とにかく曇る天才女優の幼馴染!(旧題:天才子役の幼馴染に勝てなかったので、分相応に生きていこうと思います) 作:サニキ リオ
夕方、家に帰るとリビングから父さんの声が聞こえた。
テレビがついている。
「ただいま」
「おかえり」
父さんは短く返事をしてテレビを見ている。
俺も何となくテレビに目を向けた瞬間、画面が切り替わった。
『謎の再ブーム!? ぼくんち冒険たい』
テロップが画面に表示される。
その文字を見た瞬間、心臓が跳ねた。
『最近、SNSを中心に、ある楽曲が再び注目を集めています』
アナウンサーの声が流れる。
『それが、こちら。ぼくんち冒険たい』
画面には当時の俺の映像が流れる。そこでは、小学生の俺が笑顔で歌っている。
『ぼ~くぼく、ぼくんち冒険たい♪ い~つでもアマゾン大冒険♪』
『この楽曲を歌っていたのが、元子役の伽須翼さん。現在は芸能界を引退されていますが、SNSでは〝今何してるんだろう〟〝懐かしい〟といった声が上がっています』
画面にはSNSの投稿が次々と表示される。
父さんは無言でテレビを見ている。
俺も無言でテレビを見るしかなかった。
気まずい沈黙がリビングを支配する。
「……なんか、流行ってるみたいだな」
父さんがぽつりと呟いた。
「……らしいね」
俺は短く答える。それ以上、言葉が出てこなかった。
テレビの中では当時の俺が笑顔で歌い続けている。
『だ~いすき、お母さんお出かけ中――』
父さんは無言でチャンネルを変えた。
俺もそのまま自分の部屋に戻った。
ベッドに倒れ込んで天井を見上げる。
やっと手に入れた平穏な日常が、急に苦しくなり始めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
小学生の頃。
朝香に追いつきたい一心で稽古したこともあり、子役としての仕事は増えていった。
この時点では世間の認知度は低かった。
界隈の人間は、演技力や現場での立ち振る舞いを評価している。
伽須翼の子役としての評価はそんな感じだった。
専業主婦だった母さんは、よく僕の送り迎えしてくれていた。
「翼、今日も撮影お疲れ様」
柔らかい声が耳に届く。
「……また、うまくできなかった」
「そんなことないわ。監督も褒めてたじゃない」
「それは子役としての合格点が取れただけ……役者として僕は朝香の足下にも及ばない」
「あらあら、難しい言葉覚えちゃって」
母さんは車を運転しながら苦笑する。
「あの子は天才なの。比べちゃダメよ」
「朝香がすごいのは天才だからじゃない。結果が出るまで努力したからだ」
朝香はよく言っていた。
結果が出るまでやるのが努力だ、と。
なら、僕もそれに倣うまでだ。
結果から言えば、僕は世間で認知されるほどにブレイクした。
その作品は、活躍中のベテラン俳優、井田寛さんとの共演作〝蛙の子は帰る〟。
不器用な父親とワンパクな息子が紡ぐコミカルでありながら感動できる親子の物語。
その作品の挿入歌が〝ぼくんち冒険たい〟だった。
ストーリーや俳優の演技もよかったのだが、主題歌が空前絶後の大ヒットしてしまったことで、世間は伽須翼といえば〝ぼくんち冒険たい〟というイメージになってしまった。
これを期に、僕の演技力が世間で評価されることはなくなった。
音楽番組の仕事ばかりが増え、CMでもバカの一つ覚えのように〝ぼくんち冒険たい〟を踊らされた。
ドラマや映画の仕事もあったが、その数はだんだんと減っていった。
原因は母さんがそのほうが儲かるからと、仕事を選んでいたからだ。
劇団の同期には、歌で売れただけのカス役者なんて後ろ指を刺される。
そんな僕にとって、態度を変えずに忙しい合間を縫って一緒に稽古をしてくれる朝香の存在は救いだった。
そして、〝ぼくんち冒険たい〟というコンテンツも擦り切れるほど擦り倒された結果、世間は飽きた。
僕のイメージそのものが消えれば――俺も消えていく。
現場で愛想を振りまいていたおかげか、何とか俳優としての仕事は残っていたが、全盛期に母親が断りまくったことでオファーを出してくれるプロデューサーは減っていた。
俺の収入が下がるのに比例するように、母親の機嫌も悪くなっていく。
