とにかく曇る天才女優の幼馴染!(旧題:天才子役の幼馴染に勝てなかったので、分相応に生きていこうと思います) 作:サニキ リオ
高校入学から一ヶ月が経った。
「……今日も平和だ」
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、俺は小さく息をついた。
教室の窓際。俺の定位置だ。
クラスメイトたちは既にグループを作り、楽しそうに談笑している。部活の話題が飛び交い、週末の予定が決まり、笑い声が響く。
俺は、その輪には入らない。
春のはずなのに、教室の空気は妙に乾いていて、息を吸うと喉の奥が少し痛んだ。机の上に開いた教科書を、目的もなく捲る。ページの内容はほとんど頭に入ってこない。
入学初日。校門の前で拳を握りしめながら、心の中で誓った。
普通の高校生活を送ってやる。
子役時代、俺は散々人間関係で痛い目を見た。
子役は商品だ。人間じゃない。そんな世界で、俺は人を信じられなくなっていた。
そして今、普通の高校生になった。
最初から関わらない。期待しない。傷つかない。それが一番楽なんだ。
そんなことを考えていると、隣から控えめな声がした。
「凪野君、大丈夫?」
顔を上げると、眼鏡をかけた女子がこちらを覗き込んでいた。柔らかい表情で、少しだけ首を傾げている。名前は
「はい、大丈夫です」
「なんだか、疲れてるみたいだったから」
池手はそう言って、安心させるように微笑んだ。
その距離感が、妙に心地いい。
「ちょっと寝不足でして……」
「夜更かしは身体に悪いよ。ほどほどにね」
軽く注意して、池手は女子グループのほうへ戻っていった。
これでいい。必要最低限の会話だけ。それ以上は踏み込まない。踏み込ませない。
そうやって、俺は自分を守ってきた。
そのとき、不意に机を叩く音がした。
「凪野くーん!」
顔を上げると、ハイトーンの金髪に鮮やかな青を仕込んだ女子が目の前に立っていた。
表面は明るいブロンドだが、耳元や毛先の内側から、海みたいなターコイズブルーが覗いている。メイクは派手なのに不思議と嫌味がなく、教室の空気を一段明るくするタイプのギャルだった。
「ちょっと聞きたいことあるんだけど!」
「あ、はい」
正直、面倒くさいが無視するのも角が立つ。適当に相槌を打って、早く終わらせよう。
鹿角は俺の返事を待たず、机の端に腰をかけて身を乗り出してきた。
動いた拍子に金髪の奥からターコイズの髪が揺れ、視界の端でちらつく。
「あのさ。〝シューヅマ〟って、知ってる!?」
「はい。知ってますけど」
〝週末、妻は女子高生に戻る〟。通称、シューヅマ。有名漫画家とっととカク太郎先生の代表作で大ヒットした作品だ。
長年すれ違っていた夫婦。金曜日の夜から日曜日の朝まで、妻が女子高生の姿に戻ってしまう怪奇現象をきっかけに、少しずつ関係を取り戻していく。そんなラブストーリーだった。
「マジで!?」
鹿角は両手を天に向けて、大げさに声を上げる。
「あれ、チョー感動するのよね!」
身振りと一緒に、目元がわずかに潤んでいる。どうやら、今も思い出し泣きの途中らしい。
「ええ、まあ。名作ですから」
「そそ! チョー名作! いや、神作! ……てか、何で敬語?」
「すみません、癖で」
撮影現場では、常に敬語だった。同年代と自然に話す機会なんて、朝香以外にはほとんどなかった。同じ劇団にいた子役たちとも、どこか距離があった気がする。
「同じクラスなんだし、敬語なしでいこ! それよりさ、〝シューヅマ〟の実写映画やるの知ってる?」
「ええ――じゃなかった。知ってるぞ。SNSでトレンド入りしてたからな」
ヒロインを演じるのは朝香だ。意識しなくても、情報は勝手に目に入ってくる。
というか、元から見に行くつもりだった。朝香の演技は、もう共演者としてではなく、一人の観客として見るしかない。それが俺の立場だ。
「良かったら、一緒に見に行かない?」
「段取り飛ばしすぎだろ」
思わず即答していた。
ほとんど話したことのないクラスメイトを、いきなり映画に誘う流れはどう考えてもおかしい。ヒロインと仲良くなる過程を、ダイジェストで済ませるアニメ映画か何かか。
「いや、さ。あーしの友たち、アニメ興味ないし。オタ友いないんだよねぇ。凪野くんなら、分かってくれそうだからさ」
「そんなに俺、オタクっぽく見えたか」
「ち、違うって! 登校中に歩きながら、いろいろ読んでたでしょ。もしかして、って思っただけだから!」
鹿角は慌てて両手を振り、必死に弁解する。その反応が妙に素直で、拍子抜けしてしまった。
正直、距離感を無視してグイグイ来るタイプは苦手だ。
子役時代、こういうタイプの共演者に何度も振り回された。最初は親しげに接してきて、気づけば利用されている。そういうパターンが何度もあった。
でも、鹿角は明らかにクラスの中心的な存在だ。ここで断って印象を悪くするより、一日我慢して映画に付き合ったほうが得策だろう。
それに、どのみち朝香主演のこの映画は見に行くつもりだった。時間の無駄にはならないだろう。
「……まあ、映画くらいなら」
そう答えた瞬間、鹿角の表情が一気に明るくなる。
「マジ!? やったー! じゃあ日曜ね! 公開初日だから、絶対テンション上がるよ!」
「了解」
「よし、決定ー! チケットはあーしが取っとくから! 感謝してよね、凪野くん!」
机を叩いて喜ぶ鹿角に、周囲のクラスメイトたちが「またか」とでも言いたげに笑っている。
深く関わるつもりはないが、表面上は友好的に。波風を立てず、目立たず、平穏に過ごす。
それが、俺の高校生活における最適解だ。