とにかく曇る天才女優の幼馴染!   作:サニキ リオ

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第37話 謝ったってもう遅い

 俺の名前は文野ダイ。

 劇団クロッカス出身で、あの天才女優・羽田朝香と元天才子役・伽須翼の先輩役者だ。

 

 カラオケで翼と朝香ちゃんに逃げられてから二週間が経った。

 事務所の会議室は、やけに静かだ。

 天井の空調が回り続けているのに、耳に残るのはその低い唸りだけ。

 

 そんな空気の中で、机の向かいにマネージャーが座っていた。

 

「まったく、電話にはすぐ出てほしいね」

 

 抑えた声が、部屋の中でほとんど跳ね返らずに落ちる。

 

「で、何の話です?」

 

 ソファーに体を預けると、クッションが沈む感触が遅れて返ってきて、その分だけ距離が生まれる。

 マネージャーは視線を落とし、手元の紙をめくった。

 紙同士が擦れる音が、妙に乾いて聞こえる。

 

「結論から先に言う――今月の仕事、全部止まったよ」

 

 指先が紙の上で止まり、それ以上は動かない。

 

「まあ、そういう時期もありますよね」

 

 仕事が途切れる時期はある。別に珍しくもない。

 朝香ちゃんみたいに、売れ続ける人間の方が例外だ。

 俺の言葉にため息をつくと、マネージャーは顔を上げずに告げる。

 

「そういう話じゃないんだ」

 

 空調の音が、さっきよりも耳に残る。

 

「オーディション、通らないんじゃなくて、呼ばれてない」

「は?」

 

 喉の内側が一気に乾く。

 唾を飲み込む動きだけがはっきり分かる。

 

「決まりかけてた脇役の件も、正式に白紙になった」

「それ、先方の都合って……」

「表向きはな」

 

 そこで視線が上がる。

 逃げ場を残さない角度だった。

 

「翼君の件、といえばわかるだろ」

「揉めてないですよ。あれはちょっと――」

「それは君の認識だろう。今は一般人の後輩を、半ば騙す形で呼び出して見世物にした。そう聞いている」

 

 空気が動かなくなる。

 紙の端も、もう揺れない。

 

「今のお偉方の中には、出世する前に現場で翼君を気に入っていた人が多い。この意味、分かるよね?」

 

 口を開きかけて、止まる。

 言葉にした瞬間、すべて言い訳に変わるのが見える。

 

「そんな大げさな話じゃ……」

 

 案の定、口から出た言葉は最後まで形にならない。

 

「てか、おかしいじゃないすか! なんで、あんなプライベートなやり取りがお偉方の耳に入るんですか!」

「その現場、羽田朝香もいたんだろ。彼女の芸能界における顔の広さはよく知っているだろ」

「ま、まさか……」

 

 顔から血の気が引いていくのを感じる。

 

「現場はリスクを嫌う。トラブルの芽は、早めに摘み取る。今回の件で、君はその芽になった」

 

 言葉が落ちる。

 受け止める場所が見つからない。

 喉の奥に引っかかる感覚だけが残った。

 

「それで、どうするんですか」

「どうするも何もない」

 

 冷たい声が淡々と返ってくる。

 

「今ある話は全部止まってる。新規も来ない。しばらくは待つしかない」

「待てば戻りますよね」

 

 間を置かずに言葉が零れ落ちた。

 マネージャーは一拍だけ間を取り、視線がわずかに揺れて、すぐに戻る。

 

「戻る保証は、ない」

 

 それだけで十分だった。

 背もたれに体を預ける。

 硬さがそのまま背中に伝わる。

 

 終わった、という言葉が頭の端に浮かぶ。

 浮かんだまま、形になる前に押し戻す。

 

 早い。まだ判断するには早い。

 

 この程度で全部切られるはずがない。

 これまでだって危ない現場はあった。乗り切ってきた。

 

 時間を置けば、元に戻る。

 そういう流れに持っていけるはずだ。

 

「と、とりあえず、謝った方がいいとか、あります?」

 

 形だけ整える提案を投げると、マネージャーは首を横に振る。

 

「もう遅い。向こうは処理を終えてる。今さら動くと、逆に印象が悪くなる」

 

 机の上のスマホに視線が落ちる。

 黒い画面には血の気の引いた俺の顔が映っていた。

 

「じゃあ、待つしかないってことですか」

「そうだ」

 

 会話が途切れ、空調の音だけが残る。

 膝の上で手を組む。

 指先に力が入っているのが分かる。

 

 終わっていない。

 実力があれば、また呼ばれる。

 この業界はそういう場所だ。

 その前提を、何度もなぞる。

 

「今日はそれだけだ」

 

 靴底が床を擦る音が、やけに大きく響く。

 マネージャーが退出し、ドアが閉まる音で会議室の空気が切り離される。

 

 それ以降、俺のスマホが震えることはなかった。

 

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