数年前のような優しい笑顔を浮かべることもなくなった母親は、今日も険しい顔で通帳を見つめている。
「これだけ? 今月、これだけなの?」
「ごめんなさい。仕事が減ってて……」
「あんた、ちゃんと現場で愛想振り撒いて仕事もぎ取ってきなさい」
冷たい母親の声に対して、俺は何も言えずに俯いていた。
「もっと頑張りなさい。結果が出るまでやるのが努力なんでしょう?」
そうだ。
こんなところで躓いていたら、いつまで経っても朝香の隣に立つなんてできない。
もっと頑張らないと。
どんなに頑張っても消えかけの一発屋がしがみついたところで限界がある。
演技力だけは磨き続けたが、端役は何とかもらえる状態も終わりが見えていた。
あるとき、母親が久しぶりにご機嫌な様子を見かけた。
スマホで誰かとメッセージをやり取りしているようだ。
「母さん。楽しそうだね」
「あんたには関係ない」
突き放すような声に、俺はまた何も言えずに部屋に戻った。
しばらくすると、父さんと母親の口論が聞こえてきた。
「やっぱり、浮気してたのか! しかも、翼が稼いだ金を使い込んで男に貢ぐなんて何考えてるんだ!」
「あなたが稼ぎが悪いからでしょ! 子供に年収抜かれて恥ずかしくないの!?」
「恥ずかしいのはお前だ! それは翼が稼いだ金なんだぞ!?」
「翼が稼いだお金は私のお金よ! 私が翼を子役にしたんだから!」
怒鳴り声が家中に響く。
「もう、やめてくれ……」
俺は部屋の隅で膝を抱えることしかできなかった。
毎日のように両親が喧嘩する日々も終わりを迎える。
二人が離婚したからだ。
親権は父さんが持ち、二人での生活が始まった。
常に、父さんは俺を気遣ってくれた。
無理をするな、泣きたいときはないていい、辛いことがあったら話してくれ。
そんな優しい言葉をかけてくれる父さんは、どこか虚ろな目をしていた。
あるとき、仕事の飲み会から帰った父さんは泥酔状態で倒れこむように帰宅した。
そして、今まで見たこともない怒りに満ちた目で俺を睨んできた。
「全部……お前のせいだ!」
「え?」
それは酔っぱらった勢いでの言葉だったのかもしれない。
「お前が役者になんてなるから、全部壊れたんだ! お前がいなければ、こんなことにならなかった!」
それは、俺の心を抉るには十分過ぎる言葉だった。
堰を切ったような父さんの怒鳴り声が頭に響く。
「全部、お前のせいなんだよ!」
声が出なかった。
優しかった両親は、俺にすっかり狂わされてしまったのだ。
翌日、父さんは土下座して謝罪してきたが、俺には何も言う権利はないと思ってしまった。
実際、母親は昔は優しくて気遣いのできる人だった。
どう考えても、きっかけは俺だ。
仕事を取らなきゃいけない。
もっと頑張らなきゃいけない。
じゃないと、また怒られる。
じゃないと、また家族が壊れる。
全部、俺のせいだ。
全部、俺が悪いんだ。
「劇団クロッカス所属、伽須翼です。本日は何卒よろしくお願い申し上げます!」
撮影現場で今日も俺は明るく振る舞う。
笑顔を作り、可愛げを出す。
スタッフに気に入られるように、共演者に好かれるように、監督に認められるように。
全部、演技だ。
本当の自分なんて、どこにもいない。
ただ仕事を取るために、自分を演じ続ける。
日常では笑えなくなってしまったが、ここでならいつでも笑える。
そういう技術は死ぬほど磨いてきた。
感情を殺すのは、俺の十八番だ。
現場で愛される〝伽須翼〟を演じること。
それが俺の仕事になった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
はっと目が覚めた。
部屋は暗い。窓の外から朝の光が差し込んでいる。
汗でシーツが湿っている。
息が荒い。胸の奥が締め付けられるように苦しい。
気分が悪い。吐き気が止まらない。
トイレに駆け込んで便器に顔を近づける。
吐き気だけが続き、胃液だけが零れ落ちる。
しばらくそうしていると、ようやく吐き気が収まってきた。
顔を洗うために洗面台へ向かうと、鏡に映った自分の顔は青白かった。
目の下には、クマができている。
スマホを見ると、朝の七時だった。
学校に行く時間だが、うまく身体が動かない。
今日は休もう。
そう決めて、俺はベッドに戻った。