は驚く。
帆林みたいなタイプは無償の手助けを心苦しく思うはずだ。
むしろ下心があった方が納得できる。
それに見た目に自信がないという点も、この本音めいた言葉で多少は改善できるだろう。
芸能界にいて目の肥えた元子役が、可愛いさ目当てで近づいてきた。
それは自信にもなるだろう。
まあ、これで嫌われたら意味ないけど。
「そ、そうなんですね……えへ、へへへぇ……」
「あなたいつか刺されるわよ。朝香ちゃんも苦労するわね……」
表情が緩みっぱなしの帆林を見て、メリーさんは俺に冷ややかな視線を送ってきたのだった。どうしてそこで朝香の名前が出てくるのか。解せぬ。
それから一時間ほど経った頃。
「はい、完成!」
メリーさんが嬉しそうに声を上げた。
俺は帆林を見て、思わず息を呑んだ。
帆林の髪は、肩まで伸びていた貞子のようなロングヘアから鎖骨あたりで切り揃えられたミディアムヘアになっていた。
軽くウェーブがかかっていて、柔らかい印象になっている。
前髪も整えられて、目元がはっきりと見える。
「化けるとは思っていましたが……想像以上ですね」
そして、メイクも施されていた。
正直、元がいいのは分かっていたし、可愛くなって当然だとも思っていた。
実際に完成した姿を前にすると、その予想はあっさり裏切られる。
均一に整えられた肌は、もともとの透明感を引き出していて、自然に描かれた眉が、帆林の表情を大人びたものに変えていた。
ブラウン系のアイシャドウが目元に奥行きを与え、頬に差した淡い血色と、控えめに色づいた唇が視線を引き寄せる。
派手じゃないのに、目を離せなかった。
「でしょ? これでおまんま食べてるもの」
腕を軽くたたいてメリーさんは得意げに笑った。
「帆林ちゃん、どう? 気に入った?」
「す、すごい……別人、みたいです」
信じられないという顔で、帆林は鏡を見つめている。
地味で目立たない女子から、垢抜けた可愛い女子に変わっていた。
「帆林、すごく可愛いじゃないか」
「……ほ、本当ですか?」
「見立て通りの可愛さを優に超えてきたな。芸能界でさんざん顔面つよつよ女子を見てきた俺が言うんだから間違いない」
「……ありがとう、ございます」
帆林は少し照れたように笑った。その笑顔は垢抜けた影響もあり、さっきよりずっと明るい。
「あのさ、翼君」
メリーさんが俺に話しかけてくる。
「大事にしてあげてね」
「だから、そういうのじゃないです」
一瞬だけ険しい顔をした後、メリーさんは告げる。
「そういうのじゃないのなら、なおのこと大事にしなさい」
「……肝に銘じておきます」
「よろしい」
メリーさんは満足そうに頷いた。
それから会計を済ませて店を出る。
その辺はメリーさんと口裏を合わせてサービスと言いくるめたが、実際は俺が出している。
ぼくんち冒険たいの印税は母親に使い込まれたものの、まだ残っている。
黒歴史の残りカスも役に立つというわけだ。
店を出ると、帆林は何度もスマホのカメラで自分の顔を見ている。
「本当に、私、なんですよね」
帆林は嬉しそうに笑った。
「凪野君のおかげです。ありがとうございます」
「いや、メリーさんのおかげだ」
「でも、翼君が連れてきてくれましたから」
帆林は俺の下の名前を呼んで照れたように笑った。
「……私、頑張ります」
「翼君、か。下の名前で呼んでくれるんだな」
「あ、ごめんなさ――」
「いや、いいよ。じゃあ俺も郁って呼ぶ」
「……はい」
郁は驚いたように顔を上げたが、すぐに嬉しそうに笑った。