「マジのガチで、あの翼君!?」
「あはは、昔の話だよ」
反射的に笑顔を作る。
昔から染みついた動きだった。
「すごーい!」
「本物じゃん!」
文野さんが満足そうに俺を見る。
完全にわかっていてやっている顔だ。
「翼、せっかくだしさ――一曲いっとく?」
「いや、それは……」
「いいじゃん!」
「聞きたい聞きたい!」
誰かがデンモクを手に取る。止める人間はいない。
〝ぼくんち冒険たい〟
画面に表示された曲名を見て、胃の奥が重くなる。
逃げ道は、もうない。
諦めよう。
明るく振る舞い、期待に応える。
昔から、それが俺の仕事だ。
イントロが流れ始め、俺が息を吸ったその瞬間だった。
部屋のドアが勢いよく開いた。
「ごめんなさい、遅れました!」
少し息の上がった声。
聞き覚えがありすぎて、俺は思わず顔を上げた。
その場に立っていたのは、朝香だった。
「朝香ちゃん! 来てくれたんだ!」
文野さんが、待ってましたと言わんばかりに声を弾ませる。
部屋の空気が一気に変わった。
女子たちが一斉にざわつく。
「えっ、マジ……?」
「ちょ、待って。羽田朝香?」
「本物じゃん……」
「嘘、マジで本物!?」
「スマホ、スマホどこ!?」
一人が慌ててバッグを漁り始める。
もう一人はすでにスマホを構えていた。
「やばい、朝香ちゃんだよね!? めっちゃ可愛い……」
「え、待って、サイン貰えるかな?」
「というか、何でここにいるの!?」
興奮で声が上ずっている。
朝香は軽く会釈をしてから部屋を見渡す。
そして、俺の姿を見つけた瞬間、動きを止めた。
「……翼」
名前を呼ぶ声は低く、抑えられていた。
感情を隠そうとしているのが、逆に伝わってくる。
朝香は俺から視線を外し、文野さんの方を見る。
「文野さん」
一度、間を置いて朝香は静かに告げる。
「こういうの、困ります」
それだけ言って、余計な説明はしなかった。
文野さんは一瞬きょとんとしたあと、すぐに笑う。
「いやー、サプライズの方が盛り上がるかなってさ。せっかく朝香ちゃんも翼も来てくれたんだし――」
悪びれない。場が回っていれば、それでいいという顔だ。
朝香はそれ以上、何も言わなかった。
黙って俺の手首を掴んだ。
「ちょっと、外」
「おい、朝香――」
文野さんが立ち上がる。
「ちょっと待てよ。せっかくみんな揃ったんだから、もうちょっとゆっくりしていけば?」
朝香は振り返らない。
「翼、行くわよ」
「えっ、ちょっと、朝香ちゃん!」
女子の一人が声を上げる。
「サインとか、写真とか……!」
「ごめんなさい。今日は急いでるので顔出しにきただけなんです」
朝香は丁寧に、しかしきっぱりと断った。
「翼もこれから用事あるんだよね?」
俺を見る目は、有無を言わせない。
「……実は、そうなんだ」
「おいおい、翼。お前もそんなこと言わずにさ」
文野さんが、俺の肩に手を置こうとする。
朝香がその手を遮るように、一歩前に出た。
「文野さん。翼を呼んだのは、笑いものにするためですか?」
声のトーンが、一段低くなった。
「いや、そういうわけじゃ」
「なら、いいですよね」
朝香は俺の手を引いて、ドアに向かう。
「じゃあ、失礼します。翼の足元にも及ばない演技しかできない人が、翼を出汁にしたところで何も得られませんよ」
「なっ――」
文野さんが何か言いかけたが、朝香はもう聞いていなかった。
俺も何も言えず、朝香に引かれるまま部屋を出た。
ドアが閉まる直前、女子たちの興奮した声が聞こえた。
「マジで本物だった……」
「やばい、超可愛かった……!」
「あの二人、何なの? 付き合ってるの?」
ドアが完全に閉まり、声が遮断される。
朝香は、そのまま俺を引っ張って部屋を出た。
廊下に出た瞬間、カラオケの騒音が遠ざかる。
朝香は数歩進んでから、ようやく手を離した。
「……CM撮影、終わってすぐ来たの」
ぽつりと零れた言葉は、愚痴というより独り言に近かった。
「文野さんから連絡あったの。翼も来るって」
一瞬だけ、視線が揺れる。
「……あの人、演技はできるけど性格に問題あるから気になってね」
「そうだった、みたいだな」
エレベーターが開く。
中に乗り込み、扉が閉まる。
狭い箱の中で、二人とも黙ったままだった。
朝香は前を向いているが、指先が落ち着きなく動いている。
「ありがとな」
俺の呟きに、朝香は驚いたように振り返る。
「何よ、急に」
「マジで助かった」
「別に、助けたわけじゃないわ」
そう言って、朝香はそっぽを向く。
エレベーターが一階に着いてドアが開く。
すると、朝香は唐突に提案してきた。
「ちょっとデートしない?」
「デート?」
「そうよ。せっかく二人でいるんだし」
照れたように唇を尖らせるが、四六時中演技のことを考えている演技マシーンの朝香が、本気で照れるわけがない。
つまり、これは空いた時間の有効活用。
役作りのためのデートだろう。
さすがは朝香、どこまでもストイックな奴である。
「ああ、いいぞ」
「ホント!? やった……」
小さく握り拳を作ってはにかむ朝香に、つい見惚れてしまう。
うーん、可愛い。また腕を上げたな……。
役作りの一環とはいえ、好きな人とデートできることに異論はない。
「せっかくデートなんだし、手でも繋ぐか」
「み゛」
俺も少しの間、楽しませてもらうとしよう。